毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。
私的春休みも
あと一週間となった。
カミさんは
きのうが始業式で
通常校務がはじまった。
今朝の朝刊で、
中学生の13%が
中等度以上の「コロナうつ」
だというので、臨床の実態と
ほぼ一致していた。
300人の中規模校でも
40人弱もいる、というこである。
SCが予約ビッシリの
フルタイムになるのも
当然かもしれない。
小学生も9%もいるというので、
新学期の「中一ギャップ」の
環境変化因子も加わると、
「うつ性不登校」も
一割近く出る可能性もある。
学校にいて、
カウンセラーが暇という事は
有り得ず、ドテキャン以外は
ほとんどフルタイムで
働いている。
心身の不調感を
言語化できる子たちは、
積極的に傾聴することでいいが、
それが不得意な子たちには、
箱庭や絵画、音楽などの
表現療法(アートセラピー)を
施行している。
表現・表出により、
内的葛藤や苦悩を
ある程度「放出・解放」させつつ、
支持的な言葉かけで
「安全感・安心感・大丈夫感」を
醸成していく。
また、時折、
「ジブリ物が好き」
という子には
ギターを手に取り
『いつも何度でも』や
『さんぽ』や
『海の見える街』の
サワリを弾いてあげると、
みな柔和な顔になってくれる。
「まん防」解除後、
「第六波」が未収束のうちに、
「第七波」のツインピークを
呈してきた。
県内も、
300人台まで下がった思ったら、
きのうは600人台に
跳ねあがった。
市内も
20人台から
60人台となった。
「第五波」収束後は、
「0人」の日が続いていて、
やれ安心といたが、
またしても戦々恐々の
緊張感を強いられている。
まさしく、
その「心的負荷」は
ストレッサーの第一因子である。
見まい、見まい・・・と、
思いつつも、ついつい、
定時のニュースは
チェックする習慣があるので、
トップニュースの
「ロシア軍の蛮行」を
連日、見ざるを得ない。
今朝は、
プーチンの正面の顔が
アップになった時は、
その狂気を含んだ目つきが
ゾッとさせられるほどに
悪魔的だった。
市民虐殺の事実を否定し、
「ウクライナによる挑発」
と断ずるに至っては、
殺人鬼を思わされた。
国連の人権理事会で、
ロシアの外相が
演説する段になると、
各国が揃って退出した。
虐殺者が
人権の何を語るというのだ。
ロシアの暴虐・蛮行は、
「バタフライ効果」となって、
世界中に負の連鎖的影響を
もたらしている。
世界の穀倉地帯と言われる
ロシア・ウクライナの
1/3の小麦の供給が滞り、
それに依存している国々が
食料危機に陥っている。
日本も例外でなく、
今朝のジョーク欄での
『かっぱえびせん』のように、
「やめられない
とまらない」
状態は笑えない。
戦争・食糧危機・値上げ・・・と、
これまた、生活者には
心的負荷となること
必至である。
そこに、
個人的要因が加われば、
すぐにでも
「デプ(うつ)り」そうである。
このストレスの海に
溺れないようにするには、
ストレス・コーピング(対処法)の
スキルを持たねばならない・・・と、
昨年の中学生への「ガイダンス」で
全員に教えた。
好きな事を
一生懸命やりなさい。
ない人は
探してでもやりなさい。
・・・とは、
非常時ならではの
「修羅場の飛び道具」的な
アジテーションである(笑)。
言ってる自分が
いちばん実践しているから、
いくらか説得力が
あったかもしれない(笑)。
***
【金で解決できるものは
金で解決せよ】
という箴言から、
ふだんケチケチしているが、
こういうストレスフルな時局では、
貯めるよりも
嗜好品に消費することで
いくらかでも
セラピュウティックにはなる。
散歩&買い物&
ツタヤ・ブラウジング・・・は、
ロンバケ中の日課だが、
愛読してる新刊を見つけて
買ってきては、
「ごろ寝の友」としている。
きのうは
『ゴルゴ13』が出てた(笑)。
帰宅したら、
ポストにジャーナル(学会誌)が
届いていて、
これもゴロ寝の友とした(笑)。
漫画しか読まないカウンセラーは
トンデモナイが、
学会誌しか読まないやつも
ドンデモナイと思ってる(笑)。
きのうは、
『復興支援リサイタル』の
シーズン中には
第二屋外練習場だった
小倉字観音に
フキノト・ハンティングに
出向いてみた。
そしたら、
一足遅かったようで、
どれも花が咲いてたり
フキにまで育っていた。
あらま・・・である。
😞
それでも、
カタクリの群生は見事で、
それはもう・・・
天国的な光景だった。
この春はじめてだったので、
ことさらに感激した。
この絶景を見たら、
もう、ビッキ沼にも
四季の里にも
行かずともいいな・・・
と感じたほどである。
6年続けた
『復興支援リサイタル』の
シーズン中には、
一年中、気が休むことなく、
練習やマネージメントの
毎日だった。
誇張でも大袈裟でもなく、
「命削って、やってまんねん」
と人様には言いたい
気持ちだった(笑)。
セラピスト&ギタリストの矜持が
何をかやらせずには
おかなかったのである。
だから、
音楽が純粋に楽しい、
というのではなく、
苦しみを伴う
「苦楽(くるたの)しい」
状態だった。
その6年間を終えて、
肩の荷が下りたようだったが、
そしたら、コロナ禍となった。
当たり前に、
コンサートが開け、
人々がマスクなしで
会場に聴きに来て下さっていた。
今思うと、
ウソみたいな現実が
あったのだ。
*********
😢 (´;ω;`)
*********
フェイスブックで続けている
『リュート・マラソン』のために、
きのうはダウランドの名曲で
ブリテンが『ノクターナル』の
主題として採り上げた
『永遠の眠りよ来たれ』を
編曲・浄書した。
リュート歌曲の伴奏譜を参考に
ソロにしてみたが、
結果・・・
ブリテンの編曲と
ほぼ同じようになってしまった。
いつかは、
この曲のソロに取り組もうと
思ってたので、
ウクライナで戦死された
無辜の人々のための
『レクイエム』として
追悼演奏させて頂いた。
花粉症と喘息が
ミックスしたような症状で、
咳がひどく気管支のあたりが痛む。
春先の
お定まりの症状とは言え、
春休み中なのが
幸いしている。
花粉量が多いときは、
さすがに外出は控えて
散歩もできないが、
近所の温室ハウス内では
菜の花が咲いていた。
コロナ禍の第六波も
いまだ収束せず、
高止まり状態である。
毎日、朝刊の
世界の死者数と
市内の患者数だけには
目を通して、数値の変化を
情勢の判断材料にしている。
戦時国のロシアも
毎日、微増ながら
36万もの死者数を出しながら、
戦争やってる場合かよ・・・と、
プーチンの狂気に呆れかえる。
アメリカも依然として
死者数が減る傾向を見せず、
この分では、あと数か月で
100万の大台に乗るだろう。
世界一の先進国が、
どうしてこの死者数を
食い止められないのか
不思議でもあるが、
「ウィズ・コロナ」に
政策転換したら、あとは、
個人責任ということなのだろうか。
日本も全国的に
「まん防」措置をやめたが、
依然として、感染者数は
高止まりのままである。
オミクロン株が
致死率が低いから安心と
みくびっているかのようでもある。
市内の患者数が
「0」になるまでは、
外食は控えようと
思っている。
米アカデミー賞の会場で、
ウィル・スミスが
暴行に及んだというので、
ニュースで取り上げられてるが、
朝刊を読んでみると、
「脱毛症で悩む妻の髪型を
コメディアンに揶揄されて
ブチ切れた・・・」
と言う。
当人も後から
反省し謝罪していたが、
そもそも、
病んで苦しんでる人を
揶揄するコメディアンが悪いのは
言うまでもない。
『グットウィル・ハンティング』でも
『名探偵モンク』でも、
亡き妻を冒涜された
精神科医のセラピストや
モンクが切れて、
相手に殴り掛かった。
これは、
【専守防衛】であり、
自らは攻撃しないが、
攻撃を受けた時には
武力を行使して、
妻の尊厳のために闘ったのである。
それでも、
伝統ある晴れの舞台での蛮行は、
米国内では厳しい批判に
晒さられてるようで、
受賞した主演男優賞は
はく奪されそうだ、という。
スミスも
「アカデミー賞より
妻の名誉の方が大事だ!」
と尻をまくれば、
漢(おとこ)を上げただろうに…。
もう、一生喰えるほど
稼いでるんだから、
映画界に未練がましく
しがみついてる方が
なんだか武士(もののふ)精神からは
美しく見えなかった。
かつて、
アメリカン・ジョークにもなった、
滑稽判例があった。
詳細は忘れたが…
正当防衛の過剰防衛で
加害者の片腕を折った被害者に、
治療費を払うように裁判官に
命じられると、
盗人猛々(たけだけ)しい相手が
「へぇ、ざまあみやがれッ!」
と軽口を叩いた。
そしたら、
被害者は即時、
裁判官に向かって
「治療費は倍払いますから、
もう片っ方の腕を
へし折らせて下さい!」
と訴えた(笑)。
これを、
イイ話だなぁ・・・
と思うのは、
"野蛮"な漢(おとこ)だろうか・・・。
テメェ(ー_ーメ)
日本語には
「義憤」というのがある。
赤穂浪士の「仇討ち」は
天晴なる武士、
と日本人が賞賛する
美談の第一とされている。
ロシアの理不尽な侵攻を
世界中の国が
寄ってたかって非難するのは
当然としても、
歴史を顧みれば、
日独伊は言うに及ばず、
スペインも大英帝国も
どれほどの侵略行為を
繰り返してきたか・・・。
アメリカなぞ、
ついこないだの
湾岸戦争では
「大量破壊兵器がある」
というでっち上げで
フセインを抹殺し、
自国に優位な石油利権を
手に入れているのである。
ロシア-ウクライナの
「停戦交渉」は、
まさに強盗の要求を
被害者に付きつけるものである。
国連が
「世界の警察」でないのも、
"安全保障"理事国に
この強盗がいて、
いっちょまえに
「拒否権」を行使してるからである。
もう、
ドリフのコント以上の
茶番劇である。
こういう
インチキを
人類はいつまで
続けていくつもりなのだろう。
バベルの塔や
ポンペイみたいに
「天の怒り」に触れて
破滅させられても、
人類は未だに目覚めてなく
依然として迷妄のなかに
いるようである。
『福島国際研究教育機構』
なるものが、構想され、
来年にもスタートすると
昨日、はじめて知った。
在京中に、
『日本国際文化研究センター』
というのが、
カミさんの勤務していた
大枝中の近所にでき、
河合センセが所長になった。
通称「日文研」である。
であれば、
今度のは
「福国研」か・・・。
産学連携の機関だが、
中に「原発被害の知的情報発信」
というセクションもあったので、
『災害復興学』の概論でも仕立てて
研究公募に応募してみようかな…、
なぞとチラリと思い浮かんだ。
フクシマ人として、
被災者として、
心理学者として、
面白そうな研究テーマだが、
それだと、75歳の定年まで
SCをやろうと決めた目標が
くじけてしまうなぁ・・・とも
【捕らぬ狸の皮算用】で
ひとり脳内妄想していた(笑)。
花粉症で
辛い日々も
リク坊の可愛い写真を見て、
心癒している。
ほんに、
孫は老衰ジイジの
いい保養クスリである。
2004年から
足掛け18年も
毎日続けてきた
『ティーカップ』サイトが
1/8で「サービス終了する」
という告知が出て、
ブログ仲間のM共々、
「参ったなぁ・・・」
と、愚痴をこぼし合っていた。
サイト閉鎖にあたり、
「goo blog」への移転が
公式に推奨されているので、
夏休み頃には、その手続きを
せねばなるまい。
最近では、
フェイスブックの方が
主流になっているが、
実名サイトなのと、
GAFAに与するのを良しとしない
ビジターも多くいられるので、
やはり「goo blog」との
二本立てでいくよりない。
今朝、目覚めたら、
寝室の枕元から
網戸の外に
二匹の蛾が
継がって止まっていた。
昨晩は、
強風注意報が出るほどの
大風の夜だったので、
羽休めを探し求めて
我が家の網戸を
アベックでグリップしたのだろう。
内側からポンと弾けば、
驚いて逃げるのだろうが、
なんだか、夫婦か恋人どうし
のような気もして、
飛び立つまでは
そっとしといてやろうと思った。
なんだか、変な夢を
沢山見た一晩だったので、
朝一の蛾の到来が気にかかり、
『シンボル事典』でいろいろと
象意をしらべてみた。
すると、
イモムシから蛹化、羽化する
というので「変化」
「死と再生」の意味がある、
という。
もひとつは、
正の走光性があり、
光りに寄って来る性質があり、
時折、焚火なぞにも
誤って投身して自滅する
ということがあり、
「熱中とその危険性」
という象意もあるそうな。
そこから、
現在の我が身の事を
つらつら考えてみるに、
そろそろ
『リュート・マラソン』の熱も
冷めつつあるのか、
楽しさが薄らいできた感がある。
7週間も馬鹿みたいに
毎日続けてきたのだから、
飽きるのも当然だが、
かといって、まだまだ、
リュートという奥深い古楽器を
ギターと同様に極めた感からは
ほど遠い。
まだ、だいぶ解ってきた、
という段階である。
そして、
愛器のギター破損事故来、
ずっと爪を切って、
指頭奏法を続けてきて、
その可能性や新奇性に
心がオモシロがる面もあった。
爪弾きには出来ない、
メローでマイルドな音色が
ギターからも出せて
目の覚めるような発見だった。
花粉症のクスリ
「三点セット」である(笑)。
これプラス、
やや喘息チックで、
気管支あたりが
イライラして
咳もでるので、
喘息吸入剤の
「シムビコート」も
時折、使っている。
これらの薬剤で、
なんとか、不快な症状が
緩和され、精神的に病むのを
防いでくれている。
江戸時代末期に
金光教祖は、
「祈りくすれ(薬)にせよ。
くすれ祈りにすな」
という御理解(御教え)を
説いている。
その一方では、
貧しい農民の参拝者に、
「その方も薬を買う費用が要ろう」
と、クスリの有用性を認めている。
これは、
対機説法的なもので、
相手を見て、
気養いになるなら煙草も
悪くなかろう・・・
と言いながら、別の者には、
その方はやめた方がいい、
と説いたりしている。
自分は、
まだ自意識が確立していない、
2才から重症喘息だったので、
それこそ数十回も入院し、
クスリ漬けの"古漬け"人生である(笑)。
なので、
爾来、呼吸困難という
死ぬほどの苦しみと恐怖から
瞬時に解放してくれる
クスリの力、有り難さは
骨身に滲みている。
かといって、
「クリス信者」にはなるまい、
という思いもある。
でも、それを呑まずば、
自殺してしまう・・・
というようなクライエントの
クライシス・インターベンション
(危機的介入)
では、躊躇わずに
「薬物療法」を指示している。
サイエンティスト的な思考で言えば、
クスリも食べ物も
CHOや諸々の元素に
還元できるからである。
ご飯のCHOはいいが、
クスリのCHOはダメ、
というのは
全くのナンセンスである(笑)。
そのような
クスリを嫌厭、忌み嫌う人も、
また、アンチ薬「信者」なのだ。
そのような、
非科学的な迷妄を
「センチメンタル・バリア」
と揶揄しながら
啓蒙するのも、
サイコ・セラピストの仕事なのである。
散歩コースにあった
近所のパソコン教室が潰れて、
価格破壊「理容/美容」の嚆矢、
『プラージュ』ができた。
開店日の開店時間に、
散歩をかねて出向いたら、
8時15分から髪切りにくる
物好きもないとみえて、
第一号客となった。
そのせいか、
店中のスタッフから
記念日効果で
妙に厚遇された(笑)。
これまでは、
散歩コースとは反対側にある
『フレッシュ』に行ってたが、
こっちは60才以上200円引きで
カット・顔剃り1100円という
最安価であったので、
これからは、こっちに
乗り換えである(笑)。
御多分に洩れず、
帰りには、粗品をもらって、
スタッフ一同から
「ありがとうございました」
と送り出された。
散歩コースの
濁川の土手が、
洪水を機に、
自然道から舗装になった。
これまでは、
草掻き分け歩いてたが、
舗装になったら
歩きやすいのはいいが、
その味気ないことよ。
狐狸庵先生の箴言を
思い出してしまった。
波打ち際の砂浜は
歩きにくいものだが
振り返ると
そこには足跡がくっきり残る
舗装路(みち)は
歩きやすいが
振り返っても
そこには何も残ってはない
我が身の上に降りかかってる
「コロナ・戦争・地震」
「叔父の急逝・愛器全損」
「花粉症・体調不良」
などを
艱難辛苦とするならば、
これもまた
「人生深生き」
とするための
セルフ・アレンジメントなのかもしれぬ。
今朝の窓辺の
「番う蛾」の象意のように、
「死と再生」のイニシェート
(通過儀礼を体験)させられている
最中なのかもしれず、
そのトンネルを抜けると、
あの明るい景色に
心が晴れるのだろう、
と信じて「先を楽しみ」に
暮らそうと思っている。
今年は、まだ、何処にも
フキノト・ハンティングに
出かけられず、
従妹のミキティにもらったもので
フードプロセッサーを用いて
フキ味噌を作った。
贅沢にも
「蜂蜜/黒糖/甘酒/味醂」
という"甘味四兄弟"(笑)を
加えて撹拌し、
フライパンで火入れした。
甘辛加減と
香りがウェルバランスに
仕上がったので、
カミさんも白飯を炊いて
「おいしい、おいしい」
と、ご満悦だった(笑)。
31日まで、
ツタヤのワゴンセールで
CD80%オフなので、
毎日、散歩のたびに
何枚かずつ買ってきている。
もう、ワゴンのクラシックは
ほとんど買いつくした(笑)。
チャイコフスキーとの
カップリングされてた
グレチャニノフという作曲家を
知らなかったので
ググってみたら、
リムスキー・コルサコフの
お弟子さんだった。
「liturgy(リタジイ)」
というのが、
キリスト教の「典礼」を
意味するというのも
勉強になった。
「典礼音楽」とは、
宗教的儀式に用いられるもので、
ローマ・カトリック教会では
16世紀来、用いられてるという。
礼拝に使用される音楽としては、
ミサ曲、レクイエム、
聖務日課の詩篇、
カンティクム、モテト
などがある。
ギターやリュートで
弾かれるものとしては、
レクイエムやカンティクムといった
「リタジイ」がある。
教員時代に
11年間奉職させて頂いた
金光教の関連校
『金光大阪高』が
甲子園で初のベスト8入りした。
この時点で、
全国のトップ10入りした、
ということでもある。
それだけでも、
大したものだが、
準々決勝まで来たら、
目指せ! 全国制覇!
である。
大阪・東京は
学校数が多い激戦区なので、
その実力は全国レベルだろう。
あとは、
普段の練習どおり、
ミス、エラーを極力なくし、
好球必打で攻めるべし、
である。
きのうは、
延長13回で、
先に3-1とリードを許し、
その裏の逆転劇という、
薄氷を履むが如し辛勝だった。
元テニス部監督の眼で見ると、
相撲のような一発勝負とは違い、
野球も確率のゲームなので、
エラーが少なく
ヒットが多い方が
必然的に勝つ。
昨日のゲームでは、
勝負所の8回表で、
キャッチャーの
フィルダーズ・チョイス
(送球の判断ミス)があり、
ピンチを招いた。
また、同じ回に、
セカンドのハンブル(お手玉)があり、
あわや大量得点か・・・と、
ハラハラしたが、
敵方の三塁ランナーと
コーチャーズ・ボックスの選手が
触れ合ってアウトになるという
「大ポカ1」があって
「小ミス2」と相殺された。
延長12回の表、
敵方ショートが好守備を
2回見せていたの対して、
金光側はショートのハンブルで、
ノーアウトで走者を出し、
送りバンドを成功させた。
そして、
レフトへの大飛球・・・。
あわや、と思いきや、
岡治くんの
ジャンピング・キャッチという
ファインプレーが出た。
しかし、その後、
エース古川の痛恨の
デッドボール。
いやな空気感が
まだ払拭できず、
打順が先頭バッターに廻り、
またもや、レフトへの
特大飛球・・・。
抜けたら、
逆転だったが、
またまた、岡治くんの
ファイン・プレーで救われる。
敵方、監督は
エースを降ろして、
小まめに第二、第三の投手へ
継投策を採り、
60代の智将に
40代の横井監督が
やられるか・・・と、
不安がよぎった。
しかし、13回裏、
この交代選手の
第二エースが、
四球、死球で
ピンチを凌げず、
安打なしでサヨナラを許した。
金光側は
エース古川が
ひとりで踏ん張り、
外野の好守備に救われた感がある。
修正点としては、
これから緊張が強いられる
場面での、内野の守備の
鉄壁さである。
その事は、
ハンブルをした当人たちが、
誰よりも肝に銘じてることだろう。
甲子園で
二回目の校歌を
聴けたことが
嬉しかった。
学校のHPを見たら、
校歌の歌詞のみで、
譜面はアップされてなかったので、
観戦しながら
バインダーを膝にのせて、
記憶を頼りにギター用に
編曲してみた。
毎日のように、
『リュート・マラソン』で、
譜面書きをしていたので、
あんがいスラスラといけた。
学部生の頃、
副専の音楽科の『和声学』で
使っていた五線譜の
空いてる箇所を用いたが、
その上に、当時の
和声の展開課題への
椎名先生のコメントが
残っていた。
音楽科の教授であられたが、
退官前に自殺してしまい、
音楽科に暗い影を
落とした。
先生からは、
和声学と形式学を学び、
今日の音楽学の素養を
作って頂いた謝意がある。
野球観戦中にも
地鳴りとともに、
震度3の余震があり、
ドキリとした。
先日、震度6の恐怖を
久しぶりに味わい、
同程度の余震も
1か月内にありうる・・・
との気象庁の注意喚起が
あったので、
被災地感覚が蘇っている。
それゆえに、
金光の甲子園での活躍には、
勇気と元気をもらえている。
野球が始まる前の
午前中には
散歩&買い物&
ツタヤ・ブラウジングを
済ませてきた。
畑の路地に
オオイヌノフグリの群生が
ブルーとグリーンの
カーペットを敷いたように
繁茂していた。
春先に
いちばん先に咲く、
野の花かもしれない。
オオイヌノフグリというのは、
「大犬の陰嚢」という意味なので、
ぞっとしない。
せめて、学名の
「Veronica persica」
(ヴェロニカ・ペルシカ)の方が、
ずっと耳に響きがいい。
オオバコ科
クワガタソウ属
の越年草である。
可憐な花なので
雑草とも見下げたくもない。
スマホ(カメラ)を
地面に置いて
仰角をつけて、
背景の吾妻山との
ツーショットを試みてみた。
マックス・ズームで撮ったので、
近景・中景・背景
ともにピンボケになった(笑)。
肉眼では
シャープに見えるので、
ヒトの眼ぇっちゃ、
大したものである(笑)。
一日熟成させた
フォアグラのテリーヌで
"ぼっちフレンチ"とした。
作りたてよりも、
やはり味に落ち着きが
感じられた。
今日のお昼は
熟成二日目の
試食をするつもりである。
🦆
夕餉の菜を
『いちい』に買いに出たら、
洋酒コーナーに
珍しい「アイラ島」の
シングル・モルトを見つけた。
試したことがない銘柄だったので、
2250円という安値だったこともあり
エイッ! と籠に入れてきた。
『フィンラッガン』
という醸造所で、
テイスティング・グラスで
香りを聞いてみた。
そのヨード香が、
子どもの頃、通っていた
旧医大の小児科の
治療室の匂いがした。
そして、
注射の上手いスリムで
クールな看護婦さんの姿まで
まざまざと映像で思い浮かんだ。
『ボウモア』や『ジュラ』より
琥珀色は薄く、
ピーティーさ(煙臭さ)も
マイルドであった。
アルコール度数40%ながら、
コクと甘味が感じられ、
廉価といえど、
さすがに本場の
シングルモルトであった。
この冬は
ひときわ寒さが厳しく、
各部屋でストーヴを
頻繁に焚いていた。
石油価格も値上がりし、
そのせいか、カミさんも
浴室のストーヴを
長らくつけたままだと、
「早く入って」
と促される。
一月は
愛孫をケガさせてしまい、
自主謹慎していたので、
書室・茶室に入ることもなく、
ストーヴを炊いての
「書初め」「初釜」も
自粛していた。
その流れで、
つい、昨日まで、
書室、茶室に足を踏み入れず、
ふた部屋とも
何処となく荒涼感が
漂っていた。
ここ数日、
日中は陽射しが温かく、
暖房要らずだったので、
久しぶりに書室で
筆を取った。
去年の暮れまでは、
けっこう、毎日、
臨書をしていたが、
二か月ものブランクがあると、
なんとはなしに運筆が
ぎこちなかった。
そして、
カラダが固まってるせいか、
風邪っけが抜けないせいか、
花粉症の悪化のせいか、
半時も書いていたら、
急に背中が痛みだして
気分がわるくなってしまった。
なので、
そこで中断して、
床に伏せった。
どうも、
春先の体調は
毎年、こんな調子なので、
つくづく、歳をとったなぁ・・・と、
嘆息するようである。
カミさんが卒業式で、
花束を二つ持って帰ったので、
玄関室礼に「花寄せ」にして、
自筆の
『花枝欲動春風寒』
を掛けた。
なんだか、
活動的に動きたいのに
カラダが効かず
もどかしい自分の気持ちをも
現わしているような気がする。
朝刊の新刊案内で
狐狸庵先生の新発見原稿が
冊子化されたのを知って、
すぐさま、Amazonをポチッた。
今日あたり、
届きそうだが、
未読の作品を読めるのを
楽しみにしている。
SC(学校カウンセラー)を
生業としているが、
専門は分析心理学なので、
現今の世界、人類の
深層心理的な布置を
読もうと日夜努めている。
YouTubeで、
久しぶりに
最新の『エハン塾』を
視聴していたら、
「意識の進化」という
キーワードから
このコロナ/ウクライナ問題を
読み解こうとしていて、
心に響くものがあった。
人類は、有史以前から、
今日に至るまで、
二度の大戦以外にも、
何百という「争い事」やら
「紛争」やらで
殺戮を行ってきたか
分からない。
言ってみれば、
人類誕生来、
「恒久平和」という状態は
一度たりとも
実現していないのである。
大戦後に創設された
「国際連盟」やら「国際連合」も
紛争を防ぐシステムには
成り得ていない。
もう、そろそろ、
いい加減に、
「人殺し」から
卒業してもいいのでは・・・と、
思わないでもない。
人間の行動パターンが
すべて投影されている
と言われるのが、
神話の類である。
意識研究家でもある
エハン氏は、
旧約聖書の
アダムとイヴの息子である
カインとアベル兄弟の間ですら、
「殺し」が起こっている事を
指摘しており、
なるほど・・・と、思った。
精神分析学では、
同胞間葛藤のことを
「カイン・コンプレックス」
と言う。
『出エジプト記』では、
「モーゼの十戒」として、
「汝、殺すことなかれ」
と神命が出てくる。
にもかかわらず、
神が創った
夫婦の息子は、
兄が弟を殺すのである。
その救いようのない人間の
処方箋として登場したのが、
新約聖書のイエスであり、
彼は、
「汝の敵をも愛せよ」
というような
途方もない「愛的行為」でのみ
人は救われるのだと説いた。
これを今のウクライナに
当てはめて、出来るかどうか、
まず無理というものだろう。
しかし、
狐狸庵先生は
『私のイエス』で、
「アウシュヴィッツのガス室で
殺された子どもたちが、
もし、あの世でヒトラーと会ったら、
彼を許すのが、愛であり、
それが宗教性であろう」
と言っている。
ロシア侵攻や3.11で
「神も仏もあるものか・・・」
と思った人々は
少なくないだろう。
自分にも、
そう思いたくなる
心境がたしかにある。
しかし、それは、
宗教性からは全く遠い考え方で、
それでも、にもかかわらず、
神や仏を考え続けてゆくことが、
宗教性なのである。
エハン氏の指摘で、
もひとつ感心した事があった。
それは、
「破壊と創造」「死と再生」を
もたらす者としての
トリックスターの存在である。
事によると、
コロナ・ウイルスと
プーチンは、
「デストロイヤー(破壊者)」
「デビリッシュ(苦しめる者)」
という面での
トリックスター的役割として
登場したのではないか・・・
というのである。
それは、なぜ?
個々人に起こる様々な
病苦や不幸事に対して
サイコ・セラピストは
それを「治し」「助かる」
という治療・救済支援の一方で、
「それは、なぜ起こったか?」
という意味を
共に考えるのである。
そして、
深層心理学とも言われる
分析心理学には
「セルフ・アレンジメント」
という用語がある。
意識の中心は
「エゴ(自我)」、
意識と無意識を合わせた
全体の中心は
「セルフ(自己)」
と言う。
その「セルフ」が
「アレンジメント」をした、
というのである。
では、何のために?
そこで、
「自己実現」または
「個性化の過程」のために・・・
となる。
ほんとうの「自分」、
仏教でいう処の
「真我」となるため、
あるいは「仏」となるため。
金光教では、
「生神になる」ため、
と言う。
ヒンドゥー教や
インド哲学的には、
「宇宙の根理」ブラフマンと
「自己の中心」アートマンが、
同一化するためである。
ユングは人類全体に
共通の無意識がある、
ということを
世界中の神話や考古学的研究、
文化人類学的研究で究明し、
それを「集合無意識」あるいは
「普遍的無意識」と名付けた。
個人の心的現実にある
「セルフ・アレンジメント」が
人類規模で起こると、
「コロナ/ロシア」のような
凶事として具現化するのである。
アメリカのトランプ現象やら、
イギリスのEU脱退やら、
格差社会の蔓延やら、
欧米の民主主義も
ガタガタになりつつあり、
AI導入による「人間フラット化」
スマホ中毒も進行しつつある。
それに加えて、
環境汚染、温暖化問題、
忘れた頃にやってくる
「地震・津波・火山・台風」
という超規模化しつつある
自然災害。
どうも・・・
どの面から見ても、
人類は存亡の危機が
「今、ここ」にある現実である。
これは、土俵際、崖っぷちまで
来たのかもしれない。
『サザエさん』のカツオや
『ドラえもん』ののび太が、
始業式直前の
夏休みの終わりになると、
「夏とも」を懸命にやるような
「終末努力」を人類に起こさせるべく、
「コレクティヴ・アンコンシャスネス・
アレンジメント」が
〈コロナ/プーチン〉という
トリックスター(破壊の使者)を遣わした
と考える事ができる。
粘菌のライフサイクルのように、
個々に活動していたアメーバが
寄り集まって一体化し
ひとつの胞子体となるように、
ホモサピエンスという種は
「今、ここで」
根本的な意識改革の進化を
自ら為し遂げて、
物質主義・経済至上原理・
AI支配などから
本気で脱却を目指さないと
もう未来はないのかもしれない。
そして、滅びた後は、
芥川の『蜘蛛の糸』の結末のように・・・
極楽の蓮の池から
その浅ましい様をみていたお釈迦様は
悲しそうな顔で
立ち去りました・・・
・・・と、なるやもしれぬ。