去年の今頃のことだっただろうか。小石川にあるカフェ橙灯で、「oraho」という会津のことをまとめた小冊子を発行しているという人とカモ井加工紙という会社の人が話をしているテーブルの隣のテーブルに座った。小さなカフェなので、カフェの坂崎さんが客同士を紹介してくれる。そういう人と人との距離感を体現したカフェなのである。それで、その場でおふたりと少しお話をさせて頂いた。それはそれきりで終わり、橙灯にもこのところ無沙汰をしているのだが、今日、たまたまネットで「oraho」のサイトを見つけた。そこに紹介されていた「つきとおひさま。」という開業準備中の食堂の話を読んで感心した。あの震災の後に喜多方に引っ越して、来年春に食堂を開業するというのである。喜多方といえば原発の場所からずっと離れた町ということはわかるが、生活圏として東京しか知らない私にはどちらも「福島」という括りになる。あれからあの地で暮らしていた人々はその土地に残るか新天地を求めるか苦悩しているという話はいろいろなところに紹介されているが、そういう場所に敢えて移り住むという決断に興味を覚えた。
「つきとおひさま。」の主はご夫婦で、奥様が会津の北塩原村大塩のお生まれとのこと。旦那様のほうは県外の人らしい。ちなみに「oraho」の発行人も会津の出身で、その旦那様は東京の人だという。自分が生まれ育った場所に戻りたいという心情はわからないではない。人は一生を通じて自分を探しているような気がする。それはなぜかといえば、生まれるということが途方も無く大きな謎だからだ。生まれたくて生まれたわけでもないのに、今、こうしてここにいるということが私は不思議でしょうがない。おそらくみんな意識の強弱こそあれ、不思議に思っているのだ。その不思議を解決すべく、この世に宗教とか哲学とか文学というようなものがあるのだろう。
で、「つきとおひさま。」だが、喜多方駅から徒歩10分ほどのところの古民家を改装しての開業だそうだ。もとは豆腐屋だったらしい。改装には家族や友人知人が総出で関わり、少しずつ自分たちのものになっていく様子がブログから伝わってくる。この食堂のある町がどのようなところなのか、全く知らないけれど、ものすごく好奇心をそそられて、いつか出かけてみたいと思う。
「つきとおひさま。」の主はご夫婦で、奥様が会津の北塩原村大塩のお生まれとのこと。旦那様のほうは県外の人らしい。ちなみに「oraho」の発行人も会津の出身で、その旦那様は東京の人だという。自分が生まれ育った場所に戻りたいという心情はわからないではない。人は一生を通じて自分を探しているような気がする。それはなぜかといえば、生まれるということが途方も無く大きな謎だからだ。生まれたくて生まれたわけでもないのに、今、こうしてここにいるということが私は不思議でしょうがない。おそらくみんな意識の強弱こそあれ、不思議に思っているのだ。その不思議を解決すべく、この世に宗教とか哲学とか文学というようなものがあるのだろう。
で、「つきとおひさま。」だが、喜多方駅から徒歩10分ほどのところの古民家を改装しての開業だそうだ。もとは豆腐屋だったらしい。改装には家族や友人知人が総出で関わり、少しずつ自分たちのものになっていく様子がブログから伝わってくる。この食堂のある町がどのようなところなのか、全く知らないけれど、ものすごく好奇心をそそられて、いつか出かけてみたいと思う。