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「自己実現」などと言いますが、自分が何かを実現する場は外部にしか存在しない。
より噛み砕いて言えば、「人生の意味」は自分だけで完結するものではなく、常に周囲の人、社会との関係から生まれる。
養老 孟司
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中三ともなると、夏休み期間中に「三者面談」というのがあって、生徒と保護者が担任と「進路」について具体的な相談を進める。
カナリの現・保護者は、師匠夫婦になっているので、この日は愛菜が学校へと赴いた。
かつての国民的スターだった女優が来校するという噂が職員室内に拡まると、何とはなしに管理職はじめ、教員一同にソワソワ感のようなミーハーな雰囲気が漂った。
教室で二人を迎え入れた担任も、一般人の中学教師なので、いささかの緊張を感じていたようである。
ところが、その面談で、カナリの口からは、驚くべき発言が飛び出した。
「わたし、高校には、進学しません」
と断言したのである。
前夜に、師匠夫婦には、自分の決心を開陳し、両者の同意を得ていた。
師匠も、高校進学をしない、と親に告げたものの、母親に
「お願いだから、高校だけは行ってほしい・・・」
と泣きつかれて、渋々、進学したという経緯があった。
そして、世間を驚かせたのは、高3の三学期に、あと少しで卒業という時に、スパリと退学したのである。
すでにタイトル戦に臨んでいた為、その対局と研究に全エネルギーを投入したい、という至極真っ当な考えでの事だった。
卑近な言い方ならば、高校の勉強なぞしてる場合じゃなかった、のである。
世の俗人たちは、常識的な考えで、せっかく卒業目前なのに・・・と、惜しむ声が多かったが・・・。
読売新聞の「ジョーク欄」には「十年先を読んでのことです」という佳作が投稿されて、識者の笑いを誘った。
だからといって、カナリも師匠を真似たわけでもなかった。
もう、幼稚園を含めて十年間も学校生活を堪能したのである。
なので、一般教養的知識も、交友関係も、学校行事も、十分であった。
彼女の成績は、決して悪くはなかった。
いや。むしろ、常に百数十人の学年で10番内にいたのだから、優秀な生徒であった。
教師には馬鹿な性(さが)があって、優秀な子はいい進学校に入れたい、と誰しもが思うものである。
でも、その子の人生は、その子のものである。
自己責任と自己決定で、自らの人生を彫琢すべきなのである。
御多分に洩れず、カナリの担任も、彼女の進学断念を惜しんだが、しかし、相手は、棋戦優勝歴もあり、中三にして年収一千万を超えるプロの社会人でもあるのだった。
それも、自分の年収よりも遥かに上の・・・。
カナリの「進学せず」というのは校内のみならず、世間でもちょっとした話題になった。
その言い草・・・
「天才だからねぇ。
特別なのよねぇ・・・」
「もう、一千万も稼いでるんですものねぇ・・・」
「高校なんて、何にも役に立たないからでしょ・・・」
「足し算、引き算、割り算、掛け算だけできりゃ、十分ですもんねぇ・・・」
etc・・・(笑)。
その晩、カナリもまた、驚くような事を師匠夫婦から告げられた。
「カナちゃん。
うちの、ほんとの娘になってもらえないかしら・・・」
「もちろん。
カナちゃんが、嫌じゃなかったら、だよ・・・。
今のままの方がいい、というなら、それでも構わないからね」
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