今日も昨日同様、快晴の空となりました。
ただ違うのは、薄らと絹のカーテンが、
かかっていることかも知れません。
そして・・朝こそ冷えましたが、
今日は予報通り、暖かくなりました。
「ああ、母さん、今日は春のような匂いがするわ。」
「母さん、春ってわくわくする季節ね。」
【「炉辺荘のアン」 第22章】
これはアンの娘、ナン の言葉ですが、確かに春の匂いって、ありますね。
私も空気の中に、独特の匂いを感じました。
例年、2月にも、“春の兆しの匂い”
とでも言うのでしょうか。その匂いに接しています。
今年の2月は暖かかったのですが、それでもそれは健在でした。
気紛れなお天気の神様が、やっと運んでくれた“春”。
アンではなくても精一杯、満喫したくなります。
すみれは相変わらずですが、少しずつ
新しい花も加わって、賑やかになって来ました。
「1年のこの季節には、あたしは
自分の言うことには、
何にも責任はないんですのよ。
このことは、この辺の人は、皆知っているんです。
あたしは元から春になると
少し気違いじみて来るんですの。
でも素晴らしい気違いですのよ。
あの砂丘の上の霞が、踊る魔女のようじゃありません?
あの水仙に気がお付きになって?
あんなに見事に咲き揃った水仙は、炉辺荘では
今まで一度もありませんでしたわ。」
【「炉辺荘のアン」 第14章】
アンの言う素晴らしい気違い・・分かる気がします。
それにいつも思うのですが、アンは “今” を
とても大切にし、楽しんでいます。
水仙しかり、春しかり・・。
“今年の春は今迄で一番美しかった”
とか、“こんなに見事に咲いた水仙は初めて” 等など・・。
“あの頃は良かった”、
“あの時は幸せだった・・” とは、大変な違いです。
今の幸せと、過去の幸せ・・。
今の幸せに気付かないなんて、何とも勿体ないですね。
ただ違うのは、薄らと絹のカーテンが、
かかっていることかも知れません。
そして・・朝こそ冷えましたが、
今日は予報通り、暖かくなりました。
「ああ、母さん、今日は春のような匂いがするわ。」
「母さん、春ってわくわくする季節ね。」
【「炉辺荘のアン」 第22章】
これはアンの娘、ナン の言葉ですが、確かに春の匂いって、ありますね。
私も空気の中に、独特の匂いを感じました。
例年、2月にも、“春の兆しの匂い”
とでも言うのでしょうか。その匂いに接しています。
今年の2月は暖かかったのですが、それでもそれは健在でした。
気紛れなお天気の神様が、やっと運んでくれた“春”。
アンではなくても精一杯、満喫したくなります。
すみれは相変わらずですが、少しずつ
新しい花も加わって、賑やかになって来ました。
「1年のこの季節には、あたしは
自分の言うことには、
何にも責任はないんですのよ。
このことは、この辺の人は、皆知っているんです。
あたしは元から春になると
少し気違いじみて来るんですの。
でも素晴らしい気違いですのよ。
あの砂丘の上の霞が、踊る魔女のようじゃありません?
あの水仙に気がお付きになって?
あんなに見事に咲き揃った水仙は、炉辺荘では
今まで一度もありませんでしたわ。」
【「炉辺荘のアン」 第14章】
アンの言う素晴らしい気違い・・分かる気がします。
それにいつも思うのですが、アンは “今” を
とても大切にし、楽しんでいます。
水仙しかり、春しかり・・。
“今年の春は今迄で一番美しかった”
とか、“こんなに見事に咲いた水仙は初めて” 等など・・。
“あの頃は良かった”、
“あの時は幸せだった・・” とは、大変な違いです。
今の幸せと、過去の幸せ・・。
今の幸せに気付かないなんて、何とも勿体ないですね。
そうですよね…
過去を羨まないで、今を楽しみ、感謝して生きていきたいです!
リラさんのブログは、本当にためになります。
毎日が、バタバタと過ぎてしまっていて
余裕がなかったのですが、ここにお邪魔すると安らぎます(*^^*)
ためになるだなんて・・・。
私のブログは、独断と偏見で、好き勝手に書きなぐって
いるだけですから、お恥ずかしい限りです。
ただ、アンの言葉には未だに慰められています。
子供には子供の目線で、大人になればなったで又、新しい発見が
あるのが、不思議です。本当に子供から大人まで楽しめる本ですね。
春の香りを感じさせて貰える
写真を見ながら
ベランダから見える
田んぼの菜の花を眺めてしまいました。
年とともに
あの頃は良かったな~ぁって
思ってしまいがちになっている気持ちを
ふと、現在の幸せを忘れがちになっているんだなって
気づかせて頂きました。
今ある現状の中での幸せって
自分自身が感じないと
当たり前のことなんだけれど
感じれないものですよね。
今日は、お天気は良いのに、青空が望めません。
薄らと・・絹のヴェールがかかり・・・。
初めは、びっくりもし、“もしかして、黄砂?” なんて
思ったものですが、物事は、はっきり見えるのもいいけれど、
偶には絹のヴェール越しに眺めるのも、いいかも・・と思い始めています。
「あの頃は良かった・・」 は、実は私の母の口癖でもあるのです。
年と共に、それは仕方のないことかも知れませんが、それでは
いつまで経っても、現在の幸せはないことになります。
翻ってアンは・・と言えば、「今年の春は良かった・・。」
「今年ほど、綺麗なお花が咲いた年はない・・」 などと常に 「今」 の
美しさを讃え、
「今」 の幸せを感謝しています。
そうは思っても、性格もあるのでなかなか難しいでしょうが、
せめてそのように思って生活出来ればいいな、と気付かされました。
心配性の 「従妹アーネスティン病」 にならないように
気を付けようと、思っています。