過ぎ去ったことは置いておかないと、先へ進めない。36頁
新しい芽は、ゼロになって初めて生まれる 47頁
苦しむことが楽しいということ。これが芸のゆとりだ。
すらすらと何のためらいもなくすすむ仕事より、
苦しみながら一歩一歩すすめることに楽しさがあり、
心にゆとりがあればこそ、苦しみを楽しめる。60頁
ゆとりのない芸はおもしろ味も楽しさもない。全ての芸に言えることである。61頁
材料があり余るほどあって、何でも手に入るけれど、
最後は人の手だと思う。
手の感触を大事にしないとだめだと思います。
人の思いは手を通して伝わるものだから。66-67頁
下絵にとらわれないで又新しい気持ちで描くと、
そこに又新しいものが見えてくる。
「描く」とはこうういことで、
下図にこだわってはぬり絵と同じで、
自分の心が表現できない。69頁
僕が影を描かないのは、絵そのものが充実していればごらんになる方が影を感じてくださると思うからなんです。83頁
君の絵はキレイな色だ。だがまだ「色」になっている。
美しい色ではないという意。
自分の心を通して自然の色を感覚する、つまり自己主張する。
私のような生物画家にとっては、自然の色と自分の色との調和がとてもむずかしいことで、苦労する。85頁
あせっても春は来ないし
忘れていても春は来る
自然はきわめて自然である。94頁
人間は歳とったり、成功したりすると、
「何とかは何とかでなくちゃいけない」と覚えたい。
だけど、僕は今も何もわからないまま、今も結論が出ていない。
だから生きるんでしょ。150-151頁
以上、「熊田千佳慕うの言葉 私は虫である」(求龍堂)からの引用。こういうことを心から表明できるような人に憧れるし、自分もそうならなければ思う。
新しい芽は、ゼロになって初めて生まれる 47頁
苦しむことが楽しいということ。これが芸のゆとりだ。
すらすらと何のためらいもなくすすむ仕事より、
苦しみながら一歩一歩すすめることに楽しさがあり、
心にゆとりがあればこそ、苦しみを楽しめる。60頁
ゆとりのない芸はおもしろ味も楽しさもない。全ての芸に言えることである。61頁
材料があり余るほどあって、何でも手に入るけれど、
最後は人の手だと思う。
手の感触を大事にしないとだめだと思います。
人の思いは手を通して伝わるものだから。66-67頁
下絵にとらわれないで又新しい気持ちで描くと、
そこに又新しいものが見えてくる。
「描く」とはこうういことで、
下図にこだわってはぬり絵と同じで、
自分の心が表現できない。69頁
僕が影を描かないのは、絵そのものが充実していればごらんになる方が影を感じてくださると思うからなんです。83頁
君の絵はキレイな色だ。だがまだ「色」になっている。
美しい色ではないという意。
自分の心を通して自然の色を感覚する、つまり自己主張する。
私のような生物画家にとっては、自然の色と自分の色との調和がとてもむずかしいことで、苦労する。85頁
あせっても春は来ないし
忘れていても春は来る
自然はきわめて自然である。94頁
人間は歳とったり、成功したりすると、
「何とかは何とかでなくちゃいけない」と覚えたい。
だけど、僕は今も何もわからないまま、今も結論が出ていない。
だから生きるんでしょ。150-151頁
以上、「熊田千佳慕うの言葉 私は虫である」(求龍堂)からの引用。こういうことを心から表明できるような人に憧れるし、自分もそうならなければ思う。