熊本熊的日常

日常生活についての雑記

娘へのメール 先週のまとめ

2008年05月25日 | Weblog

中間テストおつかれさまでした。もうすぐ期末テストですから、今度は追試にならないようにしましょう。

読書会とは何をするのですか?戦争と平和を考えるというテーマで「みんな地球に生きる人」というのは、少し発想が貧困であるように思います。尤も、その本は読んだことがありませんが。

戦争というものを直接経験していなくても、自分の生まれ育った国は過去に何度も戦争を経験しているわけですから、自分が意識するとしないとにかかわらず、我々は戦争の影響を受けているわけです。その国民としての記憶をどのように意識し、そこから何を感じ取るか、ということが大事であるように私は思
います。中学生にどこまで要求するかという問題はさておき、すくなくとも「戦争はいけないと思います、平和になるように努力しなければならないと思います、チャンチャン。」では戦争と平和を考えたことにはならないでしょう。生徒の立場からすれば、つまらない課題図書を与えられて、それについて何事
かを語るというは難儀なことです。心にも無い模範解答的な感想を語り合ったところで、何も得るものはないでしょうから、いっそのこと、ここはひとつウケを狙うということでよいのではないかと思います。

戦争と平和、ということで自分が最近読んだ本のなかで印象深かったのは以下のような作品です。
フィリップ・クローデル「リンさんの小さな子」みすず書房
淵田美津雄「淵田美津雄自叙伝」講談社
半藤一利「山本五十六」平凡社

内容について書くと、それが先入観となって自分なりの理解の妨げになるので書きませんが、特に「リンさんの小さな子」は機会を見つけて是非読んで欲しいと思います。他にも古典と呼ばれる作品はたくさんあります。時代の淘汰を経て残っている作品にはそれなりの力があります。それが何なのか、自分の目
で確かめてみるのは無駄にはならないでしょう。例えば
レマルク「西部戦線異状なし」新潮文庫
マルタン・デュ・ガール「チボー家の人々」白水社
もちろん、「アンネの日記」や「はだしのゲン」も今や古典の部類に入ることはほぼ確実でしょう。

先週は福田恒存「人間、この劇的なるもの」と上野千鶴子「おひとりさまの老後」を読みました。「人間、この劇的なるもの」は昭和35年に刊行された本ですが、今年2月に復刊されました。確かに、それほど新しい考え方ではないのに、それがいかにも社会一般とは一線を画しているかのような書き方が見られ
たりするところもありますが、シェイクスピアの演劇やサルトルの小説を通して人のあり方を考察するという普遍的な内容を持つ作品なので、最後まで興味深く読むことができました。「おひとりさまの老後」は一見するとハウツー本ですが、人の習性についての著者の深い洞察に溢れており、楽しい内容の本で
した。

今年の年末か来年1月に帰国することになりました。ロンドンの夏はこれが最後になります。ですから、この機会にロンドンへ遊びに来る気持ちがあるのなら、そうして下さい。往復の航空券はこちらで用意します。9月の一時帰国は休暇ですから、君の都合に合わせて柔軟に対応します。

では、また来週。


Thames Path

2008年05月25日 | Weblog
近々、両親が訪ねてくる。その宿泊予定のホテルまで歩いて行ってみることにした。

午後5時頃、家を出て、Greenwich Parkを横切り、テムズ川べりに出て、そこから川に沿ってWaterloo Bridgeまで行こうと考えた。テムズ川にはThames Pathという遊歩道が整備されている、と思っていた。しかし、それは勝手な思い込みだということがすぐに明らかになった。グリニッチのCutty Sarkから川沿いの歩道を歩き始めるとすぐに行き止まりになる。Creek Road (A200)という大通りに出て、しばらくはその通り沿いを歩く。所々に”Thames Path”という標識があり、その誘導に従ってA200からGrove Street (B206)へ進む。静かな通りだが、雰囲気はなんとなくアブナイ感じだ。結局、川に出ることなく、道はA200へ戻ってしまう。ただの迂回路だった。そのままA200を進むと右手にSurrey Quays Shopping Centreが現れる。さらに行くとSt. Olav’s Squareというラウンドアバウトがあり、それを越えたところに公園がある。その公園を突っ切ると、ようやく川べりに到達する。遠くにTower Bridgeが見える。橋の向こうにSt. Paulのもっこり屋根があり、橋の右側にシティのビルが並ぶ。川面には水鳥がうじゃうじゃ飛び交い、小さな船が行き交う。まだ目的地はずっと先だ。ほどなく、この川沿いの道も行き止まりになる。時刻は午後6時半。Jamaica Roadと名前を変えたA200に戻り、そこからバスに乗ることにする。

バスを待っていると、近くに地下鉄の駅の入口があることに気がついた。Jubliee LineのBermondsey駅である。地下鉄に乗るという選択肢もあったが、普段は滅多にバスに乗らないので、たまにはバスに乗ろうと思い、そのままバスを待つことにした。ほどなくして路線番号47のバスが来た。本当は188に乗りたかったが、いつ来るかわからないので、それに乗ってしまった。

バスはそのままA200を進み、London Bridgeを渡る。そこから目的地とは反対方向へ進み始めたので、バスを降りた。Cornhillという通りを歩く。やがて右手に取引所の建物が現れ、Bank of Englandの角に出る。Cheapsideを西に進む。ここは見覚えのある通りだ。昔、勤務先の本部がここにあり、出張で2回ほど訪れた。リストラで解雇されてしまったが、その勤務先も無くなっていた。と、思ったら、この通りに続くNewgate Streetに以前よりも立派なビルを構えていた。その角を南に折れ、City Thameslinkの駅の前を通って、そのまま西へ進む。裁判所の建物の前を過ぎ、ようやく目的地に到着した。時刻は午後7時15分くらい。

場所を確認し、ロビーの様子もだいたいわかったので、家に引き返す。もう歩かない。何本がバスをやり過ごした後、路線番号1のバスに乗る。本当は188に乗りたかったが、いつ来るかわからないので、それに乗ってしまった。

バスはWaterloo Bridgeを渡り、Elephant & Castleまで直進する。そこから東へ折れ、New Kent Roadを行く。その曲がり角を過ぎたあたりに無人の188番バスが停車していた。故障のようだ。路線バスが故障で運行不能になるというのは珍しいことではない。20年ほど前にマンチェスターで暮らしていた時も、よりによって自分が乗っていたバスが故障で立ち往生してしまった。そのような時、料金の払い戻しは、当然、無い。

日本でも大昔にはそのようなことがあった。子供の頃、やはり自分が乗っていたバスが立ち往生してしまった。運転手がボンネット(そのバスはボンネット型のバスだった)を開けると、白い煙がふわっと立ち上った。その時、私はまだ5歳くらいで、母とどこかへ出かけた帰りだった。自宅のある場所からそれほど遠くはなかったので、バスを降りて歩いていたら、そのバスが復活して私たちを追い越して行った。

立ち往生していた188を通り過ぎ、通りの名前からNewが取れたKent Road (A2)を南西へ進む。やがて左折してRotherhithe New Road (A2208)へ入り鉄道の高架をくぐると、来る時に通ったSurrey Quays Shopping Centreに突き当たった。このショッピングセンターの敷地の端が、このバスの終点、Canada Water駅である。ここからは地下鉄Jubliee Lineで帰る。途中、Sainsbury’sで食料品を買って、家に着いたのは午後8時半過ぎだった。外はまだ明るい。

これは昨日の話だ。今日は昨日と違って朝から雨。掃除と洗濯もしなければならないので、今日はどこにも出かけない。雨が上がれば、散歩くらいはするかもしれないが。