2004年に宮崎に転居してきて早や4年が過ぎた
ここに来る前には真剣に転職も考えていた
幼い子供の寝顔を見ながら己が性格と人生を儚んでいた
今夜もあまり眠れずにこうやってPCに向かっている
ふと、友人からもらったメールを読み返してみたくなり
メーラーを起動した
友人とのメールのやりとりも少なくなって画面の下の方
ふと、友人からもらったメールを読み返してみたくなり
メーラーを起動した
友人とのメールのやりとりも少なくなって画面の下の方
には、04年前後の受信メールも見えるほど・・・
そこに藤井さんからのメールがあった
藤井さんは学生時代にアルバイト先で知り合った女性で
筆耕さんのパートタイマーだった
この方の手ほどきで今もなんとか父親の面目を保てるほど
そこに藤井さんからのメールがあった
藤井さんは学生時代にアルバイト先で知り合った女性で
筆耕さんのパートタイマーだった
この方の手ほどきで今もなんとか父親の面目を保てるほど
の字が書けている恩人だ
04年9月、藤井さんが腎臓癌の摘出手術を終えたばかり
04年9月、藤井さんが腎臓癌の摘出手術を終えたばかり
のところに宮崎からの転居案内が届いたのだった
小生の葉書を喜ばれて、ご子息から代筆?のメールをいた
小生の葉書を喜ばれて、ご子息から代筆?のメールをいた
だき、その後数回にわたって病床のご自身から携帯メール
が届いていた
痛みをこらえながら慣れない携帯メールを打っていただい
痛みをこらえながら慣れない携帯メールを打っていただい
ていたようで、途中で途切れたものもある
並行して、藤井さんのご子息から「母がすごく喜んでいる
ので、なんとか続けてメールしてあげてほしい」とのメー
ルもいただいている
全く逆だった
宮崎に来て右も左もわからず、家族も知り合いのいない所
宮崎に来て右も左もわからず、家族も知り合いのいない所
にポツンと来た幹事で、次第に焦燥感に追われていたとき
のことだ
藤井さんとのやりとりがどれほど自分に勇気を与えてくれ
たかわからない
返す返すも心残りなのは、藤井さんに会えずじまいで終わ
ってしまったことだ
百万通のメールよりもただ少しだけお会いして昔話に花を
咲かせて、娘の顔を見せて、励ましの言葉をかけてあげら
百万通のメールよりもただ少しだけお会いして昔話に花を
咲かせて、娘の顔を見せて、励ましの言葉をかけてあげら
れれば良かったと今でも後悔している
宮崎は遠くはなかったはずだ
宮崎は遠くはなかったはずだ
思い立てば何時でも飛べるのだ