初めて絵というものを意識して眺めたのは、中学生のときに教科書に載っていたEdward Hopperの「Early Sunday Morning」に惹かれたときだっただろうか。それはそれだけで終わってしまい、特に美術とか芸術に関心を払うこともなく、ありきたりの高校、大学へと進み、ありきたりにサラリーマンになって、こうして人生の最後をどうしようかと苦悶することになっている。
今日は午前中に人間ドックがあり、内視鏡検査を受け、おまけに生検のサンプルを採取したので、昼食を摂るわけにもいかず、時間が空いてしまったので国立新美術館で開催中の「モダン・アート、アメリカン」を覗いてきた。改めて、国とかその歴史といったものを考えないわけにはいかなかった。
メディアでも日常の会話のなかでも無造作に「日本人」とか「アメリカ人」という言葉が使われている。日本に関しては、自分が生まれ育った国であり、日頃生活している東京には、皇居という、その昔は江戸城が建っていた場所とか古くから残る寺社があり、少し足を伸ばして京都や奈良を訪れれば、寺社仏閣類だけでなく、そこに1,000年以上も残る地名がある。日本人というもののルーツが何であるかはさておき、似たような外見で同じ言語を操る人間が1億人以上暮らしているのが日本という国である。
しかし、アメリカはどうであろうか。現在の人口は、ざっと日本の倍である。同じような外見で同じ言語を操る人達が2億人か、というとそうではない。西海岸から南西部にかけては、英語を話さない人達も多いらしい。外見に至ってはいろいろだ。例えば、オリンピックでは、同じ「アメリカ」の選手でありながら、競技によって登場する人種が違ったりする。それを目の当たりにしただけで、「国」と「人種」や「民族」とは関係がないということがわかる。1,000年前には「アメリカ」は存在していなかった。1492年にコロンブスがアメリカ大陸を発見した、あるいはそれ以前にノルマン人が10世紀末に発見した、あるいは15世紀初頭に明の鄭和が発見した、などというようにその土地が「発見」されたとされている。現在の「アメリカ合衆国」が成立したのは1776年7月4日だ。それも現在の姿ではなく東部13州に加えミシシッピ以東と五大湖以南を合わせたものだ。それが西部開拓やスペイン領フロリダ買収、メキシコ領テキサス併合、アラスカ購入、ハワイ併合、などと続いて今日の姿になる。黒船が日本にやって来るのも、そうした西進運動の一環だ。形の上では大英帝国からの独立だが、実体としては欧州列強の海外植民の結果と言えるだろう。人が生活を新天地に求める動機にはいかなるものがあるのか知らないが、それまでの生活を続けていけない事情があることは確かだろう。
今日、そのアメリカの絵画を眺めていて感じたのは、アメリカというもののアイデンティティだった。展示会場のはじめのほうでは、欧州の作品と同系列の作品が並んでいるが、ホッパーやオキーフのあたりから様相が変わってくる。そうしたなかには日本からの移民である国吉康雄の作品も存在感を放っている。それがさらに時代を下るとグランマ・モーゼスやジェイコブ・ローレンスといったものが登場し、戦後になるとジャクソン・ポロックやサム・フランシスといった抽象表現の先駆のような作品が並ぶ。ロスコの作品もあるが、ロスコらしくない小さなものだ。実は、病気に倒れて医師から大作の制作を止められ、こうした小品を描いていたのという。いずれにしても、20世紀絵画の代表のような作品と言えるだろう。
この間、何が変わったのかといえば、アメリカという国の世界のなかでの位置付けだ。絵画あるいは美術といったものが、単に個人の表現ということではなしに、その個人が属する国家の何事かを象徴しているとするなら、欧州作品の模倣から世界の動きを牽引するかのような作品に変容していくアメリカの絵画界の動向はアメリカという国そのものの変容の姿でもある。所謂「文化」を自然発生的なものと捉える向きも少なくないように感じているのだが、それは自然などではなく、政治や経済と密接に関連した人為的な現象なのだと思う。美も芸も、世間からそれと認められてこそのものである。美しいとはどのようなことか、という問いかけのないままに、自我を主張するのが「芸術」ということになっているかのように見える。こうして眺めると、自我というのは混沌としたえげつないものだ。我欲を執拗に発散し、それを世間に認めてもらうことに執着するのが「芸術」を生業とするということなのだろうか。誰に対して己を表現するのかといえば、その表現を換金してくれる相手ということだ。つまり、そこに権威の存在が不可欠なのである。その権威を支えるのは、結局のところ権力であり、それを支えるのは政治力や経済力である。所謂「抽象絵画」を私は美しいとは思えない。それは私が世間の権威や権力とは無縁であるということでもあるのだろう。それでかまわないと思っている。
今日は午前中に人間ドックがあり、内視鏡検査を受け、おまけに生検のサンプルを採取したので、昼食を摂るわけにもいかず、時間が空いてしまったので国立新美術館で開催中の「モダン・アート、アメリカン」を覗いてきた。改めて、国とかその歴史といったものを考えないわけにはいかなかった。
メディアでも日常の会話のなかでも無造作に「日本人」とか「アメリカ人」という言葉が使われている。日本に関しては、自分が生まれ育った国であり、日頃生活している東京には、皇居という、その昔は江戸城が建っていた場所とか古くから残る寺社があり、少し足を伸ばして京都や奈良を訪れれば、寺社仏閣類だけでなく、そこに1,000年以上も残る地名がある。日本人というもののルーツが何であるかはさておき、似たような外見で同じ言語を操る人間が1億人以上暮らしているのが日本という国である。
しかし、アメリカはどうであろうか。現在の人口は、ざっと日本の倍である。同じような外見で同じ言語を操る人達が2億人か、というとそうではない。西海岸から南西部にかけては、英語を話さない人達も多いらしい。外見に至ってはいろいろだ。例えば、オリンピックでは、同じ「アメリカ」の選手でありながら、競技によって登場する人種が違ったりする。それを目の当たりにしただけで、「国」と「人種」や「民族」とは関係がないということがわかる。1,000年前には「アメリカ」は存在していなかった。1492年にコロンブスがアメリカ大陸を発見した、あるいはそれ以前にノルマン人が10世紀末に発見した、あるいは15世紀初頭に明の鄭和が発見した、などというようにその土地が「発見」されたとされている。現在の「アメリカ合衆国」が成立したのは1776年7月4日だ。それも現在の姿ではなく東部13州に加えミシシッピ以東と五大湖以南を合わせたものだ。それが西部開拓やスペイン領フロリダ買収、メキシコ領テキサス併合、アラスカ購入、ハワイ併合、などと続いて今日の姿になる。黒船が日本にやって来るのも、そうした西進運動の一環だ。形の上では大英帝国からの独立だが、実体としては欧州列強の海外植民の結果と言えるだろう。人が生活を新天地に求める動機にはいかなるものがあるのか知らないが、それまでの生活を続けていけない事情があることは確かだろう。
今日、そのアメリカの絵画を眺めていて感じたのは、アメリカというもののアイデンティティだった。展示会場のはじめのほうでは、欧州の作品と同系列の作品が並んでいるが、ホッパーやオキーフのあたりから様相が変わってくる。そうしたなかには日本からの移民である国吉康雄の作品も存在感を放っている。それがさらに時代を下るとグランマ・モーゼスやジェイコブ・ローレンスといったものが登場し、戦後になるとジャクソン・ポロックやサム・フランシスといった抽象表現の先駆のような作品が並ぶ。ロスコの作品もあるが、ロスコらしくない小さなものだ。実は、病気に倒れて医師から大作の制作を止められ、こうした小品を描いていたのという。いずれにしても、20世紀絵画の代表のような作品と言えるだろう。
この間、何が変わったのかといえば、アメリカという国の世界のなかでの位置付けだ。絵画あるいは美術といったものが、単に個人の表現ということではなしに、その個人が属する国家の何事かを象徴しているとするなら、欧州作品の模倣から世界の動きを牽引するかのような作品に変容していくアメリカの絵画界の動向はアメリカという国そのものの変容の姿でもある。所謂「文化」を自然発生的なものと捉える向きも少なくないように感じているのだが、それは自然などではなく、政治や経済と密接に関連した人為的な現象なのだと思う。美も芸も、世間からそれと認められてこそのものである。美しいとはどのようなことか、という問いかけのないままに、自我を主張するのが「芸術」ということになっているかのように見える。こうして眺めると、自我というのは混沌としたえげつないものだ。我欲を執拗に発散し、それを世間に認めてもらうことに執着するのが「芸術」を生業とするということなのだろうか。誰に対して己を表現するのかといえば、その表現を換金してくれる相手ということだ。つまり、そこに権威の存在が不可欠なのである。その権威を支えるのは、結局のところ権力であり、それを支えるのは政治力や経済力である。所謂「抽象絵画」を私は美しいとは思えない。それは私が世間の権威や権力とは無縁であるということでもあるのだろう。それでかまわないと思っている。