Remains of The Accidents

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そろそろ終盤

2019年06月13日 | つれづれ



六月は自分や周囲の人間の誕生日が多い
死んだ父親も母親も六月生まれだった

自分も六月に生まれ、父親が死んだ年齢に少し近づいた
あと4年ほどだ

父親は、神戸の元町駅で倒れ、そのまま日赤病院で息を引き取った

葬儀の夜、弔問に来られた近所の人の話では
死んだ日の朝、父親は国道を明石駅の方に向かって歩いていた
何度も何度も自宅の方を振り向いていた
という

普段、父親は最寄りの私鉄の駅から明石駅に向かうのだが
その日は国道沿いの歩道を歩いていたという

不思議な話ではあるが、何か知らせるものがあったのだろう
1988年、60歳になって3ヶ月ほど経ったころだった

それからちょうど30年
今年、母親が病院で息を引き取った
昭和の最後に父親を、平成の最後に母親を亡くしたことになる

父親も母親も、仕事や子育て、孫の面倒見を終えたあと
少し心に穴が開いたように元気をなくしてこの世を去った

いま、自分もなんだかそんな気持ちになっている
ある程度目途もついた

先週、NHKの番組で「安楽死」の場面を見た
あんなに安らかに死に行くことができるのかと思うと
気持ちが揺らいだ

大して楽しい趣味もない、どちらかというと羽をもがれた鳥の
ように生きている気がする

いま「生」に対する固執が少し足らなくなっているようだ

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