熊本熊的日常

日常生活についての雑記

手染の手拭

2011年05月20日 | Weblog
東京都足立区にある旭染工を訪ねた。ここは浴衣、手拭などの染織業者だ。白生地に練地を施す作業から始まって、型付、染色などを経て仕上げに至る一連の作業がそれぞれの専門職の手によって行われている。注染という技法が用いられ、完成した手拭は表だけでなく裏にもしっかりと染色されている。自宅に戻って日頃使用している手拭を改めて見ると、15本のうち両面が染められているのは6本だ。「○○染」というように染色技法を謳っている製品は両面が染められていて、ノベルティグッズとして無料で配布されているものや、土産物のような形態で販売されているものは片面染めだった。こうして改めて手にしてみないと意識もしないようなことだが、知ってしまうと、これから店頭に並ぶ商品や頂き物の手拭の裏が気になるようになるのだろう。

生活の豊かさというのは、手拭の裏への関心に象徴されるような、自分を取り巻くものに対する意識とか知識の深さを指すのではないだろうか。それはとりもなおさず、自分自身の在り方に対する意識の深さと言うこともできるだろう。日常の用に供される品々は、自分を取り巻くものと自分とのつながりを象徴していたりする。傍から見れば何でも無いものであったとしても、それらが自分自身の一部と感じられるならば、それこそが豊かさを表現するものなのではないだろうか。だからと言って、そうした自分の拘りに執着するあまりに費用が嵩むとか、量産できないがために希少価値が大きくなるといった結果、もの本来の用途との兼ね合いであまりに不釣合いなほど高額になってしまうと、人々の日常には組み込まれにくくなってしまう。自分の琴線に触れるようなもので、しかも日常生活のなかに自然に埋没しているようなものというのはなかなかありそうで無いものだ。尤も、手に入りそうで容易に手にすることができないからこそ、そこに豊かさがあるともいえる。