リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

旅の空から~また進路を変えて、今日はユトレヒト

2023年04月15日 | 日々の風の吹くまま
4月14日(金曜日)。(ユトレヒト)。☁⛅☀。当初予定のザーンダムから変更になって、今日はオランダ第4の都市ユトレヒト。午前3時過ぎに着いたので、接岸作業で目を覚まされた人が多かったかも。ロッテルダムを出たのが夜遅くだったから、ごく近いところなんだな。明日帰り着くアムステルダムからも30キロくらいだそうで、北米の距離感で行くと、なんだ、すぐそこじゃないのってことになるけど、オランダの人はどういう感覚なのかな。高校の世界史の教科書に「ユトレヒト条約」というのがあったけど、何のことだったかもう忘れちゃった。とにかく、ローマ帝国が要塞を築いたのが始まりだそうで、アムステルダムが台頭するまではオランダの中心だったけど、今はオランダ最大の大学があることで有名。

ミハイが朝のうちにカレシの検査に来て、2回やってまだどっちも陽性。でも、陽性の線がきのうより目立って薄くなっていたので、「もう少しですね。午後にまた検査しましょう」。まあ、隔離8日目だから、ウィルスにはもう感染力はないだろうと思うけど、何ともしつこいやっちゃ。ミハイが「6時過ぎまで停泊するので、街を観光するならタクシーを手配しますよ」と言ってくれたけど、観光気分はもうすっかりなくなってるのよね。でも、出かけることを知らせたら、その間に部屋の掃除をしてくれると言うので、窓から見えているモダンなデザインの橋(プリンスクラウス橋)まで歩いて来ることにした。それで、ランチの後でロビーに出てみたら、あは、また二重駐船。カードキーでピッと下船を記録して、空いたドアから隣の船(Avalon Panorama)のロビーを通り抜けて、外へ、あまり寒くないし、風も穏やかなので、艀の往来が活発な川(実はアムステルダム・ライン運河)の岸を手をつないでてくてく。両側は団地のようなそっけないアパートがずらり。橋の下まで行ったら、橋に上がる階段が見えたので、上がって行って、橋の端までてくてく。わずかな段差で分けた自転車道と歩道があって、車道は中央。開通は20年前だそうで、主塔を見上げながら、今架け替え工事中の我が町のパタロ橋もこんな斬新なデザインにしてくれたらよかったのになあ。


プリンスクラウス橋



ダブルパーキング

橋の上




船のところまで戻って来て、外していたマスクを着けなおして、マスクをしたカップルが話しかけて来た。隔離中のウェインとファーンの夫妻で60代くらい。感染者同士だから気安くおしゃべり。カレシがまだ陽性なのと言ったら、奥さんが「うちも私がまだ陽性なの」。でも、症状はなくなったそうで、2人とも元気。ブリュッセルを過ぎて症状が出て来たそうで、と言うことは最後までほとんどずっと隔離かなあ。「メキシコに行ったときも、ラスベガスに行ったときも大丈夫だったのに、えらい損をした」。私たちはアムステルダムから乗ったので、3分の2は「引きこもり」だと言ったら、「てことは長いんだねえ。クルーズ自体が長いけど」。うん、秋の地中海は10日だから、それに比べたら長いかな。でも、来年の秋のは18日で、途中6日間も陸が見えないのと言ったら、ウェインが「うちは無理だなあ」。奥さんのファーンは「私は2度とクルーズには行かない」ときっぱり。。

橋の方へ歩いて行く2人を見送って船に戻ったら、キャビンはシーツもタオルもグラスもみんな取り替えてピッカピカ。引率のジェフに日曜日の空港行きはどうなるのか聞いてあったので、クルーズディレクターのタマシュから電話があって、私たちはグループから離れて、もう一組(ウェインとファーン)と一緒に空港に行くようにミニバンを手配したとのこと。おあ、よかったぁ。手荷物を廊下に出す時刻も下船時刻もグループとは別になるので、後でメモを作って届けるということで、懸念がひとつ解消。その後でジェフが電話して来て、「空港では普通にKLMのカウンターに行けば大丈夫だし、カナダ入国はもう何の制限もないから心配ないよ」。要するに、隔離やマスクは船に乗っている間だけのルールで、下船してしまえば後は(そんな制限はとっくに撤廃されているから)お好きなようにってことだな。とにかく、ちゃんと帰れるってことで、2人とも肩にのしかかっていた大きな重石が取れた気分。やれやれ。


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