僕の前世はたぶんオランダ人。

おもしろきこともなき世をおもしろく

戦国の終わりに

2019年02月17日 | ぶらぶらする

駿州より相模国へ侵攻し早9ヶ月、

満を持して天下の名城、

小田原城へ。

とその前に街道沿いの日本一たい焼で一服。

こちら日本一のたい焼きなのかと思いきや

これは「日本一たい!」という九州弁なのだという

なんともいえない屁理屈っぷり。

さて本題の小田原城、

駅側からは最短登城ルートも拓かれているが

ここはひとつ海側からの正規登城ルートを辿る。

まずは巨大な枡形。

枡形を越えると

銅門。

場内に以降は少ないものの

スケールは大きい。

天守閣からの一夜城方面。

目と鼻の先に砦を築かれてしまっては

いかに天下の後北条家とはいえ

限界を感じずにはいられなかったことだろう。

同じくJR小田原駅。

小田原城から車で10分。

秀頼が小田原攻略のために築いた

一夜城こと石垣山城跡へ。

こちら思いのほか観光客でごった返しており

天下統一総仕上げの城、

石垣山城ともなると遺構だけでこんなにも人が集まるのかっ!

おおっ!同志よっ!

ともろ手を上げて駆け寄ろうとしたのもつかの間

彼らは遺構には見向きもしない

ヨロイヅカファーム狙いの軟弱ものばかりであった。。。

ええい、かくなる上は身どもだけでもいざ参らん!

ものども続けやっ!

とキャッキャウフフなヨロイヅカファームを背に

攻城開始。

階段を上って

右側へ下ると

珍しい遺構「井戸曲輪」

井戸を中心にらせん状の石垣が並ぶ。

タニシの殻のようであり

日本の城郭として円形が採用されるのは

きわめて珍しい。

しかしよくできている。

石垣の多くは関東大震災で崩れたようだが

それでも当時を迫力を偲ぶには十分すぎるほどで

とても「一夜」で築かれたものではないことくら素人でも分かる。

天主台からの小田原市街。

よくみると小田原城が視界のど真ん中に見て取れる。

惣構とはいえ

喉元に匕首を突きつけられたようなもので

これはひとたまりもなかったものと見える。

天主台から南斜面をヨロイヅカファームへ下るときも

非常に大きな石垣の石がごろごろしている。

石垣山城は関東へ出現した初の石垣城だったとのことで

この城が果たした役割は果てしないといえる。