熊本熊的日常

日常生活についての雑記

長い日

2011年05月14日 | Weblog
昨日は午前6時45分に起床、身支度を済ませて7時15分に住処を出る。8時少し回った頃に吉祥寺に着き、駅前のベーカリーカフェでモーニングセットを頂いた後、8時半頃に学校に着く。9時から17時半頃まで何回かの休みを交えながら図法の実習。テーマはパースを起こすこと。実習の後、出勤して午前2時半まで勤務。そして今朝も6時45分に起床して、同じように吉祥寺の学校へでかけて実習に取り組む。今日は実習の後、日本橋で友人と会食。

製図は中学生の頃に技術家庭科の授業で経験して以来のことだ。慣れないことを時間を気にしながらやるのだから、消耗しないはずはない。疲労を超えて消耗なのである。それでも、自分が今まで意識しなかったようなことに目を向ける機会を得るというのは嬉しいことだ。立体を平面に翻訳するようなものなので、物事の考え方にも応用できるようなことがいくらもあるだろう。

ところで、今日の飲み会の店だが、我々以外に客が無かった。予約客しか受けない店なのでそれほど大きな規模ではない。以前に利用したときにはもう少し賑やかだった記憶があるのだが、他人事とは言いながらも心配になってしまう。先日聞いた話によると、家庭向けのビールテイスト、なかでもビールの消費量はここ数ヶ月の間、前年比でプラスに転じているのだそうだ。業務用は相変わらずのマイナスで、全体としてはなおもマイナスとのこと。家庭で水入らずの食卓を囲むのはけっこうなことだが、社会生活が貧弱になった結果として家庭に回帰しているとしたら、それもまた心配なことだ。創造とか創作というのは、結局は他者との交流のなかで発想が刺激されて生まれてくるものだろう。学校や職場のような場所でも勿論新たな刺激に満ちた出会いはあるだろうが、友人や仲間と打ち解けて会話をするなかで、新たな発見や気付きが生まれることも少なくないはずだ。概して飲食店の経営が厳しいと伝えられているが、それは不景気によるものばかりではなく、社会の変化の傾向として、人々が個人の世界から踏み出すことが減っているという所為もあるのではないかと思う。自分が意識しなかったことに目を向けるようになる機会を得るのは楽しいことなのだが、その楽しさを求めないというのは、なんだかもったいないことのような気がする。自分の世界とは異質なものに関わりあうのは、自分のなかの秩序が乱されて不愉快に感じられたり恐怖を覚えたりすることもあるかもしれない。しかし、そうした緊張のなかからしか、生きることに本当に必要なことは身につかないのではないだろうか。