石垣島の新空港と同じ場所、白保竿根田原洞穴遺跡からDNA解析で2万4千年前の人骨が出た事は日本中、世界中で話題になりましたが、その洞窟から幾つか出た人骨のうち、約2万年前の人骨に触る事が出来きました! もちろん本物です! こわいので手の上にそっと乗っけて貰うと普通の骨よりかなり重く、既に化石化して来てるので重いんだそうです。 他にも同じ洞窟から出た年代の違う骨などもあり、国立博物館で展示するような物を触るなんてこんな事は普通出来ない体験なのでかなりの感動です! 発掘地ならではの特権? 手に乗っけて写真も撮ったんですが拝んでもおきました。 オイラも2万年後の人々に注目される人になりたい!、かなり遅いデビューだな(笑)。
さてこの白保竿根田原洞窟ですが、何万年も離れた違う年代の骨が同じ洞窟から出ると言う事で、長い間ここがおそらく墓場だったのでは?と想像する事が出来るんですが、実は石垣島の歴史の中で土器を使う時代(下田原期)のあと謎の空白があり、約2000年くらい前に今度は無土器の時代が来るんです。 土器を使ってた人々が再び無土器に文化後退するなんておかしいですよね。 ではどういう事か? この空白期にちょうど「八重山大津波」があったと言われる頃なのでその時に石垣島は一度無人になったんではないか、そして新たにやって来たのが無土器の人々だったのではないかと言われてるんですね。 そうでないと辻褄が合わない。
たしかに今の時代、「都会を捨て田舎暮らし」とか「デジカメよりフィルムが好き」なんて言うのもあるけどそれとは違いますよね。 同じ人種・種族が代々同じ場所を神聖な場所、先祖代々のお墓、と言うならまだ納得がいくんですが、一旦途絶えて新たな種族・人種が来てからも同じ場所を墓場として使ってたんだとするとこの場所が種族が変わってもよっぽど何か心惹きつける、魅力的、霊的なパワースポット?、そういう場所だったんだろう、と言う事になります。 そういう場所が例えば内地では「伊勢神宮」になったり「出雲大社」のようになったんではないでしょうか。 特に現代人より昔の人の方が何か科学では証明できないような力、第六感みたいなものがありそういうのを感じ取る能力に長けてたのかもしれません・・・。
なんて書いて見たけど、ただ地形的に死んだ人を放り込んでおく(捨てておく?)のに丁度良い洞窟だっただけかも知れません。 それは例えば死んだ人を敬うなんて考えが無い人種で、死んだらただのゴミ扱いだとか、伝染病(マラリアなど)から人々を守るために死体(病人)を隔離しておくのに都合の良い場所だったり。 もしくは一方の人種は墓場として使ってたけどもう一方の人種は死体(病人)を隔離する場所とかね。 謎は深まるばかりですが、こういう想像が楽しいんですよね、古代ロマンです(笑)。