万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

日中関係は不惑の年?-新華社による『論語』の曲解か

2011年12月25日 17時06分25秒 | アジア
「日中関係、不惑の年へ」新華社、野田首相訪中前に時評(朝日新聞) - goo ニュース
 本日、日本国の野田首相は、中国を訪問するために羽田を後にしましたが、この訪中に先立って、中国の新華社は、論語を引用し、日中関係は「不惑の年」を目指すと論評しています。この引用、どこか、的外れに思えるのです。

 「吾十五にして学に志し、三十にして立つ。四十にして迷わず…」は、『論語』の中でも特によく知られている文章です。来年は、日中国交正常化から40年となる記念すべき年、ということで、新華社は、40年という年に因んでこの文章を引いてきたのでしょう。しかしながら、『論語』で述べている年は、人が、その一生において学問を進めてゆく上での心境の変化と到達点を表しているのであって、国と国との関係を表現したものではありません。ですから、”不惑”とは、一体、何に迷わなくなるのか、意味不明となるのです。もしかしますと、日中友好は、もはや迷う段階ではなく、確立した関係であると言いたいのかもしれませんが、近年の中国の急激な軍拡や覇権主義的な行動を目の当たりにすれば、日本国の迷いは、深くなることはあっても、決して消えることはありません。日本人の多くは、日中関係の将来については、ひどく懐疑的なのです。

 『論語』は、孔子の生誕地である中国が本家本元なのですが、その中国が、その意味するところを理解していないとなりますと、中国版ノーベル平和賞とされる孔子賞も怪しい限りです。日本国は、中国による『論語』の現代風解釈、あるいは、共産党風解釈に対しても、警戒心を持たなければならないのかもしれません。

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