熊本熊的日常

日常生活についての雑記

「わしの眼は十年先が見える」 備忘録

2011年10月22日 | Weblog
金は使うためにあるのであって、人は金に使われるために在るのではない。人と人との間に境を立てるのも金。人はときに貧しさによって、さらに、より多く豊かさによって、人であることを妨げられる。(137ページ)

主張のない仕事はひとつもしない。主張のない生活は一日も送らぬ(187ページ)

成否は別として、主張が正しく確信を持して進むならば、周囲の事情の変化はどうであろうと差し支えない事だと思います。自分はこの気持ちをもって自分の関係する仕事に全力を尽くして働き、そして大体として申せば、仕事の内容はできるだけ積極方針を執ってやりたいと考えます(199ページ)

売り絵を描き続ける画家はその生命を失う(201ページ)

子孫は先祖の誤りを正すためにあるんじゃ。わしはそう思って、やってきた(265ページ)

骨董屋の花でもいけん。花屋の花でもいけん。床の間に合う自分の花を活けるんじゃ(273ページ)

学校の先生に褒められるような奴に、ろくなのは居ない(297ページ)

うちの欲しいのは、革新的なものだけだ。見る人に問題を提供して考えてもらう。それが美術館というものだ(305ページ)


「わしの眼は十年先が見える 大原孫三郎の生涯」城山三郎
新潮文庫
平成9年5月1日発行
平成21年10月15日15刷改版
平成23年7月30日17刷