昨日とは打って変わって暖かな晴天に恵まれる。午後、陶芸教室で私の先生の助手をしておられる人が荻窪のギャラリー・カフェで個展を開いているので拝見に出かける。原発事故以来の節電で山手線は空調を切っているので車内はかなり蒸し暑い。夏本番となったらどうなるのだろうと今から憂鬱になる。窓際の人が気を利かせて窓を開ければ少しはマシなのだろうが、生憎な状態で終始した。新宿で中央線に乗り換えると、こちらは駅の間隔が長い所為なのか、普通に空調が入っていてほっとする。しかし、照明が全て消えていて、車内が薄暗く、その様子がなんとも不気味だ。
個展会場のギャラリー・カフェは駅からすぐのところにある。一見して元は一般住宅だ。旗地で入口がわかりにくいが、建屋に至るアプローチがきれいに手入れされていて、ちゃんと迎えられている感じがする。玄関も住宅時代のままのもののようだが、扉の脇の細長い壁がガラスになっているのは、おそらく店舗に改装する際に手を入れたのではなかろうか。午後4時過ぎだったが、私が店に入った時点では他に客はいなかった。店内はギャラリーというよりカフェに物品の展示棚が少しあるという様子。カフェはカウンターのほかにテーブル席がひとつというこじんまりとしたものだ。カウンターは石材で、内装はこげ茶の木材と象牙色の壁のシンプルで清潔感溢れるもので、凛とした雰囲気が気持ちよい。店の人も落ち着いた感じで、居心地のよい店だ。作品を一通り拝見してから、コーヒーを一杯いただき、帰りがけにぐい呑みを一つ購入する。酒は飲まないのだが、佇まいが気に入ったので買うことにしたのである。
カフェを出て、中央線で新宿へ行く。世界堂でスクリーングに使うものを買い揃える。陶芸だの木工だのを道楽でやっているが、美術や工芸の専門教育を受けたことがないので、美大の通信課程に編入しても、授業を受けるのに必要な道具類を何一つ持っていない。こまごまとしたものだが、数が多いので、それなりの出費になる。世界堂の良いところは、必要なものが全て揃うことと、少なくとも定価よりは安いことだ。たいへん重宝する店だ。
新宿から山手線で大汗をかいて巣鴨に戻る。冷蔵庫にあるもので夕飯の支度をして、頂いて、一息ついて、片付けものを済ませると、連休もおしまいだ。去年の黄金週間もこれといったことはしなかったが、今年も何事もなく終わった。何事も無いのが何よりだ。何事かがあるというと、たいていはろくなことではない。それは私に限ったことなのか、世間一般としてそんなものなのかは知らない。ただ、街を歩いていると、あまり楽しそうに見える人というのがいない。見える、というのは多分に私の主観であることは承知しているが、総じて楽しげな世の中とは言えないのは確かであろう。
自分の置かれている状況を人に語るとき、冗談めかして、「坂の上の雲」の秋山好古のようなものだ、などと言う。日露戦争で敵のなかで孤立したとき、それでも耐えに耐えて後の形勢逆転につなげるのである。何が何でも軸足をしっかりとさせなくては、壊走するしかなくなってしまう。軸さえ保持できれば、そこを基点にして新たな展開が可能になるかもしれないのである。今は、その耐えているところだ、と言うのである。「坂の上の雲」とか日露戦争の黒溝台会戦といったことを知らない人には、秋山だの軸足だのと言っても何のことやらわからないだろうから、そういうことがわかる相手にしか語れない。そういう孤立感にも耐えなければならないが、耐えたところでその先に何があるのか知らない。
松山巌の「群集」を読んでいる。今、日露戦争で疲弊した戦後の世相のところなのだが、明治という時代も日本にとっては綱渡りの連続だったことが感じられる。その後の歴史を見るにつけ、なんだかんだと言いながらも今の自分がなんとか食いつないでいるのは奇跡のようなものだと思う。必然とか偶然ということをあまり考えもせずに口にしたりするが、突き詰めてしまえばすべては偶然なのではないだろうか。黒溝台でわずか8千の秋山支隊が、当時世界最強といわれたコサック騎兵10万の猛攻に耐えたのは、秋山の思考や指揮の卓越もあったかもしれないが、無数の偶然や僥倖に拠るところが大きいのではないか。時代が下って、太平洋戦争で焦土と化した日本が復興を遂げたのは、そこに冷戦という国際政治の構造のなかで日本の復興を急がねばならない状況が、日本の占領を主導した米国にあったという偶然に拠るところもあるのではないだろうか。
勿論、物事を成すのに志を持って精進することは必要だろう。しかし、そこに人、時、地の運といった、その人個人の努力だけではどうすることもできない要素が加わらなければ事は成らないだろう。好ましい偶然、あるいは僥倖を得るには、それを得ることができさえすれば歩みを進めることのできる状態を整えつつ、それが訪れるまで逆境を耐えるよりほかにどうしようもないのではないだろうか。耐えた先になにかがあろうがなかろうが、耐えるか堕ちるか二者択一でしかないから、ただ耐える。それでは希望がないから、耐えた先に何かがあるという幻想を抱く。生きるというのは、そういうことなのだろうか。
個展会場のギャラリー・カフェは駅からすぐのところにある。一見して元は一般住宅だ。旗地で入口がわかりにくいが、建屋に至るアプローチがきれいに手入れされていて、ちゃんと迎えられている感じがする。玄関も住宅時代のままのもののようだが、扉の脇の細長い壁がガラスになっているのは、おそらく店舗に改装する際に手を入れたのではなかろうか。午後4時過ぎだったが、私が店に入った時点では他に客はいなかった。店内はギャラリーというよりカフェに物品の展示棚が少しあるという様子。カフェはカウンターのほかにテーブル席がひとつというこじんまりとしたものだ。カウンターは石材で、内装はこげ茶の木材と象牙色の壁のシンプルで清潔感溢れるもので、凛とした雰囲気が気持ちよい。店の人も落ち着いた感じで、居心地のよい店だ。作品を一通り拝見してから、コーヒーを一杯いただき、帰りがけにぐい呑みを一つ購入する。酒は飲まないのだが、佇まいが気に入ったので買うことにしたのである。
カフェを出て、中央線で新宿へ行く。世界堂でスクリーングに使うものを買い揃える。陶芸だの木工だのを道楽でやっているが、美術や工芸の専門教育を受けたことがないので、美大の通信課程に編入しても、授業を受けるのに必要な道具類を何一つ持っていない。こまごまとしたものだが、数が多いので、それなりの出費になる。世界堂の良いところは、必要なものが全て揃うことと、少なくとも定価よりは安いことだ。たいへん重宝する店だ。
新宿から山手線で大汗をかいて巣鴨に戻る。冷蔵庫にあるもので夕飯の支度をして、頂いて、一息ついて、片付けものを済ませると、連休もおしまいだ。去年の黄金週間もこれといったことはしなかったが、今年も何事もなく終わった。何事も無いのが何よりだ。何事かがあるというと、たいていはろくなことではない。それは私に限ったことなのか、世間一般としてそんなものなのかは知らない。ただ、街を歩いていると、あまり楽しそうに見える人というのがいない。見える、というのは多分に私の主観であることは承知しているが、総じて楽しげな世の中とは言えないのは確かであろう。
自分の置かれている状況を人に語るとき、冗談めかして、「坂の上の雲」の秋山好古のようなものだ、などと言う。日露戦争で敵のなかで孤立したとき、それでも耐えに耐えて後の形勢逆転につなげるのである。何が何でも軸足をしっかりとさせなくては、壊走するしかなくなってしまう。軸さえ保持できれば、そこを基点にして新たな展開が可能になるかもしれないのである。今は、その耐えているところだ、と言うのである。「坂の上の雲」とか日露戦争の黒溝台会戦といったことを知らない人には、秋山だの軸足だのと言っても何のことやらわからないだろうから、そういうことがわかる相手にしか語れない。そういう孤立感にも耐えなければならないが、耐えたところでその先に何があるのか知らない。
松山巌の「群集」を読んでいる。今、日露戦争で疲弊した戦後の世相のところなのだが、明治という時代も日本にとっては綱渡りの連続だったことが感じられる。その後の歴史を見るにつけ、なんだかんだと言いながらも今の自分がなんとか食いつないでいるのは奇跡のようなものだと思う。必然とか偶然ということをあまり考えもせずに口にしたりするが、突き詰めてしまえばすべては偶然なのではないだろうか。黒溝台でわずか8千の秋山支隊が、当時世界最強といわれたコサック騎兵10万の猛攻に耐えたのは、秋山の思考や指揮の卓越もあったかもしれないが、無数の偶然や僥倖に拠るところが大きいのではないか。時代が下って、太平洋戦争で焦土と化した日本が復興を遂げたのは、そこに冷戦という国際政治の構造のなかで日本の復興を急がねばならない状況が、日本の占領を主導した米国にあったという偶然に拠るところもあるのではないだろうか。
勿論、物事を成すのに志を持って精進することは必要だろう。しかし、そこに人、時、地の運といった、その人個人の努力だけではどうすることもできない要素が加わらなければ事は成らないだろう。好ましい偶然、あるいは僥倖を得るには、それを得ることができさえすれば歩みを進めることのできる状態を整えつつ、それが訪れるまで逆境を耐えるよりほかにどうしようもないのではないだろうか。耐えた先になにかがあろうがなかろうが、耐えるか堕ちるか二者択一でしかないから、ただ耐える。それでは希望がないから、耐えた先に何かがあるという幻想を抱く。生きるというのは、そういうことなのだろうか。