万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

グローバル人材の盲点―欧米の個人主義とアジアの血族主義

2011年12月05日 14時56分24秒 | 国際経済
【アメリカ大学院 留学経験者 ホンネ座談会(上)】日本の「グローバル人材」育成戦略をどう見るか?世界競争を勝ち抜く本当に必要なキャリアプランとは(ダイヤモンド・オンライン) - goo ニュース
 日本企業の海外進出を背景に、近年、グローバル人材の不足が指摘されるようになりました。実際に、事業の海外展開に備えて、日本企業の本社でも、アジア系を中心に外国人の採用が増える傾向にあります。しかしながら、グローバル人材の採用にも問題点がないわけではありません。

 そもそも、グローバル人材という言葉は、人が特定の国や民族に帰属していることを意識の脇に置き、地球視点からものを考える”個人”であることを強調した表現です。グローバリズムの発祥の地である欧米では、個人主義が浸透していることもあって、職場でも、個人に徹して仕事をする土壌があります。特にアメリカでは、多民族国家であるために、国籍や出身民族の違いは当然のことでもあります。その一方で、アジアを見ますと、必ずしも個人主義が定着しているわけではなく、伝統的な血族主義が、公私ともに蔓延する傾向があります。日本国では、伝統的に公私を厳格に分けることをよしとし、また、近代化の時期が早いこともあって、比較的個人に徹する傾向が強いのですが、中国や韓国などでは、今日でも、身内を贔屓する強固な血族主義が見られます。この結果、グローバル人材として採用したはずが、いつのまにか、出身集団を背負ったローカルな人材となることも、充分に想定されるのです。さらには、特定の国籍、または、民族出身の人物が人事権を掌握するとなりますと、企業内の重要ポストは、その集団の出身者で固められてしまうかもしれません。

 グローバル化を進めれば進めるほど、組織内部のローカル化と摩擦が強まるとしたら、何と皮肉なことでしょうか。アジアでのグローバル化は、ややもすれば、”異質なグローバル化”となる可能性があるのではないかと思うのです。

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コメント (2)
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