今日は仕事が忙しかった。作業量という点では、先週の木曜や金曜のほうが多かった。しかし、自分が感じる負荷という点では今日のほうが重かった。同じ負担でも、それをどのように分散するかによって認識する負荷の値は異なり、当然、処理能力も変化する。
昨年11月3日付のこのブログに無印良品でベッドを買ったという話を書いた。そのとき、それを読んだ東京在住の友人からメールが来た。その人も無印でベッドを買ったのだそうだ。ただし、配偶者の強い意向があって、ベッドの上に布団を敷いて使っているのだという。寝心地が悪くてかなわないので、マットレスを買おうと思うので、寝心地を教えてくれ、という主旨だった。ベッドというのはマットレスを敷いて使うことを前提に作られている。マットレスには金属製のスプリングが組み込まれており、寝心地を良くすると同時に、重量の負荷を適度に分散するようにできている。ベッドに布団、という利用の仕方だと、重量の分散がなされないので、最悪の場合、ベッドの構造が破壊されることになる。そのような話を返事に書いて送っておいた。その後、その友人宅のベッドがどうなったかは知らない。
昨年、こちらへ引っ越すまで、都内のとあるマンションの管理組合の理事長をやっていた。月に一回程度の割合で管理会社からの報告を受けるのだが、あるとき管理会社の窓口役の人が唐突に交代した。鬱病になってしまったのだそうだ。後任の人が語るところによれば、たまたまご両親が同時期に病気になり比較的短期間のうちに相次いで亡くなられたのだそうだ。その後すぐに奥様も病気で亡くなり、お子様が事故で亡くなってしまったのだそうだ。確かに、そのような状況に遭遇すれば、心身の健康を維持するのは至難であろう。
そのマンションを買うのにローンを組んだ。ローンの返済は、収入のある割合を超えなければ、それほど負担にはならない。金利負担の金額に注目すれば、なるべく短期間で返済するのが負担する金額を抑える有効な方法である。しかし、短期間で返済すると毎月の返済額は重くなる。長期間に分散すれば、負担する金利の総額は大きくなるが、日々の暮らしに対する負担は小さくなる。
3本の矢、という有名な寓話がある。矢を3本いっぺんに折ることはできないが、1本ずつなら折れるという話だ。
解決しなければならない課題が山積みになっているとき、それを整理して上手く分散すれば、思いの外容易に解決できる、ということになるのだろうか。逆に、それほど過大な負荷でなくとも、取り組み方を間違えると解決不可能に陥ってしまうということなのだろうか。物事を整理して、適切に分散することができれば、我々は思いの外たくさんのことができるのかもしれない。
昨年11月3日付のこのブログに無印良品でベッドを買ったという話を書いた。そのとき、それを読んだ東京在住の友人からメールが来た。その人も無印でベッドを買ったのだそうだ。ただし、配偶者の強い意向があって、ベッドの上に布団を敷いて使っているのだという。寝心地が悪くてかなわないので、マットレスを買おうと思うので、寝心地を教えてくれ、という主旨だった。ベッドというのはマットレスを敷いて使うことを前提に作られている。マットレスには金属製のスプリングが組み込まれており、寝心地を良くすると同時に、重量の負荷を適度に分散するようにできている。ベッドに布団、という利用の仕方だと、重量の分散がなされないので、最悪の場合、ベッドの構造が破壊されることになる。そのような話を返事に書いて送っておいた。その後、その友人宅のベッドがどうなったかは知らない。
昨年、こちらへ引っ越すまで、都内のとあるマンションの管理組合の理事長をやっていた。月に一回程度の割合で管理会社からの報告を受けるのだが、あるとき管理会社の窓口役の人が唐突に交代した。鬱病になってしまったのだそうだ。後任の人が語るところによれば、たまたまご両親が同時期に病気になり比較的短期間のうちに相次いで亡くなられたのだそうだ。その後すぐに奥様も病気で亡くなり、お子様が事故で亡くなってしまったのだそうだ。確かに、そのような状況に遭遇すれば、心身の健康を維持するのは至難であろう。
そのマンションを買うのにローンを組んだ。ローンの返済は、収入のある割合を超えなければ、それほど負担にはならない。金利負担の金額に注目すれば、なるべく短期間で返済するのが負担する金額を抑える有効な方法である。しかし、短期間で返済すると毎月の返済額は重くなる。長期間に分散すれば、負担する金利の総額は大きくなるが、日々の暮らしに対する負担は小さくなる。
3本の矢、という有名な寓話がある。矢を3本いっぺんに折ることはできないが、1本ずつなら折れるという話だ。
解決しなければならない課題が山積みになっているとき、それを整理して上手く分散すれば、思いの外容易に解決できる、ということになるのだろうか。逆に、それほど過大な負荷でなくとも、取り組み方を間違えると解決不可能に陥ってしまうということなのだろうか。物事を整理して、適切に分散することができれば、我々は思いの外たくさんのことができるのかもしれない。