リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

カナダに根付いて44年の極楽とんぼは侵略的外来種?

2019年05月13日 | 日々の風の吹くまま
5月12日(日曜日)。☁☁。空いっぱいの雲。気温は5度くらい下がったかな。今日は母の日だけど、ワタシにはナダに来て満44年。あの日は月曜日だった。当時のカナディアンパシフィック航空の東京―バンクーバー便は週に3便だけ。カレシが休みを取って迎えに来ていた。うん、あの日が私たち2人の「人生」が始まった記念すべき日。どんな天気だったか覚えていないけど、雨は降っていなかったな。

その日のうちにArmy & Navyというディスカウントストアに行って、新しい食器とワタシの枕を買って来て、カレシが当時住んでいたアパート15階のワンルームで2人暮らしが始まった。今振り返ってみると、ほとんど無に近い始まりだったな。独身用のワンルームだから、ベッドがソファ代わりで、家具はカレシが実家からもらって来た古いものか、カレシとパパで作った簡単なもの。たんすは置き場所すらなくて、数ヵ月後に寝室のある部屋に移ったときに、素地のままのを買って来て、自分でウレタン塗料を塗って仕上げたし、市の外れの2階建てのタウンハウスに移った3年後には、パパの工具を借りて食器棚、コーヒーテーブル、テレビ台、ワタシのデスクを合板で作った。貧乏だったからそれなりの工夫をしたわけで、タイルを嵌めたコーヒーテーブルは初マイホームのぼろ家を壊して新築した家でもカレシの植木台として鎮座していた。

まあ、自分で作ってしまうのが手っ取り早かっただけの話だけど、それでも2人の貧乏暮らしは楽しかった。器用貧乏と言われて育ったワタシの面目躍如と言えなくもないけど、あの頃は若かったから貧乏なら貧乏なりに当座の要をまかなえれば満足だったんだと思う。移民の定着を支援するサービスなど何もなかった時代で、翌日から英語プールの深みにどぼんと放り込まれたような毎日だったけど、生まれつき好奇心の塊みたいだったワタシがどうしても染まれない文化の息苦しさから解放されて、思い切り羽を広げて毎日の新しい発見や学びを冒険として楽しむことができたのは幸いだった。何よりも何よりもひょんなことから後先を深く考えずにお嫁に来たカナダという新しい土地の水が合っていたのは幸運の極みだったと思う。

エキゾチックな鉢植えの花で終わることなく、新しい土壌に深く根を伸ばして、雑草のように根を広げ、野放図に葉を広げ、花を咲かせて、春の日を謳歌しているワタシはさしずめ「侵略的外来種」といったところかな。海を越えて飛んで来た極楽とんぼのカナダ暮らしも45年目に入るわけで、記念すべき50年がもうすぐ目の前。50年といえば「半世紀」。はて、半世紀と50年とではどっちが華々しく聞こえるかなあ。

   
   44年前、異国へ飛び立つ娘の後姿を見ていた父・・・