熊本熊的日常

日常生活についての雑記

夏の風に吹かれて

2008年05月10日 | Weblog
先日、暖かくなったという話を書いたが、今日は暑い。もう夏本番である。夕方、近所のGreenwich Parkという公園に散歩に出かけたら、そこらじゅうピクニック集団だらけである。芝生にレジャーシートを広げてビールやワインを手に楽しげに語らい合う人々、その隙間を縫うようにフリスビーで遊ぶ人々、アスファルトが張ってある広場ではローラーブレードを楽しむ人々。一年を通じて、曇りや雨の日が多く、日照時間が限られているので、たまに天気が良いと広場はあっという間に人で埋まる。

見た目には長閑な風景だが、景気は下降に転じ、物価はエネルギー関係を中心に上昇中で、世の中は見た目程には安穏とはしていないようだ。今月1日の統一地方選では国政与党の労働党が大敗を喫した。ロンドンでも市長選挙と市議会選挙があったが、2期8年を勤め上げた実績を掲げて選挙戦を戦った現職市長が国政野党である保守党が推す候補に破れた。

日本でもそうなのだが、地方選挙は国政の影響を受け易い。景気とか税制といった市民生活に直接関わることで、地方自治体の首長にできることは限られているのだが、選挙民に国政と地方政治に区別を求めるのは酷というものだろう。現職市長の施策の下で、治安が改善したり交通網の整備が進んだという生活面での目に見える実績があっても、金融不安とか原油価格の上昇といった市長の守備範囲を超えた世界での逆風のほうを市民は敏感に意識するものである。

人は現在を生きている。過去に享受した利益は比較的容易に忘れ、過去に甘受した苦難は記憶に刻み、自分に都合の良いことは都合の良いように記憶し、都合の悪いことは他人の所為だと認識するものである。程度の差こそあれ、誰もが身勝手なものである。困難な状況を目の前にすると、多くの人はそれに対峙しようとはせずに、習慣に逃げ込む。曰く「前例がない」「そんなことをする人は身の回りにいない」「フツーはそんなことしない」。その習慣に問題があったからこそ、目の前の困難があるというような状況下ですら、習慣に逃げようとする。そして困難は一層深くなる。

来年の夏も、皆こうして草上のひと時を楽しむのだろうか。