* 34 *
人生の分かれ道で、安全な方と危ない方があれば、危ない方を選べ。
養老 孟司
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「ソーちゃん。そっちで元気にしてる?
きょうは家族みんなで、来たよ」
と、愛菜はこころのなかで語りかけた。
早、新盆の墓前に、桂成、聡美、竜馬と、子どもたち三人も、線香と祈りを父に手向けた。
「お父さん。
サトちゃんも、リュウ坊も将棋を始めたんですよ。
二人とも、鍛え甲斐があります。
さすが、お父さんの娘と息子です。
とっても、筋がいいんですよ」
と、カナリは近況と吉報を父であり師匠に報告した。
カナリの脳裏に、父のやさしい笑顔が浮かび、あの温かみのある声が聞こえた。
「カナちゃん。よろしくね・・・」
久しぶりにウルルと涙腺が緩み、ちょっとだけ鼻をすすりあげた。
家族の誰もが墓前では言葉少なげに、神妙な面持ちで、それぞれに父と心の中で対話し、その魂の安寧を祈った。
棋界では、永世八冠の急逝で「空き」になった八大タイトルを巡りトーナメントが新たに行われた。
絶対王者が退き、誰にもタイトル・ホルダーになる夢を叶えるチャンスがあるとなって、棋界の一七〇人は色めき立った。
そして、皮肉なことに、あんなに潮が引いたように将棋を見捨てていったファンたちの半分ほどが戻ってきた。
「雲上人」「棋神」「絶対王者」が去り、タイトル争奪戦という、戦国絵巻を楽しむ棋士たちとファンたちを見て、カナリは皮肉なものだ・・・と、感じながらも、絶対に「八冠」は誰にも渡せない、と強く誓った。
事実、それまで、すべての挑戦権を得て、父と格闘してきた娘である。
誰一人にだって負けるものか、という闘志が自ずとみなぎってきた。
まるで、世界が一度リセットされたように、すべての棋戦でシードはなくなり、全棋士が一兵卒として平等な条件での戦場とあいなった。
カナリはすべての棋戦において、棋力、体力、精神力・・・と、全勢力を注ぎ込んで、文字通り「命を削って」闘い抜いた。
その気力はもとより、天賦の才、常人ならざる努力、地上最強棋士の薫陶という、余人を寄せ付けないものは、番狂わせなど起こりようもなかった。
かつての八大タイトル挑戦者は、こうして「二代目八冠」に輝いた。
棋士たちもファンたちも誰もが、その「棋神」めいた強さと凄味が、ミーム(技芸遺伝子)として確かに継承されていることを悟った。
もう、「マンガを超えている」とは、誰も口にしなかった。
当然といえば当然の結果だったからである。
彼女は「努力する超天才」の娘なのである。
「四〇〇年に一人の大天才」の愛弟子なのである。
世間は、改めて、驚いたが、更なるサプライズを、この後、カナリの提案によって為された対局で目撃することになるのであった。
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