2月 18日

2010-02-18 00:06:23 | Weblog

          ( 麦踏 )

 

早春、まだ茎が立ち上がらないうちに麦の芽を踏みつけること。
根張りを良くしたり、霜柱による根の浮き上がりを抑えられる。とあります。
少し前までは、人が踏んだもので、今ではローラーで行うようになりました。

 

幼な顔ときどきに上げ麦踏めり         後藤夜半

 

われ先に六年三組麦を踏む           竹南寺摩耶

 

麦踏の遠目の」うちに未だあり          中村汀女

 

 一夜官女 (大阪住吉神社)

  余談 

事務所で,少し時間があるとネットサーフィン。昨今の検定ばやりで「漢字検定」「江戸検定」
「鎌倉検定」、いろいろあるんですね。「季語検定」というのも有って、これはある県の教員採用
試験用だそうですが、例題があったのでやってみました。しかしいつも行事で×・・・
そう言えば、ころころの俳句には行事(神祇、釈教,宗教,忌日)がかなり少ない。
季語・・いったいどのくらい有ると思いますか?  答え 約21,000語
ころころが1年に1000句詠んだとして30,000句以上できっと使った季語は200位でしょうね
写真の一夜官女という行事が2月20日に大阪の住吉神社で行われます。
皆さんはこの季語で詠まれた句がありますか? 私はさっき知った季語です。

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2月 17日

2010-02-17 00:10:46 | Weblog

             

        

          ( 椿 )

 

椿落ちて昨日の雨をこぼしけり            蕪 村

 

次に落つる椿がわかる一童女           和田耕三郎

 

椿見て一日雨の加賀言葉                              森 澄雄

 

ひとつ咲く酒中花はわが恋椿                          石田波郷


  侘助

   余談 

俳句の仲間が増えたり減ったり、どうして辞めてしまうのか?
「この句会は自分に合っていない」「お金が掛かりすぎる」「皆の活動に付いて行く時間が無い」
色々な理由は有るんだろうな。俳句作品では類想,類句はいけないと言っても、結社では
思いを一つにして活動する。つまり類想の活動。そうでなければ疎外感を感じることも確か。
能村登四郎さんの俳論集「伝統の流れの端に立って」の中に一句十年という項がある。
昭和14年に投句を始めた「馬酔木」の一句欄が十年間続いたという話。中には二句欄も数える
ほどに有ったと言う。(当時は無点、無掲載もあり)
それでも学ぼうとする気持ちにプライドがあるからだろうと思う。
どうしても人の目を意識して結果ばかりにプライドを示して辞めてゆく人たちに,俳句のもっと
多くの楽しさを伝えることが,もしかしたら指導かもしれない。



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2月 16日

2010-02-16 06:48:51 | Weblog

          ( なずな・ぺんぺん草 ) 

 

今ごろの植物園は一番花の寂しい時期かも知れません。草花で言えば節分草、
雪割草、芹葉おうれん、黄水仙、スノードロップ、クロッカス。
樹木の花なら、白梅、紅梅、蝋梅、,三椏、迎春花(黄梅)、椿,実成り枝垂れ梅。
白蓮の蕾も大きくなりましたがまだ開花は咲きのことでしょう。
後一ヶ月、春の草花が楽しみです。

 

昨日より今日新しき薺花              細見綾子

 

ひとり摘む薺の土のやはらかに          中村汀女

 

薺咲きキリシタン村牛飼へり            田村了咲

 

休め田にあるじ貌して花薺             影島智子

 

  赤塚植物園 実成しだれ梅

☆ 余談 ☆

これも何かの本で読んでいたことを、ふと思い出して書きます。
「春雨」と「春の雨」 同じようで全くちがう表現の俳句になります。
季語には本意が有るという事です。そのことは「三冊子」にも書かれていて
本意とは漢詩、和歌の時代以来伝統的に公認されてきた最も相応しい状態の事。
春雨は晩春にしとしとと降り続くの雨の事で、春の季語であってもザーザー降る強い雨
などそう言わない。

「春雨は小止みなく、いつまでも降り続くやうにする、三月をいふ。二月末より用ふるなり、
正月、二月始めを春の雨となり」    三冊子 より

それに今も強固の縛りを守り通すのが正道かどうかは、分かりません。
しかし「秋風」と「秋の風」 日本人固有の美意識,詩意識の中での「秋の風」は
心象的な句にはもってこいの季語だと皆さん感じて居られるでしょう。



 


 

 

   

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2月 15日

2010-02-15 00:19:28 | Weblog

         ( 山茱萸・春黄金花 )   

 

山茱萸の花にぞろりと佇める          深見けん二

 

山茱萸に日はとどまれり休め窯        宮下翠舟

 

山茱萸の盛りの枝の錯落す                      富安風生

 

山茱萸の花の数ほど雫ため                     今井つる女

 

   うれしい話 
伊吹嶺の同期のKさんが今年の新人賞に決まりました。 おめでとうございます!
まだ俳句を始めて2年目ですが、とても感性豊に素直な句が揃っています。
Kさんは人柄も控え目で気遣いのできる人、しかも美人で、先輩諸氏からも可愛がられています

人の喜びを喜びと感じ、人の痛みを痛みと感じる,これは俳句の感動を共有することと同じ
身近にいる仲間の受賞,本当に嬉しいお知らせでした。 

 柞の木の葉 (いすのき)

昨年11月2日にこのブログにご紹介した「ひょんの笛」になる、柞の木の葉にヤノイスアブラムシの
虫瘤を見つけました。この葉をひょんの笛に仕立てるなんて、ヤノイス君も凄いですね。

 

 

 





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2月 14日

2010-02-14 00:10:29 | Weblog

        ( バレンタインデー・桜餅 )

 

        クリックすると新しいウィンドウで開きます

 

今日はバレンタインデー、同じスイーツでも桜餅と少し渋目のお茶がいい年になり
ました。 一度だけゴデゥバのチョコレートを貰ったことが有りました・・・
一杯外で飲み歩いていた時期です。壮年でもお金を使えばもてるんですよ。
あ~あ・・・

  ☆ カナダのバンクーバーで冬季オリンピックが始まりました。
    頑張れ日本

 

母は母娘は娘のバレンタインの日           山田弘子

 

呼び交す烏もバレンタインの日             渡邊千枝子

 

私の中の号外バレンタインの日             石山正子

 

わが妻に永き青春桜餅                  沢木欣一

 

さくらより少し色濃し桜餅                  森澄雄 

 

  ☆ 余談 ☆

日本語には独特の個性があり、特に母音の数によって一句にかもすリズムや明暗など
が違ってきます。テクニックとしてそれを使うことは至難ですが、結果的にそれで成功した
例もあります、ここで芭蕉の一句を例にご紹介します。

a=雄大 i=軽快 u=沈静 e=温雅 o=荘重 

 sizukasaya/iwanisimiiru/seminokoe

上五では iが1 uが1 aが3  となり 雄大なイメージから始まります
中七では iが5 aが1 uが1  となり 軽快なリズムをつくっています
下五では eが2 iが1 oが2  となり 温雅と荘重 で 締めくくっています

これを芭蕉が意識下で詠んでいるとは思いませんが、日本人の音に対する感覚は
時代には関係なく続くものなのでしょう。
作句より鑑賞するときに、こんな事も頭の片隅にあれば楽しくなると思います。

  余談の余談 

冬季オリンピックを変換したら陶器オリンピックと誤変換になりました。冷たそう

 


 
 

 

       

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2月 13日

2010-02-13 00:13:54 | Weblog

             クリックすると新しいウィンドウで開きます

 

         ( 目刺 )

 

5,6匹の鰯に,藁や竹串を通して干した干物。現在は真鰯、うるめ鰯、せぐろ鰯
などがほとんどです。江戸時代に小串に白魚を並べほした「白魚の目刺」が好まれ
たために,白魚の旬の春の季語になりました。 鰯は秋の季語です。

 

殺生の目刺の藁をぬきにけり               川端茅舎

 

目刺の口一列に軍隊の右むけ右             宮坂静生

 

文庫本伏せては目刺返すなり                岡田貞峰

 

ぼろぼろの一書を愛し目刺焼く                               岩西多加志


 赤塚植物園 節分草

 ☆ 余談 ☆

書架には句集や俳句関連の本が多めに並んでいます。兄の蔵書まで受け継いでいるので。
欲しくて集めはしたものの現代俳句大系、鑑賞現代俳句全集を全巻読むのは至難のこと、
仕事をリタイヤしてもっと時間が出来てからと決めている、それでも好きな俳人の項は通読して
います。 
一番の愛読書は神田の古書店で空積みしてあった、角川新書、秋元不死男の「俳句入門」
最初から裏表紙が無くて¥50.-その上赤鉛筆,カラーマーカー、ペンと書き込んでいるから
何だか、落書き帖のようになっています。 まさに今日の一句ぼろぼろの一書を愛し目刺焼く
です。現在使っていませんが当時の季寄せも各季ごとの文庫本サイズ、これも古本で一冊
¥50-~¥100.- 余りにも字が小さくて疲れた私の目には無理となりました。 
毎年の事、いい加減捨てなくてはと思っても,捨てられない物に俳句の本があります。
きっとどなたも同じようでしょう。

昨年,一つ思い立って始めた事があります。大好きな俳人「細見綾子」だけの、自分だけの
歳時記を作ろうと毎日少しずつ作業をしています。今のところ立風書房刊、「細見綾子全句集」
をスキャナーで取り込んでいますが、「桃は八重」「冬薔薇」「雉子」和語」「技芸天」「曼荼羅」
の六句集,曼荼羅以後の句、補遺として句集に載らなかった句を入れると3500~4000句
になるのでは無いでしょうか?どれだけ掛かるか分かりませんが、作句活動だけでなく、そんな
作業をしようと思い立ったのも、俳句人として、ほんの少し成長したのでしょうか?




        

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2月 12日

2010-02-12 00:12:55 | Weblog

          ( 三椏の花 )

 

「即物具象と切れ字・かな」
皆さんご承知の切れ字「かな」この切れ字は大方下五に付くのが慣例で、ほとんどが
詠嘆の意をあらわします。今ころころが学んでいる「即物具象」の俳句は詠嘆や主観
を抑えて「物」に詩情を預けます。ですからむやみに「かな」を付けると,厄介な句に
なる可能性があります。切れ字の中では「けり」も次いで難しい扱いです。

私が長い間学んできたのが「物」ではなく「事」でした。
。「沖」は伝統の中の新しさ,俳句の装飾美・つまり経験(写生)からの創作。
俳句=詩と捉え机上吟でも作品の出来が中心。(大雑把な掴みですが)
私が今学んでいる俳句とは全く180度違う俳句でした。
それでも、学ぶというのは楽しい。難しいから楽しい。それがころころの俳句感です。
俳句作品では「物」に悩み、結社活動では「事」に悩み。 変ですね。

 

三椏の蕾のまゝの長かりし             平山愛子

 

やすらぎや三椏は咲き垂るる花          林翔

 

三椏や皆首垂れて花盛り              前田普羅

 

家系亡びて三椏の花ざかり             鷲谷七菜子

 





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2月 11日

2010-02-11 00:00:31 | Weblog

       ( 桜貝・建国記念の日 )

 

戦前までは紀元節と言われ、昭和41年に建国記念の日として復活しました。
昔の趣を詠む場合には旧紀元節と詠んだ例句もありました。

今日は俳句のリズムに関して、五音、七音の持つ性格を大まかに書いたものが
有るのでご紹介します。
例えば 五音を 2と1の音のリズムに分けてみます
     閑かさや( 2.2.1 ) 蝉の声( 2.1.2 )
 七音は 岩にしみ入る  ( 2.1.2.2 )
その他 七音の組み合わせは ( 2.2.1.2 )( 2.2.2.1)が有ります
五音→(2.2.1)→連続的で軽い律奏
   →(2.1.2)→落ち着く律奏

七音→(2.1.2.2.)→終止的な静かな律奏
   →(2.2.1.2.)→連続的な軽い律奏
   →(2.2.2.1.)→弾力的な急調な律奏

全てこれに当てはまるとは思いませんが、推敲の参考になれば。

 

ぬか床を起し建国記念の日          竹元湖邑

 

いと長き神の御名や紀元節           池上浩山人

 

砂も亦美しきかな桜貝              高浜虚子

 

紀の海の波より生れし桜貝            田畑美穂女

 

桜貝見せてのひらのさくらいろ          荒井英子

 赤塚植物園(セリバオウレン)

 ☆ 余談 ☆
今月初めの句会の反省会(お酒あり)の時、同期のSさんが言った一言
ころころさんは結社の中での昇進は課長どまりだね。失礼なと思いつつも、言い得て妙
可笑しくてなりません。もしかしたら「浜ちゃん」?
確かに「浜ちゃん」(釣バカ日誌)。出世も考えていなかった。好きな事にまっしぐら。
それでもいいや、と思っている。
俳句は作品が一人歩きすればそれでいい。飯田龍太の言葉に「俳句は無名がいい」これは作品だけが評価されればいいと言うこと。 ころころの座右です。




 

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2月 10日

2010-02-10 00:23:48 | Weblog

         ( 黄梅・迎春花 )

 

発見と発掘」を独白する前に補足ですが、ポエジーって何?と聞かれれば
受け売りですが「詩的精神」のことと認識しています。
さて、佳句の条件の一つに驚き、発見のある句というのがあります。
最近、発見ではなく発掘しているような句を見かけます
勿論、発掘が悪いわけでは有りませんし、それを上手に句に仕立てる努力は大したものです。
ただそれで句会などで好評を得ると、したりとそのような句ばかりを詠みはじめます。
言い方を変えれば発見は偶然であり,発掘は必然のように思われます。

読者が驚くものを先に捉え、それを中心に句作りをします。つまりシナリオのある発見なのです。  多くの俳句を鑑賞していればそれは偶然の発見の句との違いをすぐに感じます。驚きが中心ではポエジーは薄れると言う事です、句会ではそう言う句が多く採られ、また作者もその技法を良しとしてしまう。ある意味点取りの俳句で近道なのです。そのやり方も否定はしませんが尊敬する、目指すものではないと思います

句作と平行してもっと多くの句集や俳論集を読むことをお勧めします
少し自慢話ですが、ころころの初学の頃は一日少なくとも6時間~8時間
仕事を終えてからそうしていました。

 

 

黄梅のともしびに似て吹かれけり          亀田水炎

 

黄梅を買ふに買ひ来し鍬が邪魔           辻 桃子

 

魁けし花は黄光迎春花                                阿波野青畝

 

雪靄のたつ朝市の迎春花                          石原八束



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2月 9日

2010-02-09 00:08:12 | Weblog

         ( 春燈・春灯 )

 

昨日の続きになりますが、俳句は文芸として学んでいるころころ。勿論「学」として
捉えて学ばれている方もいるのでしょう。
「芸」だから師匠の手本をななぞり、真似ることで近づくのが常道です。
昔聞いた話に、余りにも師の句をなぞっていくうちに、句会に師匠の句を出して
しかも師匠同席であったらしい。師匠は笑ってご自分の句の講評までしたそうです。
この真似るですが、師匠以外の、高名な句ならまだしも,どこかの俳句大会で
特選になった句や別の結社誌、新聞、雑誌、IT句会からの真似となると悪く言えば
盗作、よく言っても類句と言われるのです。
結社においては多作作家なら問題は無いのですが、寡作作家の切羽詰った状態
からそのような行為に走ってしまう事が多いそうです。
気をつけようではなく、絶対にしなという覚悟が詠み手のプライドです。
作品の成績、結果は兎も角、詠み手として胸を張っていられるのは自分独自の作品
だからではないでしょうか?
少なくともころころが投句をする前には検索にかけて「類句」が無いか調べてして
います。それでも句会で類句が有ると言われますが、裏付けがあるので胸を張って
いられます。

「発見と発掘」明日はそんな話をしてみたいと思っています。乞うご期待!

 

子の眠る春燈父の病む春燈         深見けん二

 

春燈にひとりの奈落ありて坐す        野澤節子

 

春燈の見上ぐるたびに光り増す        大野林火

 

春灯や女は持たぬ喉佛                          日野草城

 

春灯を一人占めして夫の留守                   西村和子


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