Lee Konitz / With Tristano, Marsh & Bauer ( 米 Prestige PRLP 7004 )
リー・コニッツのアルバムをいろいろ聴いていくと、そこにはいくつかのルールが存在することに気が付く。
第1のルール:ジャズはインプロヴィゼーションがすべてである
ジャズという音楽はインプロヴィゼーションの音楽である、ということを宣言して、それを隅々まで徹底すること。まず最初にこれがある。
インプロヴィゼーションを展開する上でスタンダードのコード進行は必要だったが、テーマは必要なかった。だから、曲の出だしから最後まで
全編がオリジナルのアドリブ・ラインで構成されることになった。
第2のルール:メロディーが最も大事である
コニッツは音楽の中ではメロディーが最も重要だと考えていた。だから、インプロヴィゼーションとしてどんなフレーズを吹いたとしても、
必ずメロディーからは離れなかった。共演者と長いユニゾンを取るのも、ハーモニーよりもメロディーが大事だからだし、リズム感を犠牲に
して長いアドリブ・ラインを吹くのも、リズムよりメロディーが優先すると考えていたから。コニッツの演奏はいつもリズム感が悪いけれど、
それにはちゃんとした理由がある。
第3のルール:楽器の音色にはこだわらない
コニッツにとって楽器の音色はさほど重要ではない。ノン・ビブラートのひんやりとした音色の時もあれば、太くマイルドな音色の時もあるし、
かすれたようなペラペラの薄い音の場合もある。テナーを吹く時もアルトのようなイメージで吹くし、と楽器で鳴らす音に必要以上の拘りを
見せなかった。初期コニッツの音にはクールなイメージがあって、たいていの人がこの音のファンだが、初期のレコードをよく聴くと実際は
楽曲毎に音色が違っていることがわかる。音色の魅力だけで音楽を聴かせるつもりが元々ないので、音色の心地よさでしか音楽が聴けない
リスナーには後期コニッツの演奏が理解できない。
第4のルール:フリーはやらない
既成のコード進行は表現の幅を縛るのでコード進行から解放するためにフリー・ジャズをやる、という主張は単なる甘えた泣き言。
フリーやアヴァンギャルドはコニッツにはピンボケの所為。制約の中でどこまで制約を超えることができるかがジャズの意味だと考えた。
第5のルール:ビ・バップこそがジャズの神髄
コニッツの音楽のベースには常にビ・バップがあった。インプロヴィゼーションの音楽とは、すなわちビ・バップのことだった。
コニッツにとってハード・バップは生ぬるくて、上手く自身を表現できなかった。ヴァーヴ期の演奏がこれにあたる。
第6のルール:チャーリー・パーカーから遠く離れる
コニッツは自宅の壁にパーカーの写真を1枚だけ飾っていた。彼にとってパーカーは手の届かない永遠の存在。トリスターノからも、
とにかくパーカーの音楽を聴け、と繰り返し教えらえた。だからこそパーカーは聖域であり、その後を追うことはしなかった。
パーカーからどれだけ遠くに居続けることができるか、が彼の演奏のテーマだった。
第7のルール:常に1人でいること
彼は生涯自己のグループを持たなかった。固定されたメンバーでの演奏がもたらすマンネリ感を避けるために、その時々で最も重要だと
考える演奏者を選び、共演することで自身の音楽を更新し続けた。
これからの大半のことが、公式デビュー作であるプレスティッジのこの演奏の中に既に予言されている。最初から自分に厳しい人だった。
そして、それを生涯貫いた人だったと思う。だから、私はリー・コニッツを尊敬していたし、それはこれからもきっと変わらない。