朝から雨だったので、夕方まで住処から出なかった。小三治のDVDボックスを漸く全て聴き終わり、改めて人とか芸とかの経年変化というものを見る思いがした。噺家の修行というのは、一体どのようなものなのだろうかと素朴に疑問に思う。やはり何事かを意識しながら、日々生活を送っているということなのだろうが、その「何事」と「意識する」ことの中身に興味を覚える。時々、落語会に足を運んだりするのだが、同じ噺でも演じ手によってずいぶん違ったものになる。よく「間」ということが言われるが、それは単なる調子とかリズムというものではなく、その人の内面から発せられる説明不可能な何かなのだろう。その説明不可能なものは、持って生まれたものということもあるだろうし、経験や意識で増えたり減ったりするものでもあるのだろうが、要するに、人に教えたり伝えたりできる類のものではないことは確かであるような気がする。
雨があがってから、住処を出た。実家へ行くのに、少し早めに出て、FINDに寄ることにする。別に用があるわけではないのだが、引き篭もりのような状態になってしまうのは、精神衛生上良くないので、なるべく人と交わることを心がけている。そうは言っても、日々の生活はどうしても単調になる。特に雨が降ったりして、出かけるのが億劫な状況に置かれてしまうと、休日などは住処から一歩も出ることなく終わってしまいそうになる。根が社交的なほうではないので、自分にとってはそれが自然なのである。意識しないと、つい安易に流れる。FINDには30分ほど滞留するつもりだったが、つい1時間近く長居をしてしまった。
実家から住処へ戻るとき、駅のホームで下弦の月に気が付いた。月の様子の割には、少し気温が低いと感じられる夜だった。
雨があがってから、住処を出た。実家へ行くのに、少し早めに出て、FINDに寄ることにする。別に用があるわけではないのだが、引き篭もりのような状態になってしまうのは、精神衛生上良くないので、なるべく人と交わることを心がけている。そうは言っても、日々の生活はどうしても単調になる。特に雨が降ったりして、出かけるのが億劫な状況に置かれてしまうと、休日などは住処から一歩も出ることなく終わってしまいそうになる。根が社交的なほうではないので、自分にとってはそれが自然なのである。意識しないと、つい安易に流れる。FINDには30分ほど滞留するつもりだったが、つい1時間近く長居をしてしまった。
実家から住処へ戻るとき、駅のホームで下弦の月に気が付いた。月の様子の割には、少し気温が低いと感じられる夜だった。