熊本熊的日常

日常生活についての雑記

飾る 隠す

2011年09月22日 | Weblog
国立西洋美術館で開催中の古代ギリシャ展を観てきた。大英博物館の収蔵品135点を展示したものだが、ロンドンで暮らしている頃には殆ど観ていないものばかりだ。大英博物館には週に一度は出かけていたが、訪れるのはたいてい日本を含めた東洋美術のコーナーで、次が古代エジプト、その次くらいがギリシャ・ローマのエリアだった。今回の展覧会で目玉となっている「円盤投げ」は、たぶん目にしているはずなのだが、記憶があやふやだ。尤も、当時は今とは関心の所在が違っていたので、古代ギリシャやローマのところはそれほど熱心には見ていなかった。今も古代ギリシャに興味があるわけではないのだが、見た目にしっくりくる安定感はどのようなところに鍵があるものなのか、ということに興味があって本展に足を運んだ次第である。

陶芸では、今月は休講日が多いので茶碗などの小さいものを挽いたり、8月のスクーリングで制作したものの仕上げなどをしているが、7月以来の大きなテーマは壷を作ることである。まだ3つしか出来ていなくて、いずれも焼き上がりの高さ直径ともに20cmに満たない小さなものだ。轆轤で挽いているときに、どの程度の大きさまで土を延ばすことができるものか、まだ全然把握できていなくて、肉厚や基本となる円筒の高さを決めるのに、おっかなびっくりという情けない有様だ。参考にするのに、陶磁器を見て回るのは勿論なのだが、陶芸以外の立体造形にも目を向けなければと思い、壷類だけでなく彫刻類も注意深く眺めてきたつもりだ。

大理石の塊から像を彫りだすのだが、無理な力が加われば壊れてしまう。出来上がった当時は五体満足だったのだろうが、腕や首がもげてしまっているのが少なくないのは、そういうものの有り様の本来的な不安定を語っていると見ることもできるだろう。そういう像の残骸に、二足歩行の割に大きく重い頭を持ちながら、こうして地球上の繁殖している人類の不思議を見る思いがする。

ただ立っているというだけなら必要はないのだろうが、ポーズをつけたり付属品をつけたりするとバランスを取ることが難しくなるので、所々に構造を支えるための梁のようなものが残ることになる。それをどの位置に残すか、というのも作り手の工夫のしどころなのだろう。今日はその梁が気になって仕方がなかった。あの「円盤投げ」にしても、梁こそは無いものの、左大腿部から真下へかけて彫り残しがあるが、それが無いと立っていられそうにない。尤も、全体としてみれば、その彫り残したところを含め、二重螺旋のようになっていて、なるほど均整とはこういうことかと感心した。

小品はそうした構造の工夫といったものからは解放されているのだが、その分、よほど訴えるものがないと見たときに力を感じにくい。それが装飾ではないことは明らかで、おそらく技巧だけの問題ではないことを窺い知ることができる。ブランクーシも愛したという「後期スペドス型女性像」は説明書きを読まなくても、それが女性であることはわかる。しかも、所謂「女性美」を構成する要素を挙げることができないのに、どういうわけか愛おしく見える。顔は平面で顔の大きさに比して大きめな鼻があるだけ、乳房はそれとわかるかわからないかという程度の突起があるだけ、腰のくびれなどないし、八頭身でもない。それでも、顔の輪郭とか、腹をかかえるように組んだ腕であるとか、全体の雰囲気にそそるものが漂う。男性像は、自分が男なのでかえってよくわからないところもあるのかもしれないが、それでも「アイアス小像」はただものではないと感じてしまう。兜をかぶっただけの全裸の男性がまさに割腹せんとするところだが、像が小さい上に抽象化されている所為で一見したところは、それが何であるかわからない。兜というのも、そういう説明があるからそう見えるのであって、像だけを見ればおかっぱ頭のようにも見える。身体の大きさに比して大きな男根が勃起しているので、男性ということがわかるが、それがなければ人であることはわかるけれど性別までは判然としないほどに抽象化された像である。しかし、その像を手元に置けば、とんでもない幸運か、とんでもない災厄のどちらかに間違いなく遭遇すると思わせるような力を感じさせる。

隠すということについても考えさせられた。古代ギリシャのオリンピア競技祭では、選手は男性のみ、しかも全裸で競技をしたのだという。都市国家間の争いが絶えなかったと言われる古代ギリシャでは、運動競技は軍事教練の一部でもあったのだそうで、競技祭本番だけでなく練習も全裸で行われたという。肉体は道徳的内面を反映するとも信じられていて、肉体を鍛錬することは人格を高めることでもあったらしい。筋骨隆々とした姿を美しいとするのは、それを手に入れるのに鍛錬が必要だということと関係するのだろう。鍛錬したからには、その成果を披露したいというのは自然な欲求であるかもしれない。

では、その肉体を隠すのが一般的になるのはいつ頃からなのだろうか。おそらく、最初は「隠す」というよりも「飾る」という意識のもとで衣服を身につけるようになったのではなかろうか。服飾の技術が未発達であった頃は、服飾自体が富の象徴であったはずだ。そこに糸を紡ぐ、布を織る、糸や布を染める、糸や布で装飾を施す、という具合に布地や服飾の華美がその背後にある技術力や資本力といった力を象徴するようになったのではないだろうか。人に限らず、生きているものは、その生をアピールすることで生命を維持継承するという本能のようなものを持っているのだろう。それが装飾の背後にもあるということだと思う。

それにしても、今は全裸で往来を歩けば犯罪になる。裸体が衆目から隠されるべきものとなったのはいつの頃からなのだろうか。