熊本熊的日常

日常生活についての雑記

悪貨は良貨を駆逐する

2011年10月12日 | Weblog
けっこうローカルで知られたカフェが閉店するという話を耳にすることが多くなったような印象がある。不景気という所為もあるのだろうが、客層の微妙な変化が原因という説も耳にする。一言で言えば高齢化だ。街中に高齢者の群れが増えている。今の高齢者も後期高齢者も総じて気力は充実しているらしい。数年前からこうした人達が山で遭難するというような事件が増えているようだ。装備が向上して体力の無い人でもちょっとしたトレッキングくらいは楽しむことができる時代に入っている。さらに、デジタルカメラの普及で写真を趣味にする人も増えている。高齢者が暇と財力にものを言わせて、装備を整え一眼レフをぶらさげてトレッキングに繰り出すのは、今や日常の風景と化している。山ですら高齢者が席巻する時代なのだから街中はなおさらのことなのである。

ちょっと知られたカフェに老女軍団が繰り出す。コーヒー1杯で3時間ほど粘る。声高に友人知人家族にまつわる愚痴をこぼしあい、トイレを順番に使ってから店を出る。テーブルの回転が悪くなるばかりか、それまでその場所を愛好していた常連客は居場所を失い、店から離れていく。店は客単価と座席回転率の低下に見舞われ経営状態が悪化する。そうした状況が長期化することで閉店に追い込まれるのである。

おそらくカフェだけの問題ではあるまい。巣鴨の地蔵通りという老人の巣窟のようなところで暮らしているからよくわかるのだが、老人というのは傍若無人の権化だ。ましてや、今の老人の主流は団塊世代に移りつつある。安保闘争や学生運動に象徴されるように、過激に馬鹿騒ぎをするのが好きだが、建設的なことは苦手な人たちだ。この子供世代も要注意である。カフェの常連を駆逐するもうひとつの集団はベビーカー部隊だ。子供を連れていれば何をしても許されると思っているらしく、ベビーカーを引きずってどこにでも現れる。カフェにも集団で侵攻し、他の客を駆逐してしまう。

対抗策としては立地や店舗設計、店舗運営を工夫するしかあるまい。どんな客であろうと、客を邪険に扱うことは商売人にとっては許されない。動線や商品で客の選別を図るのは基本だろう。その先は、個別具体的に対応するしかないだろうが、どのような客を対象にどのような商品やサービスを提供したいのか、という店の側の考え方が厳しく問われる時代であることは確かだろう。「多くの人に」とか「様々な客層に」というような商売は、もはや成り立たない時代なのである。

「エンディングノート」

2011年10月11日 | Weblog
死が間近に迫っていると認識したとき、人はどのような行動を取るものなのか、というのはよく取り上げられる話題だ。映画では「最高の人生の見つけ方(原題:The Bucket List)」とか「死ぬまでにしたい10のこと(原題:My Life Without Me)」などがすぐに思い浮かぶが、ドキュメンタリーでこのテーマを取り上げた作品が上映されている。主人公は撮影者で作品の監督でもある人の父親。都内に本社のある化学メーカーに勤務し、最後は役員として67歳で定年を迎えた人物だ。定年の2年後の5月、定期検診で末期の胃ガンが発見され、その年の暮れに永眠した。この間の映像だけでなく、それ以前に撮りだめられていた家族映像も併せて、市井の人が最期を迎える姿がドキュメンタリー作品としてまとめられている。

人物を対象にしたドキュメンタリーほど制作が難しい映像作品は無いと思っている。カメラを向けられれば人は誰でも程度の差こそあれ緊張する。その結果、その人が普段は見せないような表情や様子を示すことで、その人の隠れた一面が見えたり、その人を象徴する姿が現れたりするものだ。しかし、いずれにしても、おそらくそれはその人の普段の姿ではない。「普段の姿」というのは、連続したものであって、本来的に連続しているものを断片として切り取ってしまうと、その時点でそれは「普段」ではなくなってしまう。「普段」を記録として残そうとすれば、被写体と撮影者の間の信頼が不可欠になる。一瞬にして成立する信頼が皆無とは言わないが、人が他者に己をさらけ出すことを厭わないような関係というのは一朝一夕にできるものではなく、どうしても家族のような長い時間を共にする関係であることが多くなるだろう。

一方で、長期間に亘る関係があると、相手に対する甘えや情が出て、相手というものを素直に見ることができなくなるということもある。信頼と甘えというのは二項対立ではなく、連続した感情のなかにあるのだろうし、甘えることしかできないとか、信頼関係を結ぶことができるというようなことは、能力あるいは知性の問題でもあるだろう。

「エンディングノート」のすごいところは、どこの家庭にでも起こりそうな風景が当たり前のように映像として記録されていることだと思う。作品の紹介や映画評には「家族の絆」だとか「感動の」といった、いかにも馬鹿っぽい文句が踊るが、それは商業という産業のなかの決まり事なので、たとえそうした宣伝が作品の価値を毀損するものであっても、そういう宣伝をせざるを得ないということは承知しておく必要があるのだろう。ドキュメンタリーとしてのこの作品の価値は、誰にでも撮れそうで、誰にも撮れない映像で人の最期を克明に記録していることにあると思う。主人公が考えるようなことは誰でも考えるのではないだろうか。少なくとも、私は考え、実際にエンディングノートを作っている。主人公の場合は、所謂「会社人間」であった人らしく、付き合いとか家族への伝言のようなものが主になっている印象がある。葬儀場の下見をしてみたり、家族や会葬者の負担を考えて、死を目前にしてキリスト教に改宗してみたり、関心の対象が地に足の着いたものになっている。そこがなんとなく滑稽でもあり、逆に悲しみを感じさせてみたりするところでもある。落語の人情噺にも通じることだが、生きることは滑稽であって哀しいことでもあるという気がする。そういう生きることの本質のようなことまでも活写した作品だと思う。

家族を被写体にしているというのは、被写体との信頼関係確立の時間を節約している、というような見方もあるかもしれない。しかし、私は家族が特別な関係だというのは単なる幻想に過ぎないと考えている。一緒に過ごす時間が長いということが関係性に影響を与えているのは確かだろうが、だからといって、それで信頼が容易に築くことができるわけではないし、思い込みが先行する分、かえって互いが見えなくなるということだってあるだろう。夫婦であろうと親子であろうと、人が生涯の間に取り結ぶ数多の関係のひとつにすぎないと私は思う。だからこそ、自分が想像する自分の最期と大きな違和感のない主人公が記録されているというところに、凄さを感じるのである。

或る休日

2011年10月10日 | Weblog
毎日が休日のような生活なので、連休といっても特段変わったことをするわけでもない。休日のような、とは言っても、一人で暮らしていれば家事もあるので決して休んでいるわけでもない。この連休は土日と中途半端に用が入り、そうなると却って休日らしくなかったりする。今日は子供と落語を聴きに出かけてきた。

落語の会場が調布で、過去に訪れたことのない場所だったので、かなり余裕を見て待ち合わせをしたのだが、思いの外近いことがわかった。それで落語の前に損保ジャパンの美術館で開催中のドニ展を観て、京王プラザの五穀亭で食事をして、それから京王線の準特急で調布に出かけて、余裕で開演時間に間に合った。

モーリス・ドニといえばナビ派の中心的な作家のひとり。日本ではそれほど知られていないように感じるのだが、昨年のオルセー美術館展ではナビ派をはじめとするポスト印象派の展示だったので、多少は愛好家が増えたのだろうか。昨年のオルセー展はオルセーの改装工事に合わせての展覧会だったが、工事がまだ続いていて、今年もドニがやって来たのかと思っていた。会場に足を運んでみて驚いたのだが、今回はモーリス・ドニ美術館の協力の下に開催されているのだが、個人蔵の作品が多い。いったいどうやってこれほどの作品を集めてきたのだろうかと、作品よりもそのことに感心してしまった。ドニは「美しきイコンのナビ」と呼ばれ、神話や聖書をモチーフにした作品で知られるが、今回の展覧会は自分の家族を描いた作品で構成されている。家族という現実に存在するものを描いていても、そこに聖書の世界が透けて見えるのは、西洋絵画がそういうものであるということの他に、作家自身の信心も多分に影響しているのだろう。ドニは最初の妻を病気で亡くし、その3年後に再婚している。どちらの妻も彼の絵のなかに登場するのだが、絵を観ると、その家庭のあり方がやはり違うように思われる。人は他者との関係のなかを生きるのだから、関係性の構成要素が変化すれば、人も関係も変化するのは当然なのだが、その人の作品という具象を目の前にすると、なるほどそういうことかと思う。そういうこととはどういうことなのか、ここでは書かない。

昼は京王プラザの五穀亭でセットランチをいただく。子供は好き嫌いがあるので、食事の選択肢にはいろいろ制約があるのだが、ここでは残さず食べた。面白いもので、旨いと感じて食べているのか、それほどでもないのか、食べっぷりを眺めているとよくわかる。この店は私も気に入っていて、こういった会食にも利用するし、たまには一人で来ることもある。一人の時はたいがい粥をいただくのだが、会食のときはビビンバだったりもする。

調布は京王線の特急あるいは準特急で新宿から15分だ。昔、調布の手前の国領という駅から歩いて10分ほどのところにあったミツミ電機という会社に仕事で何度かお邪魔したことがあり、当時の記憶で調布というところは遠いという漠然とした印象が残っていた。国領は各駅停車しか停まらないので、そういう印象が残ったのかもしれない。

落語会は志らく、喬太郎、三三の三人会で、人気者が揃った割には、あるいは人気者を揃えたが故に、開演14時終演16時という中途半端なもので、会場入り口でその終演時間を知ったときには、少しがっかりした。噺のなかで志らくも語っていたが、落語会というものの適正規模は100人程度の会場ではないかと思う。話芸なのでひとりの人間が語りと表情や仕草で噺の世界の表現するのだから、そうした微妙な表現を感じることのできる物理的な距離というものがやはりあるだろう。それでもこうした地方の多目的ホールはまだましなほうで、国立劇場の大劇場とか、新宿の厚生年金会館などで行われるものになると、かなり無理を感じざるをえない。客を集められるだけ集めようとする興行主の事情も理解できるが、そういう無理が本当の愛好家を遠ざけることになりはしないのだろうか。こういうものは水物なので、稼ぐことができるときにたんまり稼ぐこともそうしたものに関わる人々の生活を支える上では必要かもしれないが、水物だからこそ、流行っていてもいなくても変わらずに贔屓にしてくれる人達も大事にしないといけないのではないか。

無圭礙故無有恐怖

2011年10月09日 | Weblog
7月にMacBookを買って以来、このブログの原稿はそちらで書くことが多くなっている。しかし、今日はタイトルの漢字が打てなかったので、それまで使っていたWindowsXPのほうで書いている。Macは起動が速く、動作が機敏なので大変使い勝手が良いのだが、残念なことに教養が足りない。

それでタイトルだが、般若心経にある言葉だ。なぜか、というか、やはり、というか罣の字が表示できない。网部に圭という文字であるが、とりあえず圭としておいた。罣礙無く故に恐怖有る無し、と読み下すらしい。こだわりがないので怖れを持たない、という意味だそうだ。陶芸や木工をやっていると、上手く作ろうという欲が自然に出るものだ。勿論そういう欲があるから、経験を重ねる毎に技量が少しずつ向上するものなのだが、それは道楽の話。それを生業にしているような人になると、日々大量の作品を作らなければならないので、自ずと経験値は上がり力量が増す、はずである。その上で、日々作ることが生きること、というような生活のなかから、新しさがあるとかないとか、何事かを表現するとかしないとか、要するに他者の眼を気にもかけない、超越者のような心境で作られたものが生まれるのだろう。それは手仕事であるけれど、誰の手であるかということを問うものではない匿名性の仕事である。そういうもののなかに、手元において、自分の生活のなかに取り込んで、なんとなくしっくりくるものがある。もっと言えば、使うのが嬉しい、眺めているだけでも楽しいものが出てくるものなのである。というようなことを柳宗悦はいろいろなところに書いている。

ところで、今日は自分が作った壷を出品した美術展の懇親会に出席してきた。自治体の美術展に作品を出品するのは、たいていリタイヤした人たちと相場が決まっているのだが、まさにその相場通りの会場だった。私が突出して若いのではないかと思えるほどだ。生業でなくとも、そもそも生業というものから卒業した人が毎日のように取り組んでいれば、作業量からすると生業と変わらないということになる。そうなると、なかには我欲を超えて、仙人のような心持ちで創作活動を楽しんでいる人がいないとも限らない。そして、そうした人の作品のなかに、特に技巧が優れているというわけでもないのに、なぜか惹かれてしまってその前から離れがたくなってしまう、というようなこともあるかもしれない。

懇親会の会場は、展覧会が行われている建物のなかにある宴会場だ。会は立食形式で、洋画、日本画、工芸などと部門ごとにテーブルが用意されていた。どうやら、殆どの出品者は地元のサークルのようなところに属しているらしく、初対面という雰囲気の人は少ない。賞を受賞した人や来賓の挨拶の後、食事をしながら歓談が始まるが、すぐにグループがいくつも出来て、今回初めて参加する私などは入り込む余地が無い。日本画のテーブルに至っては、テーブルの周りに部屋の壁際に並べられていた椅子を持ち寄り、着席しての歓談が始まっていた。どのテーブルも賑やかで、特に年配の女性というのは怖いもの無しといった風情だ。そういうところから、あるいは素晴らしい作品が生み出されるものなのかもしれない。

GO

2011年10月08日 | Weblog
以前、自分が気に入った本や映画を紹介し合う間柄の人がいて、彼女から「GO」という本をもらった。紹介することは多くても、実物をやり取りすることは珍しかったが、この本は数少ないものの一冊だ。稀少である分、その面白さも半端ではなかった。たぶん、気に入った文をどこかに記録しながら読んだはずなのだが、肝心なそのメモがみつからない。今日はたまたまGyaOの無料版に映画のほうの「GO」を見つけ、見入ってしまった。映画を観るのは今回が初めてだが、本で読んだ印象と違和感がなく、素直に楽しめた。キャスティングも本のイメージを損なうことなく、杉原の母親役に至っては本よりも存在感が強いくらいだ。大竹しのぶという人はすごい女優だと思う。

彼女から紹介された本も映画も外れたことがないのに、私が勧めるほうの作品はダメ出しばかりくらっていた。あまりの非対称性に本気で悩んでしまい、食事が喉を通らなくなって、3ヶ月ほどの間に体重が8kgほど減ったこともあった。その人とは今は疎遠になってしまったが、もし今でもそういう関係が続いていたとしたら、私が勧めたいと思うものは、以前にも増して高い確率で酷評されるような気がする。しかし、今はそのほうが面白くてよいと思える。人それぞれに生活を重ね、時に共感することがあったり、時に理解不可能なことがあったり、感性の軌跡が交錯するように互いの距離が変化するのが自然なことのように思う。誰とでも親しい関係を長く維持するというのは容易ではない。発想は経験に基づくものだ。積み重ねる経験が人によって様々なのだから、相手との距離感が同じということはあり得ない。そういうことを承知した上で、人と人との関係は成り立つべきものであるように今は考えている。だから、今は自分が良いと思って紹介する映画や本が悉く酷評されたとしても、食事が喉を通らなくなるほど悩むことはない、と思う。

ところで、映画にも本にもある台詞だが、主人公の親しい友人で民族学校始まって以来の秀才であるジョンイルが、激高する教師に向かって
「僕は何人でもありません。(日本人でもなければ、韓国人でもない)」
というシーンがある。彼の夢は大学を出て民族学校の教師になって、民族学校で落語をやることだ。

先日、「アメリカ」にも書いたが「国」とか「何人」であるとかいう言葉の意味をきちんと考えて使っている人がどれほどいるのだろうか。とりあえず生活は回っているけれど、我々の生きている場というのは訳の分からないことばかりである。今、アメリカでは格差社会に抗議するデモが流行しているそうだが、一攫千金を夢見て渡ってきた人達が作ったのがアメリカという国だろう。欧州の伝統的な因習から解放される手段として、金銭を基準にした「民主的」な社会を標榜していたのではないか。金銭すなわち計数表記である。物事の価値を数値の多寡で表現し、階級だとか慣習といった今現在の自分ではどうにもならないことから解放されることを目指していたのではないか。努力して、才能と幸運にも恵まれれば晴れて望んでいた富を手にする事が出来る。しかし、そうならなければ落ちるところへ落ちる、それが「アメリカ」というところの仕組みなのではないか。そんなことは今に始まったことではない。スタインベックの「怒りの葡萄」に描かれているのはそういう社会だろう。ヘミングウェイの「老人と海」だって、そこに描かれている記号を読み解けば、「アメリカ人」たる彼の世界観が見えてくるではないか。「ナントカの春」に触発されたと言われているようだが、「民主化」を達成したと言われている旧独裁国家で、果たして人々の暮らしは良くなったのだろうか。現実はそれまでの独裁に代わる支配被支配関係が成立しただけなのではないか。大山鳴動して鼠一匹、朝三暮四、いろいろ表現はあるだろうが、結局そういうことなのではないか。思うようにならないから、徒党を組んで馬鹿騒ぎをするというのは数を頼むという点で彼等が抗議している対象と何ら変わりはない。豚のように肥え太った連中が生活苦を訴えるという風景も冗談のようにしか見えない。

それで、民族学校で落語だが、それが最大多数の最大幸福を実現するという点ではあるべき姿ではないだろうか。何人ならかくあるべし、何人は何をしてはいけない、などと「何人」の何たるかも問わずして教条主義に陥るのは、単に思考を停止しているだけだ。この作品のエッセンスはジョンイルという知性と理性に溢れた少年が、「僕は何人でもない」と表明するところにあると思う。そして、その理性の象徴が、あのような形で亡くなるというのも、作者の世界観の主要な部分を表現しているのだろう。私も、現実とはそういうものだと思う。


夏仕舞い

2011年10月06日 | Weblog
掃除機をかけていて、ひょいと扇風機を持ち上げると、長さ3センチほどのネジがからころと落ちてきた。どこについていたものだろうと、ファンのカバーを外し、ファンもはずしてみると、ファンの裏側、モーターのカバーを止める4本のネジのひとつだった。十字に配置されているなかの、一番上のものが落ちてきたのである。ちょうどよい機会なので、扇風機も掃除して、箱に仕舞って物入れに片付けてしまった。片付けるときに、念のため、他のネジも調べてみると、驚いたことに全てのネジが程度の差こそあれ緩んでいて、特にモーターのカバーのネジは落ちてきたもの以外の3本も、いつ落ちても不思議でないほどに緩んでいた。勿論、ネジが緩むというようなことが無いに越したことは無いのだが、身の回りのものを掃除したり片付けたりするなかで、自分の生活を取り巻くものをひとつひとつ点検するという作業は、生活が機能しているような心持ちを起こさせるものだ。しかし、扇風機が止まっている状態でネジが落ちたから何事もなかったが、動いている状態でネジが落ち、それがファンに当たってファンの破片が飛び散るというようなことが起こるとただ事ではない。道具類の点検や手入れはきちんとしておかないといけないということだろう。

参考までに扇風機の詳細を以下に記しておく。
販売元:株式会社良品計画
輸入元:森田電工株式会社
型名:R-MM10
Made in China
2009年製
J102594
外箱には「池袋西武 生C045822」との記載あり。

おじさんのとけい 完成

2011年10月05日 | Weblog
木工でこれまでに作ったものから出た端材と、工房にあった板ガラスの廃材で時計を作った。板ガラスにどうしてもとれない汚れがあったり、針の位置が微妙にずれていて、0時0分0秒にならなかったりするのだが、まぁ、仕方が無い。振り子はただの飾りなのに、それっぽく動くところに感心してみたりする。さすがに、時計のムーブメントまでは自作ではない。ネット通販で購入した精工舎製のものである。

「おじさんの時計」というタイトルについては、これを作り始めた時のブログに書いたが、再掲しておく。
「振り子がついているが、これはただの飾り。中途半端な大きさで、置き場所に悩みそうなもの。要するに、虚飾にまみれて居場所がない、というところが「おじさん」なのである。」

あれから一月半

2011年10月04日 | Weblog
美大の通信課程のスクーリングで制作した器類のうち、素焼前の状態で持ち帰って、普段通っている陶芸教室に持ち込んで素焼、施釉、本焼をしたものが焼き上がってきた。出来はいまひとつとの感が強いが、こういうものに意外と愛着が湧くこともあるかもしれない。

それにしても、今日は散々な日だった。作るものがどれもうまくいかなかった。やはり轆轤は毎日挽くくらい練習しないといけないのだろう。なかなかそうもいかないのだが。

やっぱり芋が好き

2011年10月03日 | Weblog
以前、職場で隣の席の人と食べ物の好物の話をしたとき、その人が真顔で「フカヒレスープ」と言うので、卒倒しそうになったことがある。よくよく聞いてみると、かなり育ちの良い人らしいということがわかり、なんとなく納得できた。それで私は豆が好きだ、と以前にもどこかで書いた記憶がある。豆腐、納豆、枝豆、豆のカレー(ダル)、南京豆、とにかく豆ならなんでもよい。豆腐屋で売っているものは基本的に全部好きだ。豆の次に好きなのが芋で、じゃがいも、さつまいも、里芋、タロイモ、それらを使った食品や料理などである。食というのは、その人の文化であり、こうして並べてみると自分が貧乏人の倅であることが改めて納得できる。

さて、里芋が出回る時期になった。煮物でも豚汁のようなものでもおいしく頂くことができるが、初物は他の食材や調味料と混ぜたりせずに、それだけで頂きたいものである。というわけで、蒸した。大きさにばらつきがあるから、火の入り方に違いがあるという所為もあるかもしれないが、じゃがいもやさつまいもに比べると個体差が大きいような気がする。どれもそれなりに美味しいが、味はそれぞれなのである。なんだか人間のようだ。

そういえば、子供が小さい頃、やはり好きな食べ物のことを話していて、
「お父さんは人を食うのが好きだな」
と言ったら、
「お父さん、それはよくないよ」
とかなり真剣に諭された。

市展に出品

2011年10月02日 | Weblog
8月23日のブログに紹介した壷を、住民票のある自治体の美術展に出品申し込みをしたところ、展示されることになった。何の変哲も無いただの壷なので、さすがに無冠だが、今日から10月10日まで自治体が運営する文化会館で開催されている展覧会に展示されている。

この展覧会は以下の6部門で構成されている。
第1部 日本画
第2部 洋画
第3部 彫刻
第4部 工芸
第5部 書
第6部 写真
全部で207点の出品があり、全品陳列されている。ハズレなしということだ。このほかに審査員の先生方の作品もあり、全部で268点の作品が展示されている。このうち陶磁作品を含む工芸部門の出品数は34で、陳列作品は42点である。美術展に出品しようというほどの作品が殆どなので、どれも技巧や創意工夫の跡を見て取ることができる。そうしたなかに、ただの壷を出すというのも、我ながら大胆だとは思うが、並べるほうも寛容だ。

言い訳がましくなるが、あの壷はずっとテーブルの上に置いて眺めていた。あの後、2つの壷が焼き上がってきたのだが、最初に出来たあれが一番良いような気がしたのである。何がどう良い、ということは言えないのだが、なんとなく気に入った。そんな折に、自治体の美術展の案内を目にしたので、なんとなく出品してみることにした。申し込み期間の終わりの頃に市役所に出向いて出品申し込みをしたところ、受付番号が妙に若かったので、ひょっとしたら出せば並ぶのだろうか、と期待が膨らんだ。いざ蓋を開けてみると、期待通りだったというわけだ。

出品作が全て入選だからといって、決して他の類似の展覧会に引けをとるような内容ではない、と思う。勿論、所謂「権威ある」展覧会に比べれば、出展作が工芸も絵も総じて小振りになるのは仕方ないだろう。こういう自治体系の作品の出展者は殆どが私のような素人なので、大きな作品を制作する場所がないという人が多いのではないだろうか。確かに、こういうものを描いたり作ったりする場合に、サイズというのは見た目以上に力量の差が出るものだ。しかし、大きければよいというものでもないだろうし、小さいから難易度が低いという単純なものでもない。作品を通じて表現しようとする心が一番大事なものであって、技巧や道具は二の次だ。勿論、表現のためには技巧も道具も優れているに越したことはない。しかし、何が主であり何が従なのか、というところをおさえておかないと、威張り腐っているだけのものになってしまう。

8月23日のタイトル「つぼさん」は落語の「壷算」から取ったつもりだ。落語には、あまり悪人は登場しない。あくまで私の主観だが、西洋の笑い話には人を馬鹿にして笑うものが目立つように思う。落語では人を騙したり馬鹿にしたりして噺をサゲるというのは少ない。「壷算」はそうした数少ない騙しネタだ。一荷入の壷の値段で倍の二荷入の壷を買ってしまうという噺である。こういう噺は難しい。人を騙す、馬鹿にする、という行為を素直に笑うことのできる人というのはそういるものではない。笑えたとしても、どこか引っ掛かりが残るのが文明のある社会に暮らす人の一般的な反応だろう。そう言えるのは、文明社会の基本にあるのは人を信じることにあるからだ。信義に反することが明らかになれば犯罪として権力により取り締まりを受け、メディアによって報道される。「人を見たら泥棒と思え」ということが当然の社会なら、信義に反するのは当たり前なので、いちいち取り締まりきれるものではないし、当たり前のことにニュースとしての価値など無いはずだ。一方で、どのようなことにも二面性というものがある。絶対的に善というものも無いだろうし、絶対の悪というものも無いだろう。どのような立場でものを考えるか、どのような論点や視点でものごとを捉えるかによって、同じ事象が正反対の意味を持つことは珍しいことではない。とはいえ、騙す側に分があると思わせるような噺ができるのは、やはり噺家の力量があってこそなのである。

それで、「つぼさん」だが、騙すほうの意味ではなく、一荷入が二荷入に化けるように自分の力量が成長することを願って、そういうタイトルを付けたのである。