日本では今日が母の日である。イギリスではイースター・サンデーの3週前の日曜(今年は3月2日)なのでもう終わっている。この日がどういう日なのか全く知らなかった。自分の母親は今も元気でいるが、母の日だの誕生日だのというものを祝ったことが殆どない。私は不孝息子である。
言い訳になるが、特定の日だけ取り出して、そこでつまらない贈り物をしたりして、形を整えることに意味があるとは思えないのである。母親が大事だと思えば、日頃から気をかけ、余計な心配をかけず、自分の生活をきちんとしていればよいと思うのである。そんな習慣が自分の中にできあがってしまったので、今更何か変わったことをする気も起らない。
それでも、このところ無沙汰をしていたので、今日はご機嫌伺いに電話をかけてみた。想定していた通り、こちらはほぼ一方的に聞き役に徹することになった。それで相手の気分が良くなるのなら、結構なことである。
ところで、子供が言葉や立ち居振る舞いを覚えるのに最も大きな動機付けとなるのは親が喜ぶ姿だということを聞いたことがある。人間の子供というのは親の庇護がなければ生きることができないので、親の期待に応えることで生活の糧を得るのだという。親も自分の役割意識というものが必要なので、子の世話に励むのである。ここに互恵的関係が成立する。やがて、子には自我が芽生え、親とか学校の教師といった身近な権威に対する反抗心が生まれる。ほぼ同時期に肉体的にも成熟し、異性を意識するようになる。そうして、日常生活のなかで様々な葛藤を経験して、精神面でも成長が加速する。
子は、成長して自活能力を獲得すれば、親の庇護は必要なくなるはずなのだが、長年の習慣を変えることは容易ではないらしく、いくつになっても親に依存し続ける人もいるようだ。あるいは成長過程で何かが欠落し、巣立つ意識が育たないということがあるのかもしれない。親もそうした子の依存を当然のように受け止める。未成年の保護育成という大義名分がもはや存在しない状況下での親子の相互依存関係が、それぞれのエゴに基づいて継続することになる。
子がいつまでも精神的・経済的に親への依存を止めず、親も子離れせずに親という権威に安住する。生物としては不自然でも、当事者にとっては何の不自由もないのだから、ますますその相互依存関係は強くなる。かくして、我が国では婚姻数が減少の一途を辿り、それに従って出生数も減少を続ける。このままでは、誰もいなくなるのだろう。
国の政策として少子化対策が議論されているようであるが、親子関係の過度の癒着に問題の一端があるのだとしたら、親世代の権威を揺るがす現実が、子世代の依存を解消し、自立を促進することになるのではないか。例えば、年金制度が破綻し、親世代の経済力が低下すれば、子世代は否応無く生活防衛のために新たな家計単位(家庭)を創造し、親世代から自立した生活圏を形成するようになるのではないだろうか。世の中は常に変化するものである。少子化というのは、一時的な現象に過ぎないと私は思っている。
言い訳になるが、特定の日だけ取り出して、そこでつまらない贈り物をしたりして、形を整えることに意味があるとは思えないのである。母親が大事だと思えば、日頃から気をかけ、余計な心配をかけず、自分の生活をきちんとしていればよいと思うのである。そんな習慣が自分の中にできあがってしまったので、今更何か変わったことをする気も起らない。
それでも、このところ無沙汰をしていたので、今日はご機嫌伺いに電話をかけてみた。想定していた通り、こちらはほぼ一方的に聞き役に徹することになった。それで相手の気分が良くなるのなら、結構なことである。
ところで、子供が言葉や立ち居振る舞いを覚えるのに最も大きな動機付けとなるのは親が喜ぶ姿だということを聞いたことがある。人間の子供というのは親の庇護がなければ生きることができないので、親の期待に応えることで生活の糧を得るのだという。親も自分の役割意識というものが必要なので、子の世話に励むのである。ここに互恵的関係が成立する。やがて、子には自我が芽生え、親とか学校の教師といった身近な権威に対する反抗心が生まれる。ほぼ同時期に肉体的にも成熟し、異性を意識するようになる。そうして、日常生活のなかで様々な葛藤を経験して、精神面でも成長が加速する。
子は、成長して自活能力を獲得すれば、親の庇護は必要なくなるはずなのだが、長年の習慣を変えることは容易ではないらしく、いくつになっても親に依存し続ける人もいるようだ。あるいは成長過程で何かが欠落し、巣立つ意識が育たないということがあるのかもしれない。親もそうした子の依存を当然のように受け止める。未成年の保護育成という大義名分がもはや存在しない状況下での親子の相互依存関係が、それぞれのエゴに基づいて継続することになる。
子がいつまでも精神的・経済的に親への依存を止めず、親も子離れせずに親という権威に安住する。生物としては不自然でも、当事者にとっては何の不自由もないのだから、ますますその相互依存関係は強くなる。かくして、我が国では婚姻数が減少の一途を辿り、それに従って出生数も減少を続ける。このままでは、誰もいなくなるのだろう。
国の政策として少子化対策が議論されているようであるが、親子関係の過度の癒着に問題の一端があるのだとしたら、親世代の権威を揺るがす現実が、子世代の依存を解消し、自立を促進することになるのではないか。例えば、年金制度が破綻し、親世代の経済力が低下すれば、子世代は否応無く生活防衛のために新たな家計単位(家庭)を創造し、親世代から自立した生活圏を形成するようになるのではないだろうか。世の中は常に変化するものである。少子化というのは、一時的な現象に過ぎないと私は思っている。