僕の前世はたぶんオランダ人。

おもしろきこともなき世をおもしろく

遠州めぐり

2012年02月18日 | ぶらぶらする

「法多山に行ってきた」

という話をここ1週間で2人から聞いて

がぜん興味がわいて早速やってきた。

静岡県中西部の住民からすると

非常にポピュラーな厄除け寺のようで

山門もこのようになかなか重厚。

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山門をくぐるとよく整備されたなだらかな上りの参道が続く。

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しばらくすると真新しい石段にぶちあたり

これがなかなか急勾配。

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やっとこさ上りきると

広い敷地にピッカピカの境内が広がる。

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ピッカピカすぎて山門とのギャップが激しく、

新興宗教の本山に迷い込んだかのような戸惑いを覚える。

本堂の中では炎高く護摩を焚いてたりして

独特の世界が広がる。

門に葵が見られ徳川家との関係をアピールしてる様子。

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帰り路は参道の上の道を通るが、

ここの池もあまりに新しく場違いな景観に

ますます新興宗教をイメージしてしまう。

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さてここからが本日のメイン処、

今日の目的は寺社仏閣ではなく

法多山参道帰路の厄除け団子!

高尾山の茶屋感覚で参道中腹にある。

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なんと食券制!

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一箱500円の土産用を

みなさん一人5箱くらい普通に買っていく。

こちらは店内用で1皿200円。

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見た目赤福っぽいのだが、

白い部分は餅というよりややカルカンに近い。

団子屋を後にすると「家康お手植」なる松に遭遇する。

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ホントかなぁ。

さて、法多山はここで終了。

ここから海沿いを東に戻り、

10年前から気になって仕方なかった

「高天神城」を攻める。

城とはいっても山城の廃墟なので、

野山の起伏を歩きながら想像力をフル活用して

当時を無理やり脳内に再現するという

かなり玄人向けのツアー。

袋井市大東地区の田園地帯にもっこりと位置する

丘陵地帯が目指すそれ。

「やっぱり登城は正門からでしょー」

と南側の大手門にやってきた。

↑正確には大手門址。

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おっと途中通行止めでこっちからは本丸までしかいけないようだ。

ここでは俯瞰図を記憶するにとどめる。

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仕切りなおして北口となる絡手口へ移動する。

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こちらは参道もかねており石段での登城が可能。

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写真ではわかりづらいが

切り立った崖を拓いており

侵攻ルートはかなり限定される。

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武田軍がつくったとされる

「三日月井戸」なる水たまりが途中にあり気分が盛り上がる。

中になぜか金魚が泳ぐ・・・。

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石段を登りきり尾根道にでた平地がかな井戸。

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ここから西の急な石段を登ると高天神神社兼西の丸。

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神社の裏手に回るとやや開けて南側には海も見える。

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ここから西へ切割を伝うと

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馬場平なのだが、この先は通行止め。

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なんでも落城の際、

武田の武将がこのけもの道から逃れて

甲府の武田勝頼へ敗戦の報を伝えたらしい。

ここから甲府まで行けるとは夢のある話だ!

さて、

かな井戸まで戻ると本丸へ向かう東側の道はこのように通行止め。

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しかしこの通行禁止ゾーンは5m程度で

しかも何が危険なのかよくわからん。

せっかくなので視界に入らなかったことにしてロープをまたいでみる。

うん、普通の山道だ。

ここから直接本丸へ向かうことはせず、

左へトラバースして徳川方の武将が囚われていたとされる

石牢を見に行く。

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当然中は入れないけど8年もこんなとこ入りたくないっす。

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さてようやく本丸址へ登城。

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えーと、

想像以上になにもない笑。

いや、本丸東の御前曲輪址には顔抜がたってるが、

よけいにさみしい・・・。

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本丸横には意味不明な給水塔がたっているが、

ガッチガチに凍ってる・・・。

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小さいながら信玄も攻めあぐねたという

難攻不落ぶりが体感できたお城でした。

津本陽著の「暗殺の城」はこの城が舞台だそうで、

ぜひ読んでみよう。