『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

フキノトの季節

2021-02-21 08:35:00 | 趣味
スーパーの店頭に
蕗の薹(フキノトウ)が
出回るようになった。

それを見て、
そろそろ、
フキノト・ハンターの季節到来
かと思い立った。

今日あたり、
天気はイマイチだが、
"狩場"のビッキ沼に
いってみようかしらん・・・。

空振りになったら、
リュートでも持参して
ジョングルール(道化的大道芸人)ごっこ
でもしてくっか・・・。

いちどやってみたい
酔狂な遊びに、
十徳に宗匠頭巾をかぶって
茶道具を持ち出して
登山道や林間に出没する
「即興茶人」という
パフォーマンスがあるが、
なかなか、勇気と行動力がなく
未だに実現できずにいる(笑)。

ついでに、
真っ白な付け髭も
面白かろうと思う(笑)。

何度かやってりゃ、
そのうち、地元のテレビ局が
取材に来るかもである・・・(笑)。

女子アナに
「どうして、
こういう事しようと
思われたんですか?」
と問われたら、
「はい。
もう、世の中が嫌んなって・・・(笑)」
とでも
応えようかしらん。

それと、
駅前の地下道でも、
サングラスに
ロン毛の金髪ウィッグで
付け髭して(笑)、
「妖しいギタリスト」
やって、前に缶カラ置いて
幾ら投げ銭が集まるかも
やってみたい(笑)。

どーせ、
コロナに地震に
放射能汚染に・・・と、
ろくでもない事の連続なんだから、
誰かひとり、こういう
「馬鹿」をやってもいいのでは、
と思っちまうのは、
一休禅師の「風狂」に通ず
トリックスター性かもしれない。

良寛禅師だって、
日がな一日、
子どもと毬ついて
遊戯三昧の境地にあった。

その辞世は

 裏を見せ
  表を見せて
   散るもみじ

である。

この「裏」が、
彼のトリックスター性の
部分であったのだと思う。

一休・良寛ともに
名僧にして聖人である。



去年、めでたく
公認心理師の国試に合格された
S先生が、久しぶりに
カウンセリングに来られた。

院で修士号を取られ、
管理職になられてから
国試に挑戦されて
合格を果たしたのは
まことに天晴な快挙である。

かつて、
100時間もの夢分析に
通っておられたので、
「教育分析」も
ちゃんとされている方だから、
教員退職後には、是非とも
SCの仲間に加わって頂きたい
と期待している。

手土産に頂戴した
高級イチゴの「あまおう」を
ウェッジウッドのオーヴァルに
パーティー・デセールのように
ドレッセしてみた。

さすがに
逸品どうしのマリアージュは
眼にも見事で、
エレガントかつ
ゴージャスな食卓となった。





ブログネタもさることながら、
「美」の創作トレーニングの為にも、
街中の風景から
「素材」になりそうなアイテムを
集めてくる。

散歩コースにもなっている
近所の蓬莱橋の上には
ブロンズの『少女像』があり、
バックが緑の山並に映えて
なかなかのロケーションである。

そういや、最近、
皆川先生ご推薦で
外盤CDを購入して聴いた
モンテヴェルディの『オルフェオ』が
感動的な作品だったが、
その名をよくよく見れば
「モンテ=山」
「ヴェルディ=緑」
なので、日本名なら
さしずめ「緑山さん」なんだぁ・・・
と思ったら、ルネッサンス期の
大作曲家に対して親密感を覚えた。





フェイスブックでは、
自分だけ見れる過去ログが
日替わりでアップされるので、
時折、懐かしく
過ぎ去りし日々を
回顧している。

平成20年(2008)の
O高の勤務時代に
全校生を対象に
体育館でやった講演会は、
とうの昔に忘れていたが、
こんな話をしてたんだぁ・・・と、
他人事のようにも感じられた(笑)。

『性の生物心理学』なんていう
ややこしいテーマになっているが、
生物学と心理学の両方を
やってきた自分ならではの
セレクトだったのだろう。

講演は
会議用レコーダーで
全て手元で机上録音して
取ってあるので、
テープ収納用キャビネットを
探したらあるのだろう。

もっとも、
何百本もあるから
その手間を考えたら
このまま塩漬けになりそうだ(笑)。





同じく、
13年前の50歳頃の
自宅カウンセリング室での
一枚が出てきたが、
当たり前だが、
今、毎朝の洗顔後に、
鏡で見るよりも
ずいぶん若いなぁ・・・と、
驚きもした(笑)。

********

できるだけ、
自分の文章修行として
「やまと言葉」を
多様するように心がけているが、
なかなか、うまくピタリと
ハマる機会は少ない。

これまで、
使ったものと言えば・・・

あまた、あんのん、いささか、
うららか、うるむ、
おいとま、お月さま、お日さま、

おぼろげ、かすむ、
心残り、さすらう、ざわめく、
しがらみ、たおやか、たなびく、
つのる、ときめく、なごり、

なさけ、なじみ、なびく、
秀でる、控える、
久々、吹きさらし、ふくよか、

耽る、ふぶき、ぼんやり、
まぼろし、安らぎ、やむにやまれぬ、
夕暮れ、よしみ、わびしい、

・・・などがある。

なかでも、好きで
よく使うのは
「たおやか」である。

動作などが美しく、
しなやかなで
優しげなさまをいう。

こういう言い回しは、
今のJC/JKたちはおろか、
平成生まれの息子たち世代からも
とんと聞いた覚えがない。

もっとも、
彼らは、SNS世代でもあるので、
「意思の疎通」さえできれば
OKという「情」抜きが
日常なのかもしれない。

「情報」化時代といいながら、
肝心の「情」が脱落しているのは
いかにも皮肉な事だ。

これとて、やまと言葉なら
「なさけ」であり、
文字通り「なさけなし」である(笑)。

発達障害系のクライエントに
臨床場面で多く接する機会があるが、
中には、漢語由来の日本語が持つ
同音異義性が
前後のコンテクストの把握不良から
即断できずに、絶句に至る・・・
という場面もたびたび目撃する。

JC/JKたちであれば、
同世代の会話の輪に入れない、
と嘆き訴える子も少なくない。

例えば、
「しこう」という音からだと、
「思考、志向、指向、嗜好、
施行、試行、至高、歯垢・・・」
などがワープロ変換で
即座に出てくるが、
これを健常者は
会話の前後のコンテクストから
瞬時に脳内変換して
対応しているのである。

この言語能力に関しては、
日本人は外国人とは異なる
特殊な脳内領域を賦活させている、
と解剖学者の養老先生が
仰っていた。


+++++++++++++++++++


過去ログに、
『金光新聞』に掲載された、
教育相談の記事があった。



「高3の女子です。

人づきあいが苦手で、
クラスでも上手くいきません。

今も、友達だった3人の女の子から
シカトされています。

どちらかと言うと、
一人でいるほうが
気楽で好きなんですが、
こんなんで就職したら、
上手くやっていけるかどうか心配です…」

**************************************************

どんな職場でも、
人間関係のない所はありません。

あなたの場合、
きっと内向的な性格なのでしょうね。

でも、それには
その良さがあって、
絵や料理といった
芸術的・創造的活動には、
とても力が発揮できるものです。

そして、それを
トコトン極めることによって、
あなたは自分を深め、
魅力的な人になることができます。

すると、それが自信にもなり、
また、凹(くぼ)んだ所に
水が集まるように、
自ずと人もあなたの所へ
引き寄せられるように
なるかもしれません。

人づきあいが苦手で、
一人でいるのが好きなのであれば、
無理して他人とつきあわなくても
イイと思いますよ。

「誰とでも
上手くやっていかなくてはならない…」
という考えは、
間違った強迫観念です。

「人と上手くつきあえるのに
越したことはない…」
と思い変えることができれば、
ずいぶん楽になるのではないでしょうか。

「将来、職場でやっていけるか不安…」
という気持ちは分かりますが、
これから何がどう変化していくか、
という「先のこと」は
神様にしかわかりません。

今の3人の友達との関係も、
今後、どう変化するかも
わかりませんよ…。

「どうせダメだ…」
と“悪い方に決めつけないこと”
が大事です。

明日、激辛のカレーを食べるからって、
今日から水を飲む人は
いないでしょう・・・(笑)。



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2020-12-28 07:12:00 | 趣味
日曜のきのう、
大学ギター部先輩の
ヒロミさんが拙宅に
遊びにきてくだすった。

ご子息が
ギターをやってみたい、
と仰ったのを聞いて、
まずは、ヘッポコ・プロの
私の処へと
お連れ下さったのである。

昨年、
メンテして差し上げた
「kOHNO 1982」は
ピカピカのまんま
久しぶりにご対面したが、
さほど弾き込まれてなかった様で、
音の立ち上がりや
純度がいま一つだった。

それでも、
元々、名器ではあるので、
弾き込まれれば、
すぐさま、その真価を
発揮するだろう。




遠路はるばる
新潟から来られたので、
まずは、茶室で、
手製の黄粉餅と
薄茶点前でおもてなし
させて頂いた。

ついでに、
茶室床の間の
「結界」として見立てて
置かれてある琴で、
『さくらさくら』を
お聴き頂いた。

最近、たびたび、
オハギや善哉用の餅を
作っている。

手慣れてきて、
炊き上がったばかりの
熱々の餅米をラップに包むと
麺棒でポンコポンコ叩いて
"半殺し"の五部搗きにしたり、
餅化するまで搗ききったりしている。

それでも、
ひと手間かけて、
砂糖黄粉をかけただけでも
質素な主菓子になってくれる。





ランチ時の軽食には
三段プレートに
即席サンドイッチを
ドレッセして、
アールグレイのティーと
共に供した。







焼いただけでは硬くって
ステーキ用には出来ない牛スネも、
土鍋・オーヴン調理で
ほったらかしのまんま
2時間も火入れしてやると
柔らかく味の浸み込んだ
佳品になる。

しかも、牛スネは
スジ肉なみに安いので、
"ぼっちランチ"素材には
ありがたい。

300円では
まともな外食もできないが、
おうちフレンチなら、
原価以上の付加価値を
乗せることが出来るので、
【男子 厨房に入るべし】
である。

『アニーよ銃をとれ』
じゃないが、
『ジジイよ包丁をとれ』
である(笑)。






長らく、
PCのデスクトップ画面を
オネーチャンたちのビキニ姿で
目の保養をしていたが、
初孫のリッ君が産まれてからは、
それに優るものはない。

このコロナ禍で
おいそれと対面できないもどかしさが、
『ロミオとジュリエット』効果となり
よけいに愛しさが募るのかもしれない。

***

ユンギャン
(ユング派心理学者)として、
深層心理学者として、
このコロナ禍と
自分の人生の意味について
シンクロニシティ(synchronicity)の
観点からの思考実験を
連日している。

冬病みのロンバケとなったので、
かねてより準備していた
思考素材ノートと共に
己れの腑に落ちる
帰結に辿り着きたく思っている。

3.11という
ディープ・インパクトに於いても、
何年もかけて
その意味を問うてきた。

そして、
自分で納得のゆく
多くの気付きを得られた。

それは、
日々の個々の臨床にも役立ち、
何より、自分の安心立命に
大いに役立った。

そして、
あれから10年も経たないうちに
この世界的なコロナ禍である。

ペスト、スペイン風邪来の
人類の感染症危機である。

COVIT-19の「変異種」以外にも、
また、中国発の
ヒトへ感染する「豚インフル」、
そして、かつてない規模の
国内の爆発的「鳥インフル」…と、
ウイルス包囲網が
じわじわと人類を
すくいとろうとしているようにも
見えないでもない。

原発事故の折、
職員が命懸けで現場に残って
対処したからこそ、
今の暮らしを取り戻せた。

もし、あの折に、
総員退避したら、
おそらく、東日本全域が
放射能汚染に見舞われて、
人の住めなくなった
チェルノブイリ周辺のような
廃墟になっただろう。

現実にも、
浪江、大熊地区の一部には
廃墟が拡がり、
人気のないゴーストタウンが
其処ここに在る。

もし、コロナ治療の現場でも、
医療関係者が疲弊し、
倒れ、離れ、病院を放棄したら、
原発爆発時に
患者を置き去りにした
あの忌まわしい状況が
起こってしまう。

世界各国の
医療従事者が
命懸けで感染症と闘っている。

原発爆発で
世界的にノトーリアス(悪名高き)
になった「フクシマ」は、
今度は、コロナ爆発で、
総合病院が3ケ所も
機能不全に陥った。

感染症の専門家の分析では、
指数関数的な
感染者数の増加率からは、
PCR非検査者の陽性者が
市井に多く拡散していることの
証しであるという。

当然、
ミュータント(変異種)も
追従的に漸増するだろう。

そして、日本固有の
ミュータントが発生しても
何の不思議もない。

それは、ウイルスという生物の
主体水準で考えれば、
バイオロジカル・コレクト
(生物学的に正しい事)
の生存戦略であるからである。

かつて、
星新一か誰やらSF作家が、
人類は「隕石」や「全面戦争」で
滅びるのではなく、
未知のウイルスにやられるのでは、
と描いていた。

医療崩壊が
「今そこにある危機」で、
感染爆発中の現在、
まったくの絵空事ではない、
という事に戦慄を禁じ得ない。

【泣き面に蜂】
【踏んだり蹴ったり】
という格言があるように、
3.11体験者としては、
超巨大地震・超巨大津波・
超規模原発事故が
いっぺんに起こった
「複合災害」というキーワードを
忘れていない。

コロナ禍の上に、
年末年始の「大寒波」が
到来する。

そこに、
かねてより警告されている
首都直下地震や東南海地震が
「起こらない」と
誰が断言できるだろうか。

「災害は忘れた頃にやってくる」

宇宙律の
【作用反作用の法則】に従えば、
「自然を破壊したものは、
自然によって破壊される」
ものであり、
「生物を絶滅させてきたものは、
生物によって絶滅させられる」
のである。

***

ユングが提唱した
シンクロニシティ(共時性)は
「意味のある偶然の一致」
という意味である。

別の訳語としては、
「同時性」とか、
山中 康裕先生の造語で、
「因果律」に対して
「縁起律」なぞとも言われる。

古来、「虫の知らせ」というような
因果関係がない2つの事象が、
近似性と近接性を持つことは
経験則的に在るらしいと
巷間言われてきた。

ユングはこれを
「非因果的連関の原理」
とも呼んだ。

ユングも
自らの『自伝』で記しているが、
ケースを深層心理的に
分析してゆく過程で、
治療が奏功し、ケースが改善に
転ずる過程で、よく
共時的現象が起こる。

それは、
クライエント/セラピスト共に
体験されることが
しばしばある。

ユングは、この生起が、
人類の歴史的、社会的、生物的な
部分で集合的(普遍的)に
共有されてきた無意識の部分、
通底するコアの部分に拠るものと
考えていた。

そして、それらのクラスターを
元型(archetype)と呼んだ。



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バトル・イズ・ウォン・バイ・バイデン

2020-11-08 07:35:00 | 趣味
きのうは
朝から鍼治療に
行ってみたが、
期待するような劇的な
効果があったわけでもなかった。

オシリの筋肉が落ちてるので、
それを増強すべく
運動法をおせーられてきた。

今度こそ、
しっかり運動や
ストレッチを実行して、
完治させないことには、
仕事も精神活動も
全うできないので
続けるつもりでいる。

クライエントの生徒たちにばっか
「生活改善療法」を奨めてないで、
まずは【隗より始めよ】である。




今朝のニュースで、
バイデンが過半数の
「270」を超えて
「当選確実」速報が流れた。

10時頃から
「勝利宣言」をするようだが、
トラ公は今朝もツイッターで
「勝者は自分だ」
と公言しているというから、
【馬鹿は死ななきゃ治らない】
である。

悪あがき、ゴネ、醜態…
以外の何ものでもない。

美しくない。醜い。

偽悪醜邪そのものである。

それを未だに、
半数近い国民が支持してる
というんだから、
アメリカも末期症状である。

日欧の政府も
早速、バイデンに祝意を示し
新体制のリスタートである。

各メディアともに、
「敗因」は
コロナ対策よりも
経済を優先させたことにある、
という。

米国民の民意は
ギリギリの処で
「金」より「命」だろ…と、
至極真っ当な良識を
取り戻したということだ。

トラ公が法廷闘争に持ち込み、
敗訴が下っても、
支持者たちのファナティックな
暴挙がしばらくは
燻るかもしれない。

だが、現在も
コロナ猛威は収束から程遠く、
死者数も24万人になろうかという
「非常事態」なのである。

「商人」大統領によって、
経済を「人為」的に
向上はさせたものの、
コロナという「自然」によって
完膚なきまでに
叩きのめされた。

ここにおいても、
自然は予測不能であり、
操作不能なものである、
と人間は謙虚に
それと向き合うべきなのである。

「自然を保護する」
なんていうお題目も烏滸がましく、
我われは
「自然に保護されている」
という自覚を持つべきであろう。

「自然と共存」
というのさえ、
なんだか、偉そうである。

自然の恵みに
与っている…というのが、
本来の姿であろう。

産業革命後、
西洋近代文明の科学技術と
ライフ・スタイルが
世界を遍く席巻し、
誰もが洋装し、車に乗り、
ネット社会に生きるようになった。

そして、
「より多く・より豊かに」
というのが是とされる
経済至上主義的な価値観が
グローバル・スタンダードになった。

だが、
貧乏より金持ちの方が
幸せに決まっている、
というのは
数学の公式のように
絶対でないのは、
人間自身もまた
「自然」そのものであるからだ。

それを、
コロナ禍という状況は、
我われに知らしめてくれているのだ。

その、サンプルが
米大統領選と見ている。







「立冬」を過ぎたので、
毎年、今頃に相応しい
フミの傑作色紙があったので、
それを玄関室礼に
何十年も掛けている。

今年、31歳で
父親になったフミだが、
保育園時代に、
初めて字を覚えて
書く喜びを得ていた頃、
山頭火の晩秋の秀句を
書かせてみた。

きちんと
銘水で松煙墨を
端渓硯で擦り、
中国製の象牙筆で
画仙紙に書かせてから
色紙表具した。

落款も
中国への修学旅行で、
一級篆刻士に彫ってもらった
『文治』の「陰陽」印である。

当時、
「わたし」の「た」が抜けて、
後から付け足したので、
「これが、ほんとのタヌキだ!」
と笑い合ったのを覚えている。

息子三人たちの
「書」関連の作品には
いずれも、それぞれの
落款が押されて、
今も色紙棚に在る。





数日前に作った
「仔羊のパテ」の
最後の一切れを、
「唐揚げ屋」の
砂肝揚げと一緒に
ドレッセしてみた。

三色ソースが
ヨタヨタして
見苦しい…(笑)。

なんで、
「書」の稽古もしてるのに、
ピタリと線が決まらないのか…(笑)。

まだまだ、
道半ばなのか…、
道楽の道にも
修行が要るなぁ…。

ε= (•ω•`;)϶  










土日の朝の
楽しみのひとつが、
この世で最も美しい“人妻”の
アサちゃんの
ご尊顔を拝せることである(笑)。

きのうの
浅黄のワンピースは
ドレッシーだった。

ストレート長髪に、
魅力的なアルト声(笑)。

目と耳で癒されるなぁ…と、
オシリ痛からも
しばし解放される(笑)。







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趣味・稽古・家族

2020-10-18 04:51:00 | 趣味
きのうの
カウンセリング・セッションで
久しぶりに
「学習高原(プラトー現象)」
について説明した。

心理学用語では、
教員採用試験にも登場する
基本的概念である。

学習効果を現わす学習曲線で
一時的に水平になり
高原状態を示す時期があり、
俗には、ダイエットや筋トレでも
「踊り場現象」とも言われる
「停滞期」でもある。

母親カウンセリングの
心理教育でも
不登校や心身症の改善過程で
しばしばこの概念を
講釈することがある。

よく、自転車乗りに喩えて、
それは「0か100か」で
「乗れるか乗れないか」
しかなく、
ずっと乗れない時期を
プラトーだとすると、
その間、脳内では
平衡感覚中枢において
感覚系と運動系の
入出力データを蓄積・演算して
最適値を出そうとしているのである。

つまり、
脳というハードにおいて
「自転車乗り」という
プログラム・ソフトを
試作している段階が
プラトーになるわけで、
その間に入出力である
訓練を中断したら
ソフトは完成せず、
乗れないまんま…の
「0」状態が維持されるのである。

ここにおいて、
自転車がちっと乗れる
という現象はあり得ない(笑)。

また、こうも喩えることがある。
「教科書を読んだだけで
自転車に乗れることは絶対ない」(笑)

想像したら、
滑稽である。

「右足のペダルに荷重したら…
体の左側に意識してバランスを取る…」(笑)




六十路の手習いで
書室を設えてから
まだ2ケ月ほどだが、
ほぼ毎日、お稽古を続け
次第に「字を書く要領」が
掴めてきたような気がしている。

稽古はじめの頃の
反古紙を見ると、
まだまだ
骨法からは遠く、
焦点が定まっていない。

それが判るようになった、
ということが
上達の一つの目安なのだろう。

ただし、
まだまだ縦線が
ブレることがあり、
考えながら書く
書類文字は不ぞろいで
完成されていない。



書家にして茶人でもあられた
哲人歌人の故・碧水先生に
私淑して久しいが、
「歌・書・茶」道家の範たる
歌の数々を、老い先短い近頃、
しみじみと味わっている。


手習らひの辛抱つづけ
 書くたのしみ知りそめし頃
  かへりみておもふ
  
すきでする
 手習ひにも苦は伴へり
  苦をこえて知る手習ひのたのしみ

しみじみと
 水の尊さ思ひつつ
  色紙に水の一字書きたり

気がねなくこころ遊ばすひとり遊び
 うたよむことも
  字の手習ひも

わが下手な字もまたうたも
  そのままがいのちとどめし
  形見なりけり

目が見えて字を書くことが出来るといふ
 あたりまへの不思議
  かしこみ思ふ

わがこころ洗ひ清めてゆかねばと
 洗心の二字
  青空に画く

わが今のいのちと
 筆と墨硯紙ともにあり
  ありがたきかも

紙のべて筆と遊べばわがこころ
 ほのぼのとして
  ひとりたのしき

下手な字もまたおもしろし
 おかしな字出来たものよと
  つぶやき笑ふ

筆と遊ぶわが幸せよ
 その出来のよしあしはおきて
  ただたのしき

世話になりしお礼いひつつ
 筆と硯こころしづかに
  洗ひ了へにけり

茶をたてて
 のみし茶碗を眺めつつ
  こころ憩へる今のわれなり

われのみが知るたのしみのひとつなり
 すきな茶碗に
  茶をたてのむこと





きのうも
お弟子さんにご相伴頂き、
侘び茶のお稽古をさせて頂いた。

先週の小火騒動来、
あちこちを修復しての
茶事である。

「四つ椀」のみによる
侘び懐石膳で胃を整え、
先週、御土産に頂いた「濃茶」で
お手前をさせて頂いた。

時間厳守で
オンタイムに来られる方なので、
亭主側としては
頃合いの「見切り」と
「手筈」通りにできて有り難い…
と謝意をも伝えた。

そんな事は、
当たり前なのだが…。

時間や予約にルーズな方は、
そもそも、
カウンセリングも
ギターレッスンも
お断りすることにしている。

「いのち」は「持ち時間」…
「タイム・イズ・ライフ」なのだから、
それを粗末・無駄にするのは
ご無礼というものだろう。

こちとら、
真剣に生きてんだいッ!!

ᕦ(ò_óˇ)/゛

昼寝だって、
真剣に寝てんだいッ!!(笑)

(=´、`=)ゞ





オトーサンの真似をして
何でも「やりたがり」だったフミが、
お茶のお手前も
京都暮らしの頃から
やっていた。

そんな彼も今や、
オトーサンになり、
茶筅に代わって
哺乳瓶を持って
我が子に
心尽くししている(笑)。





第四回『復興支援リサイタル』では
息子二人とカミさんが
スタッフになってくれて
家族行事として
心強く、楽しめた。

三男のナッちゃんは
この後、
6回目のファイナルまで
ずっとマネージメントしてくれた。


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火の用心

2020-10-16 06:16:00 | 趣味
「火の用心!
 さっしゃりやしょう!」
と、落語の
『二番煎じ』に
火の廻りたちの
掛け声が出てくる。

江戸弁で
「火の用心致しましょう」
ということである。





小火(ぼや)を出した
茶室の手前畳の壁に
【火の用心】を
しばらく貼っておくことにした。

これで、
お茶に来られた方々へ
話のタネになることだろう。

風炉も糯米の餅で
ちゃんと引っ付き、
ツートンブロックで
焼け落ちた焦げ孔も
どうにか目隠しができた。

気分を引き締めての
「茶人」のやり直しである。

近頃では、
お点前の前に
上座でもある
「火の用心」札に向かって
“神座”と思って
黙礼することにしている。

茶と信仰を合体させて、
“お点前する”ではなく、
“お点前をさせて頂く”
という姿勢・生き方に変えた。

それを
今頃気付くなんて、
まさに、怪我の功名である。





おとついの
山行きで、
中秋の吾妻山をも
撮ってきた。

まだ、麓はさほどに
赤々と萌えようではなかったが、
それでも、どこか秋めいた
彩りには感じられた。

来月には、
初冠雪の頼りも
届こう。





ダイソーで見つけた
ペーパークラフトを
箱庭療法のツールにしようと、
ゆんべは『コロンボ』を視ながら
小半時ほど組み立て作業をした。

2枚のシートから
パーツを外して嵌めるだけだが、
これが正確に出来ていて
いささかの狂いもなかったのには
感心した。

さすがに、
【タミヤ】などの
精巧なプラモを輩出する
日本ならではの
ジャスト・フィットの
キットである。






スーパーに
二尾140円という
ブラックタイガーがあったので、
一昨日の垢抜けしない
『ジャンボ・エビフライ』を
思い出して、
いっちょうソフィスティケートされた
一皿に仕上げてみようと
対抗心を駆り立てられた(笑)。

庭の採りたてのザクロを
小さなルビーに見立てて、
海老の朱色に調和させ、
尚且つ、補色に近い
エメラルドグリーンの
飾り皿を合わせてみた。

柘榴の搾り汁を
スパークリングワインで割った
カクテルもこしらえ
合わせてみたが、
なかなかのマリアージュだった。







カミさんと二人の
夕餉のオカズ代が
ワンコインで済むところ、
ナナキュッパ(798円)もする
イチヂクのパックを
エイッ!とばり
気合を入れてカゴに入れた(笑)。

無花果に偏愛があるのと、
これをドレッセして
アーティスティックにも
楽しめるので、
“遊興費”とも
思うようにしている。







食材で描く
「キレイで美味しそうな絵」は、
【絵に描いた餅】とはちがって、
完成後に試食できるから
一石二鳥である。

いや、
ブログアップも入れたら
一石三鳥かもしれない(笑)。

798円で
ツマラン本を買ったり、
しょーもない
レンタル映画借りるよりか
なんぼか心の栄養に
なってくれるようだ。

それでも、
鑑賞眼の方が
創作の腕より勝ってるのか、
まだまだ垢抜けしない
野暮ったい自分の作品に
辟易もしている。

ドレッセ道を極めるには
まだまだ道遠く、
ネット画像を頼りに
プロの盛り付けを真似たり
画集を見ては配色の妙を
探ったりしている。

まさしく、
【探求心是道】
である。
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