旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

大宝寺を見てから中通島へ、マルゲリータ小串泊

2024-11-23 11:34:37 | 国内
空海ゆかりの寺なので「西高野山」と称するが、その百年前にはひらかれていた。

↑入口の説明版と門↓

五島列島は教会が注目されるが、実は歴史的な仏教寺院や神社も多い。
迫害されていたキリスト教徒は「隠れ住んだ」のだからあくまで少数派。
現在でもキリスト教徒人口は、最も多い中通島でも25%にとどかない。

キリスト教伝来の遥か以前、遣唐使の日本最後の寄港地であった五島列島は大陸文化への最前線として栄えていた。

最澄が刻んだという観音座像↑
先代住職が色を塗りなおさなければ重要文化財だったかもしれない

対馬の宗家とのつながりもある。

本堂の木彫は豪華

方向に合わせて十二支が掲げてある

寺ではあるがしめ縄もある


梵鐘は昭和58年に調査された。

「応安八年(1375)播州多賀郡西林寺の僧・僧信の寄進」と、はっきりわかっている。

まさかその当時からのものではないだろうが、撞木(しゅもく)の棕櫚
境内の一角に八十八か所を一分で巡ることのできる回廊↓



村の道も趣がある↑
***
16:30福江港から

チャーターした海上タクシーで中通島に向かう。

「今日は五十分ぐらいかかるかもしれんけん」

けっこう揺れた。
予定していた奈良尾の港ではなく、波の穏やかな桐の港にはいった。

17時半ちかくでも明るい。

18時半、中通島の北に延びる岬の尾根にあるマルゲリータホテル小串に到着。

シチリアの修道院をイメージしたという。

全29室。

和洋選べるが今日はイタリアンにした。
五島牛








コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

五島福江から山内盆地を通って大瀬崎、井持浦「ルルド」へ

2024-11-19 06:01:53 | 国内
素晴らしく晴れたので、予定を変更して大瀬崎に行くことにした。

灯台百選のひとつで、朝ドラや映画の舞台に使われてきた大瀬崎灯台。
・・・
11/18 
「強風のため引き返すかもしれません」という条件付きフライトだったが

12:45 無事に五島福江空港に着陸。長崎からの便も十五分ほど後には到着。

ターンテーブルにバラモン凧

13時15分には空港を出て、福江島の内陸の道に入る。
島とは思えない山道を抜けていくと、

稲作地帯がひろがっているのを、六回目?の訪問でやっと認識した。
山内盆地は
「海をみたことがない人もあった地域です」

七ッ岳が右前方に↑標高は400mほど。
その向こうに福江島最高峰の父ヶ岳(ててがたけ)461mがちょっとだけみえた。


「平成小学校」跡↑周辺の小学校を統合して平成に開校したが、それも廃校になってしまった。

入り江の奥「玉之浦」に出た↑中国語の表記があるのは、ここが「国際避難港」に指定されているから。
天気予報が発達した現代になっても、海はよみきれない。

十年ほど前に104隻もの船が狭い入り江に避難した写真を見せてくださった。

多くの集落が消え、教会も減っていく。

そして、冒頭の大瀬崎に到着。

バス道から百メートルほど林を上ると、

↑視界がさらに開ける↑手前の山の頂上に「魚見」がある※2017年のブログに詳しく書きました、後半に出てきます

内陸から見えた「七ッ岳」の尾根が↑なるほど七つ見える。

**
十分ほど走って井持浦教会に到着。

通称「ルルド」は、フランスのピレネー山脈近くにある奇跡の泉に由来している。

1895年(明治28年)にフランス人の司教が主導して日本最初の「ルルド」ができた↑
お披露目の時にフランスのルルドから運ばれた聖水が入れられた↓

5月に「ルルド祭」が行われている。

2024年は井持浦教会開設125周年

1897年(明治30年)に建設されたものを、現在の教会は1980年代に改修したもの。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本一大きな「大仏」~鋸山下見

2024-11-16 10:02:35 | 国内
台座から合わせると31mを超える。※奈良の大仏は19m弱。

日本寺のHPに「天明三年(1783年)に大野甚五郎英令が27人の門弟とともに岩山を3年かけて彫刻したものが原型です。その後昭和41年に4カ年にわたって修復されました。」と解説されているが、意外な話をきいた。
「江戸時代の大仏は幕府の許可を得ていなかったので取り壊されたんです」
**
鋸山ロープウェイを降りて「百尺観音」まで行き、「地獄覗き」まで上がった。

ここから冒頭の大仏までは、かなり距離がある。

階段もかなり長いし、降りるばかりではない。
12/7の本番では二つのルートを選べたほうが良い。歩くのが苦手な人への別ルートを考えよう。
↓日本寺HPからの絵地図↓山頂エリアの「百尺観音」と「ラピュタの壁」を見学したら再びロープウェイで下におり、

↑大仏下の無料駐車場まではバスに乗り、少し上って大仏前で歩いてくる組と合流というのはどうだろう。
いちばん歩く「羅漢エリア」をパスすることができる。

それが、可能かどうかを知るためにも、今日の下見はできるだけ多くを歩かなくては。

鋸山の南側は日本寺の広大な境内になっていて羅漢がいっぱい。

千五百体以上あるそうな。

今は石ころにしかみえなくなったモノもあるから、江戸時代の羅漢ワールドはすごい規模だったにちがいない。

↑文化四年(ひのとう 丁卯)1789年の観光地図を見せてくださった↑
これは高雅愚伝という僧が江戸からの参拝客を増やすべくつくったモノ↑
江戸の人々に「羅漢のスポンサーになりませんか」という宣伝をして、自分たちが出資した石造に会いにくる参拝誘致をしたのだった。

↑こちらは「二天門」左右に仁王像

石の羅漢を刻んでくれる大野英令をトップとする石工集団を雇った※「東京湾観光情報局」のページの解説にリンクします

石造群が鋸山の石ではなく、伊豆から運ばれたもっと硬い石だったというのもおもしろい。

大野英令は寛政10年(1798年)年に48歳で没。墓は羅漢群の中にあった↓

↑冒頭の大仏を自ら壊すことになってから十年ほど経つ。
心残りだっただろうなぁ。
昭和に修復された現代の像を見せてあげたい。

・・・続く
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鋸山の「百尺観音」

2024-11-11 13:40:56 | 国内
百尺=約30mの観音像。


ロープウェイでわずか4分。

↑几帳面な鑿跡が間近に見える。
この絶壁が石を切り出したことで出現したのは驚きだ。

鋸山は標高329mしかないが一級の景色が楽しめる。

↑南側は安房の国

鋸山は江戸時代以前からの国境だった。
実際に気候もちがうのだそうだ。

↑金谷の街は上総の国↑対岸は三浦半島↑10kmほどしか離れていない

↑この穴も石を切り出した跡のようだ

ロープウェイの建物の上階には石切りの歴史を解説してある展示

サイズを統一して切り出していた。

「石を運び出すのは女性の仕事でした」ときいてびっくり↑なるほど女性が運んでいる。

↑一本80㎏を三本乗せた「猫車」で下まで一日三往復以上していたそうな。

凝灰岩は火に強いので竈の材料に適していた。


展望テラスから日本寺の境内へ。

採石がはじまる前から鋸山の山頂は日本寺の寺領だった。

↑拝観料を払って入る。


しばらく登り、左手に曲がると

鑿跡の中をあるいていく

ひらけたさきに見えてくるのは

「地獄覗き」の場所

・・・あそこまで登るのはたいへんそうだなぁ

「地獄覗き」に向かって歩いていくと、右手に巨大な観音像があらわれた

昭和35年から六年かけて削り出された、日本最大の摩崖仏。
圧倒される。
周囲の壁の鑿跡は手彫り時代のもの。つまり、採石が機械化された昭和33年以前の壁。
採石が終わったのは昭和60年(1985年)。
この観音像は採石を続けながら観光客を呼び込んでいた時期につくられたのだ。

観音像を右後ろに、日本寺北の料金所を一度出る↓

石の壁が続く

下の方に↓

↑「1937年明大」などと彫り込んである
この時代はロープウェイなどなかったから、北側の登山道を一時間半ほど登ってここにたどり着いたのだ。

↑今は山歩き好きだけが利用するハイキングコース。
わざわざここまで出たのは、
通称「ラピュタの壁」を見るため↓

垂直に彫り続けてできた90mの壁



歩くのが苦手という方でも、ここまでは頑張ってきてほしい。

北側の登山道↓

↑このルートには採石の歴史を身近に感じられる場所がたくさんある。
個人的に歩く機会をつくってみたい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

浜金谷駅から街歩きで鋸山ロープウェイへ

2024-11-08 18:01:08 | 国内
浜金谷駅のホームから、鋸山が屏風のようにそびえている。
何百年にもわたり石を切り出した跡があの絶壁。

駅から五分ほどで「鋸山美術館」に到着↓
↓美術館の壁は一部だけ房州石をはりつけてある↓

↑ほんとうはぜんぶ房州石で建設したかったそうだが、建設がはじまったのは2000年代、石の切り出しはとっくに終わっていた。

今、ちょっとぞわぞわするような展覧会が開催中↓

小豆島の「妖怪博物館」の協力だそうだ。

三つほどの展示室だがしっかりした展示環境になっている。



美術館の裏手にある蔵は★鋸山資料館

白く塗ってあるが房州石できている。

↑表に出して見せている部分に、房州石の最高級品「桜目」が使われている。

なるほど、桜の花びらを散らしたよう(^^)

蔵の内部に鋸山の歴史がわかりやすく展示されている

室町時代には切り出しがはじまっていた。


↑こんな手順で切り出されていたのか↓きちんと揃った切り出し跡は

マニュアル化された作業がきちんと守られていた証拠。
海外でもいろいろな採掘現場を見てきたが、ここまできちんとした切り出し跡を見た記憶がない。「日本人気質」のあらわれなのかしらん。
急な階段を二階に登る。

↑石の切り出しを仕切っていた元締めのひとつ「芳家石店(よしげせきてん)」の半纏。

「芳家」は屋号で鈴木がファミリーの名前

金谷を歩くと鋸山から切り出された房州石の壁が続く。


昔切り出された石の棒もそこここにある。

ひときわ立派な塀は今も鈴木さん宅



↑ひときわ目立つ大屋根は↑白川郷から移築された古民家で

↑雰囲気あるカフェになっている。


金谷の駅から東京湾フェリーの乗り場まで歩いても遠くない

小さな川が流れ
気になる昭和レトロなお店もある。
《手造の旅》で一泊してもよいかなと思ったが、コレだと思える宿がみあがらなかった。
鋸山で多くの人は訪れるのにほとんど首都圏から日帰りばかりではもったいない。

ロープウェイ乗り場近くの小さな神社には

謎の「大鏡鐵」もある↓

※こちらにもう少し書きました


ロープウェイ乗り場到着!

レトロな紙の切符です。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする