熊本熊的日常

日常生活についての雑記

民藝夏期学校 倉敷会場 最終日

2011年09月04日 | Weblog
調査報告「岡山の手仕事」 岡山県民藝協会
市街散策
閉校式

民藝学校は午前中で終了となる。台風一過、まだ多少不安定な空だが、雨は上がった。夜に実家に寄ることになっていたので、15時14分に岡山を出る新幹線を携帯で予約しておいた。倉敷から岡山方面へ向かう在来線はだいたい15分間隔で運行されているようなので、遅くとも14時45分前後の列車には乗らないといけない。となると美観地区を14時半頃には後にしないといけないということになる。今回は大原美術館だけはなんとしてでも観ておこうと思っていたので、閉校式後に出されたお弁当を頂くとすぐに美術館へ向かった。民藝学校の初日に、ここの工芸館だけ見学させていただいているので、今日は本館と、可能ならば別館も、というつもりだった。わずかに1時間半ほどなので駆け足になってしまったが、なんとか雰囲気程度は味わうことができた。

噂には聞いていたが、予想以上の内容の美術館だった。物見遊山の旅行というものにそれほど興味がないので訪れたことのある土地というのは少ないのだが、限られた経験に照らせば、私立美術館としてこれほどのものは他に無いような気がする。上野の西洋美術館の基になった川崎コレクションにしてもそうなのだが、ある時期の日本の富裕層の財力には驚嘆してしまう。

大原家というのはこのあたりの大地主だったそうで、この美術館を建てた大原孫三郎は倉敷紡績初代社長である大原孝四郎の三男だ。いわば若旦那だが落語に登場する若旦那を地でいくかのように放蕩の限りを尽くしてとうとう謹慎の身となってしまう。謹慎中に出会った石井十次の薫陶を受け、家業でもある実業だけでなく社会事業も次々に手がけることになる。大原美術館の設立もそのひとつということらしい。大原だけではないが、明治から昭和前半に至る日本にはスケールの大きな人物が次々と現れているかの感がある。そういう人達のことを書いた物を読んだり話を聞いたりするにつけ、己の小ささに情けない思いを新たにするのだが、近頃は世の中全体が小さくまとまろうとしているかのように見える。日本だけでなく世界全体として、似たような傾向があるように感じるのは私だけであろうか。