( 二月 )
「俳句のポエジー」
俳句は十七音の短詩、ですが詩といっても西欧の詩情「ポエジー」とは大きく違います。
また同じ日本の文化の中にある「歌のポエジー」とも温度差があります。
歌(和歌)と俳句の捉えどころが違うためかとも思いますが,あくまでころころの体験
でしか言えませんのであしからず。
ものの本によれば俳句独特のポエジーは枯淡とか閑寂とか侘しさ、野趣とか俳諧味
らしいのですが、大まかに言えば,咲く梅の枝に鳴く鶯は歌人の歌いどろこであり、
鶯の糞や咲く梅の他人の庭の洗濯物までを詠むことが俳人の新しさ、発見として
詠みこむのが俳句。いかにも大雑把ですが、つまり捉えどころが違うと言いたかった
のです。貴族の芸術であった和歌と庶民の文芸としての俳句です。
文芸であるから俳句をしない人の心にも届くことが大切な事だと思います。それを
俳句のポエジーの一つとも思っています。
難しい語彙、漢字、を並べ知識ぷんぷんの句を見かけますが、その努力が勿体無い。
竹林の月の奥より二月来る 飯田龍太
暮色もて人とつながる坂二月 野澤節子
詩に痩せて二月渚をゆくはわたし 三橋鷹女
伊吹嶺に青空触るる梅二月 桂樟蹊子
二月尽天城山葵に涙して 細見綾子