先週の金曜は、
風邪で病欠して、
名人の牧野先生に
マッサージと針をして頂いて
だいぶ楽になったのだが、
土曜日は「いわき」まで遠征して
講演とコンサートという
強行軍だったので、やはり
疲労が今日になって出てきた。
昨日は日中、静養していたが
夜はカウンセリング仕事だったので
気の抜ける一日ではなかった。
幸い、今日は
中学の学年末テストで
オフ日になっていたので、
昨晩から気が楽であった。
それでも、
体中が痛くって
仕方なく鎮痛剤を服用した。
先日のミニコンサートでも
曲間のトークで語ったが
「ギターを弾くのって、
なかなか楽じゃないんですね。
ほんとに、身を削る思いをして、
やってるんですよ」
と、酷使で変形性関節症となった
曲がった指を見せて、
背中も腰も、首も肩も痛くなる
激しい運動であることを
開陳した。
カラオケ親爺の鼻歌レベルでは
聴く人は感動するはずもなく、
未熟な技術をもって
呂律の回らない楽器の節回しに
心動かされる人もいない。
よって、演奏家は
アスリート並みの
身体運動レベルを保ちながら
指先の俊敏な動きを維持するのに
想像以上のフィジカルと
メンタルなエネルギーを
消耗しながら
鍛錬しているのである。
そうでなきゃ、
人の琴線に触れ
感動させられるパフォーマンスなぞ
できやしない。
だからこそ、
楽器の違いはあれど、
リサイタルで共演させて頂く
ピアニストやフルーティスト、
声楽家の方々を
リスペクトしている。
それゆえ、
いささか傲岸ではあるが、
同い年以上で、
何もしていない
何もない人には
「一本」芯が通っている感じがせず、
煌めきも面白味も感じないゆえに
どんどん疎遠になってしまっている。
節分が過ぎたので、
玄関室礼を
雛飾りにした。
レクコンで頂いた花籠が
見るからに華やかで
立ち雛の掛け軸と
菱餅の飾りが
いささか萎んで見える。
京都在住中に
茶道具店で求めた
四条派の神沢亜光さんの
立ち雛は、はんなりして
穏やかな顔立ちと色使いで、
もう三十年ちかく
この時季の玄関や茶室を
飾ってきた。
菱餅は去年買った
「おこし」だが、
やはり、一年で
色落ちしてしまったので、
スーパーで今年の物を見つけたら
買いなおそうと思っている。
風邪で病欠して、
名人の牧野先生に
マッサージと針をして頂いて
だいぶ楽になったのだが、
土曜日は「いわき」まで遠征して
講演とコンサートという
強行軍だったので、やはり
疲労が今日になって出てきた。
昨日は日中、静養していたが
夜はカウンセリング仕事だったので
気の抜ける一日ではなかった。
幸い、今日は
中学の学年末テストで
オフ日になっていたので、
昨晩から気が楽であった。
それでも、
体中が痛くって
仕方なく鎮痛剤を服用した。
先日のミニコンサートでも
曲間のトークで語ったが
「ギターを弾くのって、
なかなか楽じゃないんですね。
ほんとに、身を削る思いをして、
やってるんですよ」
と、酷使で変形性関節症となった
曲がった指を見せて、
背中も腰も、首も肩も痛くなる
激しい運動であることを
開陳した。
カラオケ親爺の鼻歌レベルでは
聴く人は感動するはずもなく、
未熟な技術をもって
呂律の回らない楽器の節回しに
心動かされる人もいない。
よって、演奏家は
アスリート並みの
身体運動レベルを保ちながら
指先の俊敏な動きを維持するのに
想像以上のフィジカルと
メンタルなエネルギーを
消耗しながら
鍛錬しているのである。
そうでなきゃ、
人の琴線に触れ
感動させられるパフォーマンスなぞ
できやしない。
だからこそ、
楽器の違いはあれど、
リサイタルで共演させて頂く
ピアニストやフルーティスト、
声楽家の方々を
リスペクトしている。
それゆえ、
いささか傲岸ではあるが、
同い年以上で、
何もしていない
何もない人には
「一本」芯が通っている感じがせず、
煌めきも面白味も感じないゆえに
どんどん疎遠になってしまっている。
節分が過ぎたので、
玄関室礼を
雛飾りにした。
レクコンで頂いた花籠が
見るからに華やかで
立ち雛の掛け軸と
菱餅の飾りが
いささか萎んで見える。
京都在住中に
茶道具店で求めた
四条派の神沢亜光さんの
立ち雛は、はんなりして
穏やかな顔立ちと色使いで、
もう三十年ちかく
この時季の玄関や茶室を
飾ってきた。
菱餅は去年買った
「おこし」だが、
やはり、一年で
色落ちしてしまったので、
スーパーで今年の物を見つけたら
買いなおそうと思っている。