熊本熊的日常

日常生活についての雑記

続 倉敷でみつけたもの

2011年09月06日 | Weblog
かつて家庭を抱えていた頃には自家用車も所有していたのだが、離婚と同時に手放し、以来4年間はたまにレンタカーを運転するくらいだ。車には興味がないのだが、車を選ぶ人の心情には興味がある。服やアクセサリーなど身につけるものとか化粧などは、その人が自分をどのように認識し、それをどのように他者に対して表現しようとしているのか、ということを雄弁に物語っている。身につけるものだけではなく、身そのものもそうだろう。体型にはその人の世界観が反映されていると思う。車の選択も服や体型と同じように、その人の何事かを語っていると思う。写真の車は、民藝夏期学校の会場となった建物の隣にある駐車場で撮影した。ナンバーを見ると、地元のものだ。色は後から塗り直したのだろうが、なかなか良いではないか。維持するのにはそれなりのご苦労もあるだろうが、敢えて乗り続ける心意気に敬意を表したい。

ついでながら、近頃の車はどれも似たようなものばかりになっているように感じているのは私だけだろうか。中途半端な高級車にそういう傾向が顕著であるように思う。レクサスあるいはその元になっているトヨタの車とBMWやベンツが同じように見えてしまう。エアロダイナミクスを追求すれば形が似たり寄ったりになるのはやむを得まい。ましてや、技術革新が進行して材料の鋼材の品質とか、それらをプレスする技術が頂点を極めようというのなら、その最先端のところは同じということになる。車の性能というのは空力特性が全てではないが、そこに同じくらいの完成度を求めれば、できあがる形状も似てくるのは当然だろう。かといって、燃費が経済性からも環境対策からも重要視される時代になってしまったので、そこは外せないということになるのは仕方のないことだ。とはいえ、車というものがかつてほどには楽しいものでなくなってしまったと感じるのは私だけではないと思うのだが、どうだろう?