熊本熊的日常

日常生活についての雑記

国民とは何者か

2008年05月16日 | Weblog
同僚がイギリス国籍を取得した。彼の国では二重国籍が認められているので、晴れて2つの国籍を持つことになった。

英国籍を持つことメリットを尋ねたら、EU域内でどこでも就労できることだという。確かに理屈ではそうだろうが、それほど容易なことではないだろう。つまり、英国籍を持っていても、現実にはそれほどのメリットがあるとは思えないのである。

ところで、国民とはなんだろう?

And so, my fellow Americans: ask not what your country can do for you - ask what you can do for your country.

あまりにも有名な、ケネディ米大統領就任演説の一節である。この言葉に国民のあるべき姿が描写されており、同時に民主政治の本質が表現されている。

かつて、国家は支配者と領民との上下関係によって成り立っていた。支配者は領民から税を徴収し、戦時には軍事力として領民を徴発する代わりに、領民に対して生活の場を与えていた。領民の立場からすれば、国家は自分たちに保護を与えてくれる存在であったと言える。

民主国家は、国民の代表者が政治を司ることになっている。つまり、政治権力は国民と対等の関係なのである。ということは、国民は自分の問題として政治を考えなければならないという状況に置かれている。対等の関係とは、互いに権利と義務を持ち合う関係なのである。従って、真の民主国家が成り立つためには、国民の誰もが政治家になることができるほどの見識を備えていなければならないということだ。民主国家というものが未だに成立し得ない理由はここにある。

さきの引用は、大統領という立場から国民に呼びかけたものだが、”country”を他の言葉に置き換えれば、組織とその構成員との関係、人間と人間との関係にまで敷衍することのできる普遍性を持っている。

人も含めて、生き物の行動原理は自己保存だと思う。人の場合は、エゴとして自分の欲求や要求ばかりを相手に突き付け、自分が相手に何をする用意があるのかという視点が無いことが多い。昔、「くれない族」という言葉が流行したが、そう呼ばれる人たちが恐らく大多数を占めているのが現実なのだと思う。民主政治というものは幻想なのである。権利と義務が表裏一体のものであるということを理解しようとしない人に、社会の仕組みが理解できるはずもなく、秩序を守ることなど期待のしようもない。人間の社会とは、本質的に不安定なものと言える。

それならば、複数の国籍を持ち、必要に応じて使い分けるというのは、それが実際に可能であるか否かは別として、少なくとも気持ちの上では生命保険に加入しているような安心感があるのではないだろうか。

さて、国民とは何者なのだろう?