熊本熊的日常

日常生活についての雑記

「ヘッジホッグ」

2008年05月17日 | Weblog
金融市場に関連した仕事のおもしろさは、人間の欲望を間近に感じることができることだと思う。お金というものが、富の象徴である限り、人はその獲得を目指して右往左往する。市場経済においては、ありとあらゆるものが貨幣価値で表現され、その財貨の保有量と獲得能力が人間に対する評価の軸を形成する。人間の行動原理は、他の生物種と同様、自己保存であるから、自己の遺伝子を残すという命の奥深い所から発せられる指令に従い、自分の貨幣価値を高めるべくあくせくするのである。手っ取り早く、かつ合法的に、貨幣を獲得できるかもしれない場所が金融市場だ。一応「投資」と名付けているが、要は、貨幣を右から左へ移転させるだけで増やそうという、錬金術のようなことを公然と行う場所である。

さすがに、無から有を産み出すということは、金融市場といえどもできない。しかし、10を100にしたり、100を1にしたりというのはそれほど困難なことではない。何故なら、人はそれぞれに価値観を持ち、その価値観に従って物事を評価するので、ある人にとって10の価値があるものは、別の人には100の価値に見えたり、1に見えたりするからである。そこに交換機会が生じ、上手く適切な相手を見つけることができれば、1が10に、10が100に変わるのである。その交換機会を制度化したものが金融市場である。

ギャンブラーというと、怪しげな人物を思い浮かべ、ファンド・マネージャーというと絵に書いたような秀才を思い浮かべるかもしれないが、やってることはどちらも同じようなものだ。おそらく、見た目が違うとしても、一皮剥けば、中身は同じだろう。彼等に求められるのは、その様々な価値観の持ち主である人間に対する洞察力と幸運である。

さて、「ヘッジホッグ」だが、著者の人間観察が興味深かった。長年にわたり米国大手投資銀行でリサーチや運用に携わり、2003年からはヘッジファンドを立ち上げ、その経営をしているという人が語る投資家たちの横顔は、この世界で生き残るにはどのような資質が必要なのかということを示唆している。結局、それは投資家としてという以前に、人として生きて行くのに必要なのは何か、ということを語っているようにも思えるのである。それが何なのか、自分のなかで大いに感じるものがあった。あまりに深く感じたので、誰にも言わないことにする。