さて、前回のこのシリーズから約1ヶ月が経ってしまい、またまた忘れられてるかも知れませんが、いよいよ今回で最終回です。前回は外から岩壁を見るような画像でしたが、今回まずはその岩の中段まで上がり、内側から見下ろした画像です。こんなふうに屋根があるような構造なので、色んな時代々々に宿代わり等に使われて来たんですね。
現代でもそう言う使い方をしている人がいるようで、泊まってまではいないかも知れませんが、下に焚き火の跡がありました。夏場ならキャンプをするにも良さそうです。先人が遊びに出て来るかも知れませんけどね (>_<)!。
次の画像は直ぐ横の方にある、お墓として使っていた跡です。本来なら岩穴に納めてある筈の壷等が外に散乱してます。良いのかな? 一緒に写っている骨は人の物とは思えなかったのですが、詳しくは分りません。
次の画像も人の骨にしては太すぎるので多分今までの画像を見ても牛の物だと思います。なぜここいらに牛(または他の動物)の骨が沢山あるのか? もしかしたらここに住んでいた人達が家畜として飼っていたのか、それともお墓に一緒に納めていたのか、ちゃんと調べて見ないといけませんね。まぁ、石垣島の良い所はそう言うのも図書館(何所の図書館にもあるが、特に石垣は資料が見やすい)や、教育委員会が少なくともオイラには身近な存在なので比較的情報が入りやすいんです。
最後の画像、「こんなちゃんとしたお墓もあるんだ、へぇ~」と思った方、良く見てください。このお墓、コンクリートブロックで出来ているんです。おかしくないですか?風葬とかしてた時代にブロックなんてありませんよ。そうです、これも例の変な集団が弄った跡でしょう。 やっぱり昔のままの状態を後世に残し伝えると言う文化遺産?と言う観点ではダメなんですね。ただそれは、オイラ達現代の人が勝手に思っているだけで、本当はここで眠っている先人達にして見れば、「立派にしてくれてありがとう!」って感謝してる可能性も大だったりしますよね(笑)。