『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

カワイアンであること・・・

2024-06-06 04:38:36 | 魂理学

ゆんべは
午後の研修疲れで
10時半頃に寝入ったが、
朝方は3時半頃に目ざめ、
トイレに行くも
二度寝できなかった。

「私的九連休」なので、
学校勤務がない為か、
ここの処、ロンバケ中みたいに
睡眠相が崩れている。

5時間睡眠だったものの
【目が覚めたら朝】
ということにしてるので、
起きてブログを書くことにした(笑)。

どーせ、日中、眠くなりゃ
惰眠を貪ればいいや・・・
という半隠遁くらしである・・・(笑)。

夏至に向かって
どんどん日が短くなり、
近頃では、午前3時半ころには、
東の空が明るんでくる。

平生は
そこから二度寝して
7時間睡眠を保ってるが、
非日常的な日々になると
それが崩れてしまう。

それでも、
朝が白々と明けるのを
寝床でじっと鑑賞しているのも
非日常的な時間を生きているようで
面白味もある。



**

きのうは
研修会のために、
午後から近所でもある
杉妻会館に赴いた。

県庁の駐車場から
歩いて5分ほどだが、
ちょうど、『板倉神社』を
抜けてゆくので、
ついでに、来年の
〈リサイタル成功祈願〉を
させて頂いた。

6年間の『復興支援リサイタル』では、
毎年、御祈念させて頂き、
御礼参りもさせて頂いた。

 



幼少の頃は、この界隈の
ジモティだったので、
ここいらは通称『隈畔』
(わいはん/阿武隈川畔)と言い、
遊び場でもあった。

境内からの開けた眺望がよくて、
かつては、眼下には
貸しボート小屋があったものである。

そんなんで、
境内のベンチは
コンサート・シーズンには
ずっと「第一屋外練習場」であった。

20曲もの暗譜作業をするのに、
ここや、小倉寺観音、青年会館・・・と、
あちこちの屋外練習場を設けては、
室内練習で煮詰まりそうになると
気晴らしに出かけていた。

*

もみじ山公園には
早くもアジサイが開花しており、
うちの庭より早いなぁ・・・と、
その色とりどりの清楚さに
目を癒された。



*

会館には
食事処もあり、
ランチに来たことも
しばしばあるが、
お気に入りの『地鶏の焼き鳥弁当』
という傑作がメニューから無くなり
以後、足が遠のいている。

なので、年に一回の
研修会に足を運ぶくらいになった。

それでも、
かつて、ここでは、
河合先生が来福された時の
歓迎会を催し、
ロビーのここに座って
医大の名誉教授陣と
笑いながら寛がれていたなぁ・・・と、
なつかしく思い出した。



その折、
呑み会で歓談もさせて頂いたが、
御著書に頂いたサインを
後に色紙表具して、今も、
PC前のデスクの壁に飾ってある。

それには
1994年7月23日とあるので、
あれから、もう30年も経つんだぁ・・・と、
感慨深く思った。

在京中は、
近所の『アスニー』で行われていた
『市民セミナー』で
先生の御講義を何十時間も拝聴した。

京大での『最終講義』にも出かけ、
学会のワークショップでも
沢山、質問をさせて頂き、
丁寧にお答え頂き、
その折も御著書にサインを頂いた。



京都で、河合先生と出逢ったことが、
教員を辞めて心理職に転向した
契機となったが、
その事を呑み会で
「先生のお陰で、人生が変わりました」
と述べさせて頂いたら、
「そうですかぁ・・・」
と、磊落に笑っておられた。

自分はユング派の資格はないが、
れっきとした『カワイアン』である。

先生の生前に書かれた御著書は
200冊あまりあるが、
すべて拝読し、今も、蔵書としている。

中には、何十遍となく再読した
名著の『ユング心理学入門』のような
愛読書も少なくない。

京都では
先生のお弟子さんになる方から
4年間の教育分析を受け、
その先生を通じて、
河合先生にも分析の依頼を
させて頂いたが、
残念ながら
「自分の死と向き合っているので、
新たにはお受けできません・・・」
とのお断りであった。


***+

河合先生つながりで、
きのうの講師のA先生も
京大院では河合先生の
お弟子さんだった。

なので、
きのうの講義の中でも、
二度ばかり先生のお名前が出て、
なんだか深い因縁を感じた。

今の若い世代には、
河合先生を知らない人たちも
少なくない。

かつては・・・
今もかもしれないが・・・
カウンセリングの世界は
「西高東低」と言われ、
東にゆくほどウィークになる・・・
と言われていた。

アカデミズム界でも
こと臨床心理学では
「京大>東大」
と言われており、
ひとえに京大教授だった
河合隼雄の影響力が大きかった。

晩年、文化庁長官になられて、
その繁多な行政職と公務のため
寿命を縮められた感があるが、
それでも、
「文化から日本を癒す」
という信念に殉じられた御生涯は
今もって、尊く思わせて頂いている。













 

 


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