公開講座 「民藝の未来形 試論と提案」 松井健(東京大学東洋文化研究所教授) 倉敷市立美術館講堂
大原美術館工芸館 見学
倉敷民藝館 見学
懇親会 倉敷アイビースクエア
倉敷を訪れるのは今回が初めてで、岡山県を訪れるのも3回目だ。東京から新幹線のぞみで3時間25分で岡山に着く。そこから在来線に乗り換えて、16分で倉敷駅だ。美観保存地区などのある駅南口には、天満屋倉敷店と商業ビルがロータリーを挟んで建っている。その風景に特段特徴はない。どこの地方都市にもありそうなものだ。
駅前から美観保存地区まではアーケード商店街になっているが、他の地方都市の例に漏れずテナントが入っていないところが目立つ。なかにはテナントどころか建物そのものが無く、駐車場になっているところもある。この地域の人々が日常の買い物をどこでするのか知らないが、個人商店や零細な商店が選好されないのは確かなようで、地図を見れば周辺にロードサイド店舗が点在する。かつてチボリ公園というアミューズメント施設だった場所はセブン・アンド・アイを中核とする複合商業施設として近く再稼働するらしい。そうなると、南口のほうはますます観光客への依存度を大きくせざるを得なくなるのだろう。観光客という不安定なものでも、観光客を惹き付ける材料に事欠く他の地方都市に比べればはるかに恵まれている。しかも、温暖な気候に恵まれた歴史のある土地なので美観地区という外観だけではなく、食べるものにも工芸品などにも長く愛されているものがある。大阪あたりからなら、新幹線を利用すれば1時間ほどの距離である。観光とは言っても日常のちょっとした延長の感覚で訪れる人を増やすこともできるのではなかろうか。
最初の目的地は倉敷市立美術館。ここの講堂で今回の最初のプログラムである松井健東京大学教授の講演を聴く。民芸をテーマにした講演では、必ず柳宗悦のことが取り上げられる。今回も例外ではないが、学者の話なので引用元が明確に示されているのが、後になってものを考えるときなどに役に立つので、ありがたい。この講演では松井先生ご自身の生活の場を撮影した写真も使いながら現代の生活のなかで民芸がどのようにかかわることができるのかということも話題にされていたのが興味深かった。さらに講演では古道具坂田にまで言及されていた。坂田和實については、その著書「ひとりよがりのものさし」と美術館「as it is」のことをこのブログのなかで何度か取り上げているので、ここでは書かないが、美しいということを考えるときの恰好の人物であると思う。
松井先生の講演のなかで柳の書いたものがいくつか資料として使われていた。そのなかから、自分の琴線に触れたところをひとつだけここに引いておく。
「不断使いだから、何でもかまわないと云う人がある。自宅使いのものに、いい品物は使えないと云う人がある。だが、不思議にも、そう云う人達は、客にすらろくな品を用いない。よいと思っている品物にも、殆ど正しいものがない。よそいきの場合だけいい品を用いると云うのは、自然な成り行きとも云えるが、実際には、案外内容を伴わないものである。平常が不信心で、寺に於いてだけ声高く名号を唱えたとて、信心の生活は示されてはいない。」(柳宗悦「見るものと使うもの」)
「もの」について語っているように見えるが、「もの」を「ひと」に置き換えても通じるものがある。自分がこの先どれほど生きるのか知らないが、それほど長くもないだろうから、文字通り一生懸命に自分の身の回りを吟味して生きていきたいものである。
宿舎は倉敷アイビースクエア内のホテル。ここは明治時代に建てられた倉敷紡績の紡績工場を観光施設に転換したもので、2007年に近代化産業遺産の認定を受けた。宿泊棟の壁の一部は工場当時のものがそのまま使われているらしく、年季の入った煉瓦がむき出しになっている。その肌合いが却って新鮮に感じられ、また、時空を超えた奥行きのようなものも感じられる。おそらく、工場だったところを更地にして新たに建設したほうが安くあがっただろうが、敢えて手間隙をかけたことに、関係者の意気のようなものがあるのだろう。
懇親会では豊田会場のときと同じように各テーブルにマイクが回った。今回は仙台で民芸品店を営んでいるご夫婦が参加されていて、震災のときのことが話題になった。その店は仙台市街にあるため比較的早く再開できたそうだ。被災した店舗のなかを片付け、商品を並べ直しているとき、商品を手にすることで安心感を覚えたというのである。手仕事のものというのは、なぜか手にしたときに作り手の息づかいが伝わってきて、自分はひとりではないというような心持ちを与えてくれる、というようなことはよく聞くことである。物が語りかけてくるような感覚というものは、誰もが感じることではないだろうが、私のような愚鈍な者でも、たまにははっとすることがある。はっとすることが生きるということではないだろうか。
大原美術館工芸館 見学
倉敷民藝館 見学
懇親会 倉敷アイビースクエア
倉敷を訪れるのは今回が初めてで、岡山県を訪れるのも3回目だ。東京から新幹線のぞみで3時間25分で岡山に着く。そこから在来線に乗り換えて、16分で倉敷駅だ。美観保存地区などのある駅南口には、天満屋倉敷店と商業ビルがロータリーを挟んで建っている。その風景に特段特徴はない。どこの地方都市にもありそうなものだ。
駅前から美観保存地区まではアーケード商店街になっているが、他の地方都市の例に漏れずテナントが入っていないところが目立つ。なかにはテナントどころか建物そのものが無く、駐車場になっているところもある。この地域の人々が日常の買い物をどこでするのか知らないが、個人商店や零細な商店が選好されないのは確かなようで、地図を見れば周辺にロードサイド店舗が点在する。かつてチボリ公園というアミューズメント施設だった場所はセブン・アンド・アイを中核とする複合商業施設として近く再稼働するらしい。そうなると、南口のほうはますます観光客への依存度を大きくせざるを得なくなるのだろう。観光客という不安定なものでも、観光客を惹き付ける材料に事欠く他の地方都市に比べればはるかに恵まれている。しかも、温暖な気候に恵まれた歴史のある土地なので美観地区という外観だけではなく、食べるものにも工芸品などにも長く愛されているものがある。大阪あたりからなら、新幹線を利用すれば1時間ほどの距離である。観光とは言っても日常のちょっとした延長の感覚で訪れる人を増やすこともできるのではなかろうか。
最初の目的地は倉敷市立美術館。ここの講堂で今回の最初のプログラムである松井健東京大学教授の講演を聴く。民芸をテーマにした講演では、必ず柳宗悦のことが取り上げられる。今回も例外ではないが、学者の話なので引用元が明確に示されているのが、後になってものを考えるときなどに役に立つので、ありがたい。この講演では松井先生ご自身の生活の場を撮影した写真も使いながら現代の生活のなかで民芸がどのようにかかわることができるのかということも話題にされていたのが興味深かった。さらに講演では古道具坂田にまで言及されていた。坂田和實については、その著書「ひとりよがりのものさし」と美術館「as it is」のことをこのブログのなかで何度か取り上げているので、ここでは書かないが、美しいということを考えるときの恰好の人物であると思う。
松井先生の講演のなかで柳の書いたものがいくつか資料として使われていた。そのなかから、自分の琴線に触れたところをひとつだけここに引いておく。
「不断使いだから、何でもかまわないと云う人がある。自宅使いのものに、いい品物は使えないと云う人がある。だが、不思議にも、そう云う人達は、客にすらろくな品を用いない。よいと思っている品物にも、殆ど正しいものがない。よそいきの場合だけいい品を用いると云うのは、自然な成り行きとも云えるが、実際には、案外内容を伴わないものである。平常が不信心で、寺に於いてだけ声高く名号を唱えたとて、信心の生活は示されてはいない。」(柳宗悦「見るものと使うもの」)
「もの」について語っているように見えるが、「もの」を「ひと」に置き換えても通じるものがある。自分がこの先どれほど生きるのか知らないが、それほど長くもないだろうから、文字通り一生懸命に自分の身の回りを吟味して生きていきたいものである。
宿舎は倉敷アイビースクエア内のホテル。ここは明治時代に建てられた倉敷紡績の紡績工場を観光施設に転換したもので、2007年に近代化産業遺産の認定を受けた。宿泊棟の壁の一部は工場当時のものがそのまま使われているらしく、年季の入った煉瓦がむき出しになっている。その肌合いが却って新鮮に感じられ、また、時空を超えた奥行きのようなものも感じられる。おそらく、工場だったところを更地にして新たに建設したほうが安くあがっただろうが、敢えて手間隙をかけたことに、関係者の意気のようなものがあるのだろう。
懇親会では豊田会場のときと同じように各テーブルにマイクが回った。今回は仙台で民芸品店を営んでいるご夫婦が参加されていて、震災のときのことが話題になった。その店は仙台市街にあるため比較的早く再開できたそうだ。被災した店舗のなかを片付け、商品を並べ直しているとき、商品を手にすることで安心感を覚えたというのである。手仕事のものというのは、なぜか手にしたときに作り手の息づかいが伝わってきて、自分はひとりではないというような心持ちを与えてくれる、というようなことはよく聞くことである。物が語りかけてくるような感覚というものは、誰もが感じることではないだろうが、私のような愚鈍な者でも、たまにははっとすることがある。はっとすることが生きるということではないだろうか。