今年の正月は神保町/新世界菜館の牡蠣そばで始まった。
今年の正月休みもウチの奥さんの実家にお世話になり、もてなしてもらった。
毎回、なにか持参していこうかと奥さんに云うのだが、彼女は特にいらないという。
他人である自分は、なかなかそうはいかないと気を遣おうとするのだが、総じて
彼女は拒否する。
もともと他人の家ではご飯が喉に通らず、好き嫌いを超えてあまり箸をつけないで
いることが多くて嫌われがちなので本当に気を遣っているのだが・・・。
この食事についての悪い性癖は小さなころからのことで、今さら変わることがない。
確か幼稚園に入る前くらいのこと、姉に続いて兄が小学校に上がったのを機に母親が仕事に
でかけるようになった。
何の仕事かは忘れたけれど裕福な家ではなかったので、母はいつも何かしら仕事をしていた。
今どきと違ってコストのかからない公立の幼稚園は年長のみだったので、自分は母親の
友人の家に預けられ、夕方になると母に迎えにきてもらう暮らしだった。
預けられた家のことはあまりよく覚えていないが、同い年の女の子がいる家で私鉄の線路に
近いアパートの1室だった。
元々人見知りがひどくてあまりなじめない子供だったので、同い年の女の子ともほとんど口を
きかなかった・・・と後年同級生になったその子から聞いたことがある。
他人の家では食事ができないのはその頃からのことで、母親は毎日菓子パンを持たせてくれた。
何も楽しいことはなく、毎日々々早く夕方にならないかと待っているだけの暮らしだった。
お世話になった方にはずいぶん気を遣っていただいたのだが、そんな調子なので早々に「この子
は無理だ」ということになり預けるのをやめたみたいで、記憶が薄いのではないかと思う。
そして、その後も他人の家では食べ物が喉を通らない難儀な病気は現在に続いている。
結局、いつも気を遣ってくれる方には失礼ばかりしとおしてきた。
さて、その家には預けられなくなり母は仕方なくもとの内職をしていたのだろう。
今でも日差しのあふれる小春日和には暖かい南側の部屋で母親の内職を手伝ったり
洗濯物をたたんだりして母親の側にいたのをよく覚えている。
そして、その翌年には晴れて幼稚園に通うようになった。
朝は兄姉が幼稚園まで連れて行ってくれるし、昼前に帰宅しても次に兄が小学校から帰って
くるので、母親は気兼ねなく仕事に出かけていった。
面倒な末っ子は、ひどい人見知りのわりに幼稚園に進んで知らない子供たちの中に入ると
親の心配を余所になかなかのリーダーシップをとってクラスをまとめるようになった。
この頃から、自分は少し知っている人たちの中でいるよりも、見ず知らずの人といる方が
得意だった。
現在も全く同じであって営業で出会った初めての方の方が話やすく、社内の打ち合わせや
部内会議などは苦手の極みだ。
自宅近所では兄や姉の同級生に鍛えられていたので、幼稚園のクラスでは身長も高く
運動神経もよくて自然に遊びのリーダーになっていた。
この頃は朝早く幼稚園のグランドでサッカーをするのが楽しくて仕方なく、毎日
々々一所懸命にボールを蹴っていた。
昭和40年代はベッドタウンが拡がって郊外の野原や低い山が崩されてどんどん住宅が新築
された時代だった。新興住宅地は、学校や幼稚園は整備が追い付かずに皆遠路はるばる
通園/通学していた。
それが故に幼稚園の仲間と遊ぶためには数キロの道のりを歩いていかなければなら
なかったが、毎日のように友人たちの住むエリアまででかけては新しくできたキレイな
公園で遊んでいた。
結果的に、公園でサッカーを終えてヘトヘトになっても、夕日の帰り道を歩いて帰る
こととなって、帰宅してすぐに寝てしまうこともよくあった。
たまたまの境遇だったが、このころから一日中遊ぶこと以上の体力がついたのだろう。
繰り返すが、いくつになっても他所で食事ができないことは変わらない。
いまだに、例えば誰かのうちに泊まるということは恐怖であり、こんなに
緊張することはない。
20代の終りにシカゴに住んでいた友人に招かれたときも、成田空港に到着したところ
までは、初めての渡航に浮かれていたのだが、友人の家族に会って、これから何泊か
世話になることに気づいたときから緊張が始まった。
そんな話をすると、子供たちには「それでウチのお母さんのごはんは大丈夫だったのか」と聞かれる。
こちらは不思議なもので、たいていの場合は付き合っている女子の作ってくれる食事は大丈夫なのだ。
とても勝手な、わがままな話なのだが事実は事実でありごまかしようはない。
我儘な話ばかりだが、ここまで長く生きてきて思うことは、自分の中にはもう一人の自分の知らない
自分がいて、そいつは産まれてこの方我儘し放題だということだ。
そして、それが本当の自分であって、いつもは何かしら着ぐるみをきて、自分で作り上げた演じ難い
キャラを演じているだけだということだ。
社会の中にいるということはそういうことであって、本当の自分が思い切って手足を伸ばしていられる
ような場所ではないということなのだ。
そんな社会からそろそろ足を洗おうと思うが、そうやって迷惑をかけたり気を遣わしたりした方が
いること、これは忘れてはならないことだ。
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