我々の世代はテレビでみたことがある
「清水の次郎長」を山本一力が描けばこうなる
というもの
毎年、年末は家族を先に家内の実家に帰して
父はゆるりと東海道線で帰省する
日ごろ出張続きで新幹線にはあきあきしているので
時間があるときには途中下車をしながら旅気分を味わう
去年の暮れは、少し興に乗って町田から小田急ロマンスカーで
沼津に出てから東海道本線を各駅停車で豊橋までつないだ
小田急に乗ったのは、御殿場線(旧東海道線)を一度通ってみ
たかったのと、小田急からJR東海(御殿場線は同社のエリア)に
乗り入れている珍しい特急あさぎりに乗りたかったから
そして、沼津からこの小説の舞台へと足を踏み入れた
清水はこの間静岡市に吸収されてしまったが、静岡よりは富士に近く
町のどこからでも大きな富士山が見える
そして、清水からの富士山は適当な距離があることで遠景となり
まさに美術品のような存在感をもって存在している
この富士山を背負いながら維新前夜に厳として海道を取りまとめた
実在の親分を、親友の回顧として書き上げている
ただ、商売を兄にまかせ渡世人になる理由も薄く、若いころの放蕩との
つながりも今一つ納得感がないことも事実、また「最愛の妻」をなくし
呆然とするわりには後妻にその名を継がせるところなど
我々の感覚からは少々ずれていることも否めない
フィクションであるからには、そこに少なからず工夫がいるのではないか
と、少しだけ不満が残ったのも事実か