『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

あわや大惨事

2020-10-11 06:51:00 | 趣味
茶人「失格」である…。

茶室で、
お弟子さんに
懐石と濃茶を振舞い、
それから二階の
カウンセリング室に移って
教育分析となった。

風炉の中には
まだ火の残った炭があったが、
いつものように
自然に消火するだろうと
高を括っていた。

1時間半ほどして
分析を終えて
カウンセリング室の扉を開けたら
二階にまで煙が充満して、
ただ事じゃないと察知して
茶室に掛け込んだ。

そしたら、
なんと!!
風炉釜がバックリと割れて
火のついたままの炭が
畳にこぼれて
煙を上げていた。

ゾッとしたが、
炎こそ上がっていなかったので
急いで花に露を打つ用の霧吹きで
消火した。

原因は、炭火が
古い灰底の炭にまで引火して
火力を増して
陶器製の風炉を破壊したのだろう。

まずは、
小火(ぼや)で済んで
事なきを得たことを
すぐにご神前で
「大難を小難に
お奉り替え頂きまして
有難うございました」
とお礼申し上げ、
「火の始末をきちんとしなかった
ことを猛省しております」
とお詫び申し上げた。

家中の部屋という部屋に
煙がカスミのように棚引くほどの
燃えようだった。

ほんとうに、
返す返すも
炎があがらず幸いした。

風炉先屏風に用いている
枯れたスダレに引火したら
アッという間に
天上まで炎が舞い上がったろう…。

・・・ (((=_=))) ブルブル





手前畳は
底まで焼け焦げていた。

風炉には
厚手の陶器の敷物を
敷くことの意味が
初めて解かり、
それをしなかった自分の
不明を恥じた。

なので、
この焦げ孔は
そのまま残して
畳を取り替えずに、
今後の教訓としたい。

それでも、
孔隠しに
カラーブロックを
ツートンで並べて
底板を兼ねるようにした。

ほんに…
身の毛のよだつような
大失態であった。

さっそく、
Tちゃん先生にも、
「神様へお詫びとお礼の
お取次ぎをお願い致します」
とメールさせて頂いた。

そしたら、
すぐに返信がきて
「本当に、危ないところを
寸前のところで助けて頂きましたね…!
有難いことでした。

大難を小難にお奉り替え頂き
お守り頂いたこと
神様によく御礼申し上げました。

また、お届けの通り不注意の
お詫び申させて頂きました」
とのことだった。

教典に
「お願いに慌て来る者は多いが、
 お礼に慌て来る者はいない」
とあったので、
今朝は、朝5時半に
教会にすっ飛んで行って
「お詫び・お礼参り」を
させて頂いた。





カミさんの
尾花沢の親戚から
新米が送られてきたので、
有り難く頂戴した。

『ひとめぼれ』
の新米は、
野菜としての新鮮さのような
清々しく粒だった美味さで
驚いた。





スーパーの買い出しで、
本鮪の脳天が
ステーキ用として
390円であったので、
飛びついて買ってきた。

大トロの部位で
生食でもいけるので、
セニャン(レア)に火入れして
茶懐石の焼き物として
一口大に切り付けて添えた。





向付の鯛は
糸造りにして
セルフィーユとディルを
散らしてみた。

下地は
スダチとカボスの搾り汁に
削り節、昆布、生醤油を加えて
一晩寝かせた
「自家製ポン酢」で、
これは実に佳い味に
仕上がっていた。






台風が接近していたので、
掛け軸には
良寛和尚の禅語から
『天上大風』を掛けた。

そして、
台風雨を端渓硯に受けて
松煙墨の古墨を磨った。

濃茶器の包み紙が
三十年は過ぎようかという
古紙になりかけていたので、
それに思うがままに
創作してみた。

墨色が落ち着いてから
色紙に表具して
お弟子さんに
茶事の後に“お土産”に
もらって頂いた。


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茶・書・琴

2020-10-08 04:22:00 | 趣味
きのうも、
JCに大泣きされて
カウンセリング室の
ティッシュ一箱を
使われてしまった。

“生きづらさ”を抱えてる子に
共通してるのが、
「頑張り屋さん」
「偏ったイイ子」
が多く、決まって
「0か100か」
「~ねばならない」
という完全癖のような
【認知の歪み】がある。

そして、
この子たちは
例外なく頭がよく、
中には学年2位や10位なんて
子もいる。

なので、
時に心理学の授業のような
「心理教育」もして
自らの病理・心理の
構造を理解させようともしている。




きのうも、
黒板を使って、
同じ説明を
二人にした。

もっとも、
解っちゃいるけど
やめらんない…
というのが、
難儀な世界である。

なので、
お茶やピアノのお稽古のように、
何度も何度もドリルをやるみたに
カウンセラーという師匠から
指摘され訓練されて
ようやく頭でなく
腹から解るようになって
認知が修正されるのかもしれない。





隙間時間に、
映画『日々是好日』の
三種の題字の臨書をしていた。

【学ぶは真似ぶ】でもある。





夕飯当番だったので、
学校帰りに「SEIYU」に寄り
スズキの刺身を買って
糸造りにして
茶懐石の「向こう付け」に
仕立ててみた。





「中秋の名月」に因み、
在京中に出逢った
ポーランドの陶芸家
トマシェフスキーさんの
「東山の月」の向付皿と
丸盆を取り合わせてもみた。

石杯は
金城次郎窯の作家さんの
琉球焼の魚紋と海老紋である。

新潟在住のギター部先輩の
ヒロミさんから頂いた
『きりんざん』の純米を
備前徳利に移して
テイスティングしてみた。





近頃は、
夕飯後は
沈香を炊いた茶室に籠って
花や書を愛でながら
琴を弾じている。

昨晩は、
久しぶりに
『影を慕いて』を
演奏したら、
なんだかシミジミとした
気分になった。





茶室の扁額にある
『日々是好日』は
崇敬する茶人であり
東北大教授でもあった
故・有井先生の遺墨である。






碧水先生の御歌を
書室の冷蔵庫に
掛けてある。




昨晩も、
小5・小6の漢字を
楷書で一時間ほど
お稽古した。


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日々是好日

2020-10-07 03:22:00 | 趣味
近頃、睡眠相が変わったので、
一段と『としよりの森』深くに
進んだ気がする。

ゆんべも、
夕飯後の八時半には
もう眠気に抗えなくなり、
そのまま就寝。

そして、
2時半に目覚めて、
そっから二度寝できなくなった(笑)。

【目が覚めたら朝】
ということにしてるので、
豆腐屋やパン屋なみに
起きて活動はじめた(笑)。

そうなのだ…。

豆腐屋、パン屋になったと
思えばいいんで…
なにも気に病む必要もないんだ。

かつては
八時間は眠らないとダメだったが、
近頃では6時間くらいに
減ってきたので、
“老人力”がついてきた(笑)。

宇宙律の
【エントロピー増大の法則】
に抗って、生命体は
今日も、秩序化たらんと
「エントロピー減少」に励んでいるが、
やがては「宇宙律」に追いつかれ
無秩序な「死」に捕まってしまう。

心理的時間も
高齢化と共に
“砂時計”の落砂の速度が
年々、速くなっている気がする。

先日も、
42歳のお弟子さんに、
「42年間、アッと言う間だったでしょ」
と言ったら、
「はい…」
と返事したので、
「きっと、宇宙の終焉の
10の33乗年後も
アッという間だよ…」
と、口をついて出た。

『モモ』の時間泥棒に
時間を盗まれないように、
“今、ここで”を
出来るだけ“ながら”をしないように
“味わひ”つつ
「I am!」
と、意識化している。




夜明けを待ちながら、
PCでブログを書き、
ダークな空が
群青から浅黄色に
変わるのを愛でている。

そして、
七時半からは
『エール』を視て、
眠かったら眠るし、
そうでなかったら
読書でもする。






先月、
人の悪意を介した
腹立たしい事件があったが、
それを小さな死として受け容れ、
「死と再生」のイニシエーションを
セルフ・アレンジメントした。

ライフ・スタイルが
少しだけ変わり、
ブログ・スタイルも
変わった。



首回りのキツかった
ドレス・シャツのボタン位置を
緩めにして、
孔も少し拡張したら
2㎝ほどの余裕が出来て、
楽になった。





ミニコミ誌の
オープン情報を見て、
新設カフェにランチに出向いた。

『キッチンカロリー』の隣、
『文化堂』の隣、
旧『サボイア』の向かい
…と言えば、
ネイティヴ・フクシマンなら
分かるだろう(笑)。

バック・バーの上に
赤い【JBL】マークの
スピーカーを見つけて
なんだか嬉しかった。

たいした内容のない
軽薄なBGMも
なんだか“佳いもの”のような
気にさせてくれた。

ボトルには
『マッカラン12年』やら
『ドランヴュイ』なぞもあって、
(へぇ~ッ)
と、ちょいと感心した。

そういや、
高槻にあったフレンチ店
『ヌーヴェル・エ・ヴュー』の
カルト・ヴァン(ワイン・メニュー)には
ディジェスティフ(食後酒)に
『ドライヴイン』とあって、
苦笑を禁じ得ずつ、
メートル・ドテル(給仕長)に
『ドランヴュイ』の間違いだろう
と指摘したことがあった。








『キッシュ』プレートは
パイを巻いたソーシスは
熱々で佳かったが、
肝心のキッシュは
気の抜けたような味で
ガッカリだった。

完全に、
主役が脇役に喰われてる
一皿(プレート)である。





デセールの
ティラミスは
ジェノワーズを
エスプレッソに浸しており、
マスカルポーネも使った
まともなものだった。

なのに、
エスプレッソはなくって、
仕方なくカプチーノにした。

店外に出たら、
隣が洋風総菜の
『TARAKO』で
同じものが店頭で売られてたので、
そのホールだったと気が付いた。

そんでも、
『EACH DAY』
という独立店名に
なっていたが…。

ま、いっか…(笑)。

╰(*´‿`*)╯彡




樹木希林の遺作
『日々是好日』を
劇場で観ようと思ったが、
どうせ、すぐに
TV放映になんだろ…と、
待っていた。

そしたら、
やっと、おとついに、
リリースされた。




劇中に、
違った字体が
三種でてきたので、
それぞれに味わってみた。



我が茶室にも
茶人で高徳者の
故・有井先生の
遺墨扁額が掛けてある。





珍しい
「茶道」映画であるが、
女優達の所作が
さすがに美しく
撮られている。












名優・樹木希林の
脱力していながら重みの在る
師範ぶりも見事だった。






劇中、
濃茶を練るシーンがあり、
久しく、やってなかったので、
今週あたり
お弟子さん相手に
粗飯懐石と共に
振舞ってやろう…と、
思いついた。



映画を観ながら
ダイソーで買ってきた
キットやら端切れやら
ネクタイ地で
スーツに合わせるべく
ドレッシーなマスクを
二つ拵えてみた。



そしたら、
夜には大学同級生の
ノリリンから
手作りマスクが
大量に届いた。

やったねーッ!!

スーツのフルコーデに
どうやってマスクを合わせるか、
というのを、洒落道の
当面の研究課題にしたいと
思っていた処である。


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茶室復活

2020-09-15 06:50:00 | 趣味
夏休み中に
帰省していたナッちゃんが
新潟に戻ったので、
長らく占領されていた茶室を
復元した。




また、
Tちゃん先生でも
お招きして、
薄茶事でもしようかしらん
と、ふと、思った。





置き床の「結界」代わりにしている
独自の「琴結界」だが、この秋、
Y中の音楽を担当する教頭先生から、
去年に引き続き、また、
『さくらさくら』の合奏参加に
お声がけ頂いたので、
新たな伴奏バージョンを
練習している。

今回は、
オリジナルの複雑な演奏効果を狙うのに、
琴の向きを逆にして、
ギターのように
低音弦を手前にして、
左手も参加させて
両手でハープのように
扱ってみる試みをしている。

『さくら』には
“押し手”という
弦を押して音を変える操作がないので
ギター方式ができる。




新潟に引き上げた
ナッちゃんが、
また、作業机を置いてったので、
書室の拡張机にして
めっちゃ作業面が拡がった。

居間から、
通して見ると、
書室、茶室と続いていて、
なんだか、ずいぶんと
贅沢な生活空間だなぁ…
と思わないでもなかった。

他にも、
ご神前やら、
楽器工房やら、
子ども部屋が、
普段は使われずに在る。



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おら、鮨っ喰い

2020-09-09 05:23:00 | 趣味
T中の学校行事により
今週は勤務がないので、
昨日から三連休になっている。

今日は、
久しぶりに
ソーちゃんの棋戦があるので、
一日、家を出れないから、
きのうは“プチ遠出”のつもりで
これまた久しぶりに高速に乗って
本宮の鮨店探訪をしてきた。

先週の本宮散策で
偶然に見つけた店で
チェックしていた。

クライエントさんの幾人かは、
外食が苦手という人もおられ、
ましてや、初めての鮨屋に赴き
カウンターであれこれ注文するなぞ
恐ろしくて出来ないと仰る(笑)。

その気持ちも解らないでもないが、
日常の街中でできる
手軽な“冒険”のひとつかもしれない、
と思えば、そのスリリングな楽しみも
味わわないのは何だか
勿体ないような気もする(笑)。

…てなわけで、
ほんのちょいと、
緊張しながらも、
扉を開けましたとさ…(笑)。

カウンターの奥から
白髪の店主が
「いらっしゃい」
と目線を向けてきた。

店内を瞬時に一望しながら、
カウンター席の
老主人の真ん前に座る。

かつて、行きつけだった
『弥助』の親方からは、
初めての店では
カウンター中央は
常連の席だから、
最初は端席に座るが無難だ、
と教わったことがある。

なにせ、
東京でしっかり修行してきた
親方の仰ることだから、
間違いないのだろう。

たしかに、
それがマナーかもしれない。

それでも、
経験を数こなしてくると、
店の「立地」や「各」
そして「時分」「客層」
店主の「人(にん)」なぞを
瞬時に直感できるもので、
あえてマナー外しも
出来るものである。

店主の側からしてみれば、
一見の客が
ズカズカと自分の前に陣取り、
“お好み”で
あれこれ注文するのは、
ちょいとばかり
(オッ…!)
となるやもである(笑)。

職業柄、
ご新規のクライエントとは
しょっちゅう相対しているので、
初対面どうしての切り込み方も
職業技として身についている。

きのうの店も
ランチの「にぎり」は、
見るからに並のネタで
面白味がなかったので、
あえて、飛び切りを引き出そうと
ネタケースにないものばかり
注文して、冷蔵庫から
出してもらった。




夏の魚でもある
鱸(すずき)で口切とした。

清々しさが身上だが、
鼻腔から独特の風味が抜け
舌先には“ならでは”の
旨味が拡がる。

続いて小鰭(こはだ)。

店主の腕前をも
見るに相応しい
“ザ・スシ”である(笑)。

やや、しょっぱい…。
脱水が不十分で、
いくらか水っぽい…。
此処に於いて、
シャリ(酢飯)の握り具合が
硬過ぎるのに気づく。

つまり、
トータル・バランスが
崩れている…。
残念である…。

(_ _。) …

…生意気なようだが、
…偉そうなようだが、
この時点で、
あとは、“消化試合”だなぁ…
という心持ちになる。

中トロは
ケースの中でも
一番よさげな処を
切りつけてくれた。

齢八十近いと思しき
老店主も
こりゃ“鮨っ喰い”だなぁ…
と、地元の馴染み客じゃなく、
風来坊の一見客の素性に
感ずいたような気配がした。

なればこその、
“隠し球”を出してきた。

こういう
言葉にできない
無言の心理戦も
面白いものである。

もっとも、
それには場数と授業料も
必要だが…。

少なくも、
能書きこけるほどに
知識はなくてはならない。

すると、どの世界でも、
違った風景が
見えてくるものである。

どの分野にも
“高み”というのがある。

続いて、縞鯵。
身の張りと
旨味が程よかった。

このバランスは
中々に難しく、
活けの状態だと
歯応えはコリリと佳いが
旨味には欠け、
熟成させると旨味は出るが
身は柔らかくなるのである。

江戸前の基本でもある
酢〆の加減を今一度
試してみようと
〆鯖を頼んだら
これは小鰭のような
塩味が突出していなかった。

鯵があるか尋ねたら、
「ケースには並びきれないので…」
と言いながら
足元のネタ庫から出して
切りつけてくれた。

生ではなく、
〆たもので、
これは佳く出来ており
脱水が効いて
塩梅加減がよく
旨味が引き出されていた。

してみれば、
小鰭だけが
身質に合わず
上手くいかなかったのだろうか。

でも、日々、状態の違う
魚の個性を見極めて
季節によっても塩梅をキメるのが
職人技であろう…。

そう思うと、
鮨を代表するものだけに
返す返すも残念であった。

ネタケースには
穴子がなかったので、
煮物の仕事を試すことを
忘れてしまった。

いつもの流儀で、
海苔巻きをサビ(山葵)入りで
巻いてもらった。

本山葵でなく
粉物であるのは
いかにも残念ではあるが…。

きちんと
四つ切で供されたが、
平置きされたので、
ここは粋に
連獅子風に重ねて欲しかった…。

ギョク(玉子焼き)は、
“河岸玉”(既製品)ではなく
自家製だったのは感心した。

半切にしたエッジが
キリリと立ち
これは気持ちがよかった。

たった八貫を
半時ほどでやる間に、
親方とも打ち解けて
いろいろと話ができたのは
よかった。

「作り手」「食べ手」の
違いはあれど、
同じく“鮨好き”どうしなので
心通ずるものが
あるのかもしれない。

三連休の
「安近短」の目的地だったが、
ほどよい緊張感と社交を楽しめて
“小旅行”の気分を満喫できた。




帰りには、
初めて立ち寄る
「あだたらの里」で
「小豆と抹茶」のジェラートと
直売場のイチジクで
デザートとした。





日曜日に、
従妹のミキティが
畑の茄子を
どっさり持ってきてくれた。

晩には、
『アスピック・ド・オーベルジーヌ』
(茄子のゼリー寄せ)
を作って、シルバー・オーバルに
料理コンテストの出品作品風に
ドレッセしてみた。

下のソースも
ヴァン・ルージュ(赤ワイン)と
ヴィンテージ・ポルトーを
ヴィヨンと合わせて
ゼリーで固めたジュレ仕立てである。

ピオーネのエマンセ(薄切り)や
ポワロー(長ネギ)の
フロマージュ(チーズ)寄せを
ガルニチュール(添え合わせ)とした。



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