リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

自分の靴を履いて歩きたい

2015年03月28日 | 日々の風の吹くまま
大雨の予報が出ている。俗に「3月はライオンのごとくやって来て、子羊のごとく去る」と言
われるけど、今年の3月は逆で、子羊のごとくやって来て、ライオンのごとく去るつもりらしい。
まあ、桜はもうほぼ散ってしまったからどっちでもいいけど。それにしても、もう4月になって
しまうんだなあ。時間の足、早すぎ・・・とぶつぶつ言いつつも追いかける。今日もまじめに
仕事をしたので、残るは一番大きいやつがひとつ。会社の内情話は野次馬根性でやれて
おもしろいけど、しまいにはやっぱり「おなかいっぱい」の気分になって来る。

気晴らしにと小町横町を散策してみても、やっぱり何か「もういいよ」という気分になるのは
何でだろうな。あんがい、引越し作戦を巡ってカレシとけんかしているうちに、ワタシの奥の
奥でずっともやもやしていた霧が晴れて来たようなところがある。「人の靴を履いて考える」
という言葉は他人の身になって考えるということで、耳当たりのいい言葉なんだけど、自発
的に他人の靴を履いてこそ共感が生まれるんであって、他人に「オレ/アタシの靴を履いて
考えろ」と強要するのは「自己主張するな」と言うことに等しくて、相手の人格否定につなが
る虐めの手段にもなる。

翻訳と言う作業は何となくこの「人の靴を履いて考える」行為に似ていなくもない。それがワ
タシの生業だから、表向きは自発的にやっていることになるんだろうけど、自分をどこかに
置き忘れているような気持になることもある。最初の10年間は主に英日翻訳をやっていた
けど、そんな気持になったことはなかったな。英語と言う靴の履き心地が良かったのかな。
期せずして日英翻訳に方向転換してからは他人の頭の中を日本語という靴を履いて歩か
なくてはならなくて、年と共にその靴が足に馴染まなくなって来たのかな。もしかしたらまた
燃え尽きかけているのかもしれないけど。

たぶんもう十分に長いこと他人の靴を履いて歩いて来たよってことで、自分の靴を履いて歩
きたいんだろうな。やりたいことがたくさんあるのに、仕事をやめたらやろうと自分に言い聞
かせて来たけど、環境が変わるのに合わせて本気で引退を考える気持が強くなって来た。
人生があとどれだけ残っているか知る由もないけど、4月はワタシの誕生月。他人の靴は
脱いで、きちんと揃えて返上して、自分の靴に履き替えて外へ出よう。何か新しい発見があ
りそうな気がする。