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情報ではなく、自然を学ばなければいけないということには、人間そのものが自然だという考えが前提にある。
養老 孟司
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女流棋士で、現在、奨励会にも所属している中2の中村 加奈梨 初段が、会長から推挙されて「記念」公開対局に臨んだ。
奇しくも、「カナリ×カナリ」の対決となった。
後から聞いた話では、将棋好きの父親が、カナリの活躍を見て、娘が生まれたときに同じ音の「カナリ」と命名したという。
持ち時間が30分という早指し戦だったが、カナリの講演終了後、20分の休憩の後に、同じく檀上で行われ、ホールの観戦者には、大型スクリーンに局面が映し出された。
カナリは講演の時の穏やかな表情とは打って変わって、対局者が震え上がるような鬼気迫る眼光で全力を投入して勝負に臨んだ。
結果は火を見るより明らかだったが、「研修会」の眼目は、その感想戦にこそあった。
参加者一同は、「八冠」の一挙手一投足、一言一言に、喰い入るように耳目をそば立てた。
ひと通りの振り返りが終わると、檀上の司会者が、まだあどけない顔をした中学生の中村初段に、対局の感想を聞くのにマイクを向けた。
「はい・・・。
初手は、手が震えて、うまく駒がつかめませんでした・・・」
それを聞いて、すっかりオフ・モードになったカナリは、観音様のように微笑みながら彼女の顔を見ていた。
会場の女流棋士たちも、笑いながらうなずいていた。
「藤野先生の指される一手、一手が、自分の細胞にまで浸み込んでくるようで、恐ろしかったんですが・・・。
すごく、感動して・・・」
と、そこまで言うと、急に涙ぐみ、言葉を詰まらせてしまった。
すると、同じ檀上にいたカナリが歩み寄り、その肩を優しく抱いた。
それを見た十代の女流棋士たちは思わずもらい泣きをして鼻をすすりあげた。
カナリの高貴な人間性にふれて、胸を熱くする女流棋士もいた。
素晴らしい対局を見せてくれた両者に、盛大な拍手が贈られ、カナリには特大の花束が中村初段から手渡され、ふたりは檀上でしっかと握手し、抱擁し合った。
カナリには、「講演と公開対局」のみのオファーだったが、自分の方から、宿泊研修にも参加させて頂きたいと申し出て、懇親会にも参加し、大勢の女流棋士たちと酒を酌み交わし、心行くまで歓談し、お開きの後は、なんと大浴場で一緒に湯浴みまでした。
そして、特別のスイーツルームを断って、十代の子たちの三人部屋に混ざり込んで、夜更けまで談笑し、共に枕を並べた。
カナリは、愛聖園の大部屋で雑魚寝をした少女時代のような気分を味わったが、若い子たちにとっては、「雲上人」のスター「八冠」と、まさに「人生の歴史に残る」一夜となった。
翌朝は、全員で大ホールでの朝食を済ませると、カナリは午前中の研修には出ずに、三日後のタイトル防衛戦の「前乗り」のために、その足で対局場となる沖縄に飛ばなくてはならなかった。
その大事なタイトル戦直前の、棋士にとっては貴重な時間の間隙を縫っての、無理を承知での「講演/研修」仕事の依頼という事を、会長はじめ女流棋士会全員が認知していたので、誰もが、申し訳なくも有り難く感じていた。
同室の十代棋士たちに乞われて、三人のスマホケースにサインをし、握手・ハグをし合い、ロビーに向かった。
すると、玄関前には、女流棋士たち全員がズラリと並び、お見送りのために待機していた。
カナリはすこし照れ臭そうに軽く会釈をしながら、拍手をする彼女たちに笑顔を送った。
「カナリ先生。名人戦、頑張って下さい!」
と、声援を送った若い子もいた。
待機していたハイヤーに乗ると、会長がドアの外で深々とお辞儀をした。
すると、それに合わせ五十名の棋士たち全員が揃って総礼をした。
カナリも、車中から、対局後のような凛とした表情で答礼した。
中村初段はじめ、十代の棋士たちは口々に
「カナリ先生。カッコいいッ!」
と言い合って、あたかも宝塚スターに憧れる少女たちのように上気していた。
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