「歩いても 歩いても 小舟のように 私は揺れて 揺れてあなたの腕のなか」
これは作品中でも使われている「ブルー・ライト・ヨコハマ」の歌詞の一節だ。作品のタイトル「歩いても 歩いても」がどのような意味なのか、「ブルー・ライト・ヨコハマ」の歌詞の世界と何が被るのか、少し気になる。脚本も担当している是枝監督は私と同い年だ。私の記憶のなかで最初に登場する音楽は「ブルーライト ヨコハマ」。小学校1年生の頃に爆発的にヒットした曲だ。当時はテレビでもラジオでも頻繁に流れていたはず。この曲でいしだあゆみは紅白初出場を果たし、曲自体も同年のレコード大賞作曲賞を受賞している。ちなみに同大賞の大賞曲は「いいじゃないの幸せならば」で最優秀新人賞が「夜と朝のあいだに」。自分の記憶の初期段階にあるものというのは妙に印象が強いもので、おそらく是枝監督もこうした曲と自身の生活史との関わりを感じていたのではないだろうか。「物心つく」という言葉があるが、この1969年頃というのはおそらく私の同年代の多くの人達が「物心ついた」時期なのではないだろうか。大袈裟な言い方をすれば、自分の人生が実質的に始まった時代を特徴付けるものが1970年を挟んで前後3年ずつくらいの出来事に集中している。作品中の台詞にも登場する万博(1970年3月14日 - 9月13日)もそのひとつ。主人公の母親は、「冷蔵庫を一杯にしておくと安心するのよ」と言うのだが、それはオイルショック(1973年)でトイレットペーパーや砂糖の買い占め騒動が起きた経験に影響されてのことかもしれない。あるいは、戦後の物の無い時代を経験したことによるのかもしれない。
さて、映画のほうだが、ある家族の24時間を通して人というものを描いた、というと漠然とし過ぎているだろうか。人の24時間を丹念に観察すれば、その人のことというよりも、人間というものがどのような生き物なのか、ある程度わかった気になる、と思わせるような作品だ。映画なので24時間という舞台に制作者が表現したいことを凝縮したという事情があるにせよ、台詞の濃密さがこの作品の特徴ではないだろうか。鍵になっているのは「普通」。人が何を「普通」のことと認識するのか、それはその人のいかなる経験や思考に基づいているのか、つまりは人は何を欲するものなのか、というようなことが雄弁に語られているように思われた。
欲するもの、求めるもの、というのは今そこには無いものだ。最初から無い場合もあるだろうし、あったのに無くなってしまったものもある。失った肉親や家族、仕事、体力や気力、愛情、など有形無形のものを失いながら我々の生活は進行する。もちろん、一方で得ているものもたくさんある。経験、新しい家族や人間関係、場合によっては富もあるだろう。どれほど努力したところで、思い通りにあれもこれも手に入るわけではないし、自分が注いでいると認識している愛情や想いが相手に通じるとは限らない、というようなことは誰もがわかっているはずだ。それでも足るを知るというわけには、なかなかいかない。それを人の強欲と言ってしまっては身も蓋もない。そういうところもあるだろうが、自分の生活を構成している人々との関係に対する期待があればこそ、その期待が満たされずに不満を覚えるというところもあるだろう。それも強欲かもしれないが、相手が自分の世界に参加することを希求する愛情表現でもあると言えるのではないか。つまり悪気はないわけで、その期待に応えようとする姿勢を見せるだけでも、人と人との関係というのは改善されることが多いものなのではないだろうか。実際に不足や不在を解消するということよりも、解消する方向性を示すということが円満な関係のためには重要なことなのではないかとも思うのである。
それで「歩いても 歩いても」というタイトルなのだが、「ブルー・ライト・ヨコハマ」とはあまり関係なくて、単にどれほど時を重ねたところで人と人との関係は思うようにはならないもの、ということを示唆しているのか。歩いても歩いてもあなたの腕の中、つまり離れることのない関係としての「家族」を表現しているのだろうか。あるいは、私がわからないだけで、「ブルー・ライト・ヨコハマ」のエピソードが実は大きな意味を持っているのか、何故かとても気になっている。後で見直して考えてみたいと思う。
これは作品中でも使われている「ブルー・ライト・ヨコハマ」の歌詞の一節だ。作品のタイトル「歩いても 歩いても」がどのような意味なのか、「ブルー・ライト・ヨコハマ」の歌詞の世界と何が被るのか、少し気になる。脚本も担当している是枝監督は私と同い年だ。私の記憶のなかで最初に登場する音楽は「ブルーライト ヨコハマ」。小学校1年生の頃に爆発的にヒットした曲だ。当時はテレビでもラジオでも頻繁に流れていたはず。この曲でいしだあゆみは紅白初出場を果たし、曲自体も同年のレコード大賞作曲賞を受賞している。ちなみに同大賞の大賞曲は「いいじゃないの幸せならば」で最優秀新人賞が「夜と朝のあいだに」。自分の記憶の初期段階にあるものというのは妙に印象が強いもので、おそらく是枝監督もこうした曲と自身の生活史との関わりを感じていたのではないだろうか。「物心つく」という言葉があるが、この1969年頃というのはおそらく私の同年代の多くの人達が「物心ついた」時期なのではないだろうか。大袈裟な言い方をすれば、自分の人生が実質的に始まった時代を特徴付けるものが1970年を挟んで前後3年ずつくらいの出来事に集中している。作品中の台詞にも登場する万博(1970年3月14日 - 9月13日)もそのひとつ。主人公の母親は、「冷蔵庫を一杯にしておくと安心するのよ」と言うのだが、それはオイルショック(1973年)でトイレットペーパーや砂糖の買い占め騒動が起きた経験に影響されてのことかもしれない。あるいは、戦後の物の無い時代を経験したことによるのかもしれない。
さて、映画のほうだが、ある家族の24時間を通して人というものを描いた、というと漠然とし過ぎているだろうか。人の24時間を丹念に観察すれば、その人のことというよりも、人間というものがどのような生き物なのか、ある程度わかった気になる、と思わせるような作品だ。映画なので24時間という舞台に制作者が表現したいことを凝縮したという事情があるにせよ、台詞の濃密さがこの作品の特徴ではないだろうか。鍵になっているのは「普通」。人が何を「普通」のことと認識するのか、それはその人のいかなる経験や思考に基づいているのか、つまりは人は何を欲するものなのか、というようなことが雄弁に語られているように思われた。
欲するもの、求めるもの、というのは今そこには無いものだ。最初から無い場合もあるだろうし、あったのに無くなってしまったものもある。失った肉親や家族、仕事、体力や気力、愛情、など有形無形のものを失いながら我々の生活は進行する。もちろん、一方で得ているものもたくさんある。経験、新しい家族や人間関係、場合によっては富もあるだろう。どれほど努力したところで、思い通りにあれもこれも手に入るわけではないし、自分が注いでいると認識している愛情や想いが相手に通じるとは限らない、というようなことは誰もがわかっているはずだ。それでも足るを知るというわけには、なかなかいかない。それを人の強欲と言ってしまっては身も蓋もない。そういうところもあるだろうが、自分の生活を構成している人々との関係に対する期待があればこそ、その期待が満たされずに不満を覚えるというところもあるだろう。それも強欲かもしれないが、相手が自分の世界に参加することを希求する愛情表現でもあると言えるのではないか。つまり悪気はないわけで、その期待に応えようとする姿勢を見せるだけでも、人と人との関係というのは改善されることが多いものなのではないだろうか。実際に不足や不在を解消するということよりも、解消する方向性を示すということが円満な関係のためには重要なことなのではないかとも思うのである。
それで「歩いても 歩いても」というタイトルなのだが、「ブルー・ライト・ヨコハマ」とはあまり関係なくて、単にどれほど時を重ねたところで人と人との関係は思うようにはならないもの、ということを示唆しているのか。歩いても歩いてもあなたの腕の中、つまり離れることのない関係としての「家族」を表現しているのだろうか。あるいは、私がわからないだけで、「ブルー・ライト・ヨコハマ」のエピソードが実は大きな意味を持っているのか、何故かとても気になっている。後で見直して考えてみたいと思う。