『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

おこもり

2019-07-21 05:55:00 | 
どうも自分には、
マンガモードと
小説モード、映画モードと、
周期的に来るようで、
とことんマンガを読んでると
無性に小説が読みたくなり
活字にかかりっきりになる。

それに飽くと
今度は思いっきり映画が見たくなる。

…といっても、
いっときは劇場通いに
明け暮れていたが、
最近はもっぱらBS録画が多く、
年間100本近く観ている。

マンガ→小説→映画
 ↑      ↓
  ←←←←←

…というのは、
あんがい理に適った
サイクルなのかもしれない。

マンガは、
活字+ヴィジュアル媒体で、
映画は、
ヴィジュアル+オーディアル媒体だが、
小説がいちばんシンプルゆえに
想像力を掻き立ててくれる。

思うに、
リビドー/サイコ・エネルギーの関与は、
小説>マンガ>映画
の順であろうか。

映画は、丸ごと受身で、
ただ観てりゃあいい(笑)。

小説は、
読むというアクティヴな
インヴォルヴメント(関与)が要る。





丸々二日間、
家から一歩も出ず、
寝室に籠もりっ切りで、
598頁もある
中島らもの超大作
『ガダラの豚』を読破した。

文庫版では
3冊の分冊になっているが、
新書版だと750gもあって
手に持ちながら読むのには
かなりの負荷だったので、
書見台とクリップを用いて
フリーハンドで臨んだ。

らも氏の作品は、
エッセイ等も含めほぼ読んできたが
この『ガダラ』は
氏の最高傑作と言ってよかろう。

アフリカの呪術をめぐる噺で、
理不尽な「呪い」と対峙する
日本の文化人類学者一家の
サスペンス物である。

緻密な活劇描写が
映画のように生き生きとしており、
まるで読む『インディー・ジョーンズ』
のようでさえあった。

〔日本推理作家協会賞受賞作〕
となったのも
むべなるかなである。

らも氏は晩年、
新作の『こどもの一生』が
ホラー大作だと自ら喧伝していたので、
乗せられて読んでみたら
さほどでもなく
(アル中の大言壮語?・・・笑)、
『ガダラ』の方が
ホラー作品としても一級品である。

なんせ、二日間、
家に縛り付けられるほど
夢中にさせられたのだから・・・。

これが、
未だに映画化されてこなかったのが
不思議なくらいだが
(マンガ化はある)、
映画以上に映像的描写だから
映画人も二の足を踏んできたのだろうか。

「ガダ豚」ファンの間でも
映画化の要望は多いようで、
勝手にキャスティングを
組んでるサイトもあった(笑)。

自分なら、
このシーンにどんな音楽を使うか、
という劇伴が浮かんだが・・・。

久石 譲なら
どんな音楽を創作するだろうか、
なぞと考えてみるのも興味深い。






今週は、
定演ウィークで
橘高「ブラ4」
福高「ラフ2」
ジュニオケ「ドヴォ8」
と3つのシンフォニーを
音楽堂で聴くつもりなので、
せっせと復習をしている。

ブラ4は
いろんな盤があるが、
教員時代に高槻の新星堂で買った
バルビローリの全集のが
いちばんのお気に入りである。

当時、出だしを耳にして、
「ウワーッ!!
トロッケン・ベーレン・アウスレーゼだぁーッ!!」
と、思わず叫んでしまった。

それは、
ドイツの極甘でトロリとした
極上の「貴腐ワイン」である。

久しぶりに聴いてみて、
当時の感動が蘇ってきた。

ライナーノーツを読んで、
堂々とした力強いフレーズを
「騎士の動機」といったり、
最終楽章が「シャコンヌ」形式だったのを
久しぶりに思い出した。

20代の頃には、
ドーバー社の大型スコアを入手して、
いろんな盤を何十回聴いたかわからないので、
曲の隅々まで頭に入ってはいる。

残響豊かな音楽堂で
十代の高校生たちが
どうそれに若い命を吹き込み
演奏してくれるのかが
楽しみである。

「ドヴォ八(はち)」は、
いつも「つぼ八」を連想するが(笑)、
初版がロンドンの出版社だったことから
かつては『イギリス』という愛称があった。

初めて聴いたのは
セル盤だったが、
その第三楽章のリリカルさには
総毛立つほどに感動したのを覚えている。

後に、京都の十字屋で買った
『全集盤』でノイマンを聴いてみた。

チェコの指揮者が
チェコ・フィルを振って
自国の作曲家をやるのだから、
正調節なのかもしれないが、
なんだかカッチリして
遊びと開放感がないように感じた。

隣国ハンガリー出身のセルの方が、
クリーヴランドという米オケながら、
瑞々しく、伸びのびしていて、
歌が自然体なのである。

たしか、
『名曲名盤500』では
1位になったように思うが・・・。

(ポーランドのピアニストが
必ずしも名ショパン弾きでもない
ということもあるなぁ・・・)
と思わないでもなかった。

カラヤン/小澤の師弟コンビは
やはり、どことなく表現が似ており、
ボヘミアチックな色が
日独人の憧れ的に表現されている
感じであった。

「ラフ2」は、
アシュケナージ盤だけを
集中して聴いてアナリーゼもしてるが、
まだ、メロディーラインが
暗譜できていないので、
生演奏される金曜日までには
口ずさめるくらいには
聴き込んでおきたい。






34人もの犠牲者を出した
大放火殺人事件となった
「京アニ」事件の犯人が
精神異常歴があったというので、
久しぶりに院時代の師匠である
市橋先生の名著『心の地図』の
Schizo(統合失調症)の章を
再読してみた。

一般書だけあって、
具体的、平易に病像が記載されており、
現在、複数のケースを持っているので、
いい復習教材になってくれた。

きのうは、
夏休み前にリファー(依頼/紹介)
したケースへの
サイコセラピー研究会で
ご一緒したドクターから
ご丁寧な〔診療報告書〕が届いた。

診断の結果、
「Schizo」とのことだったので、
二学期から、また、
その対応をせねばならない。

夏休み前に、
<急性期>と思われる、
幻聴や混乱、興奮、自傷が激しく、
家の中が不穏になるほどだったので、
願わくば、
この夏休み中に
薬と休息が奏功して
<休息期>から<回復期>へと
症状が落ち着いてくれればと
ご神前でもご祈念させて頂いている。

カウンセリング中にも、
錯乱、興奮状態になったので、
その凄まじいエネルギーに
危うくこちらも呑み込まれそうになったので、
二学期以降は侵襲性の少ない
表層的アプローチでの
アート・セラピーに変えようかと
治療計画を練っている。

別ケースでは、
近々に近親者の対象喪失の危機があり、
その時のリスク・マネジメントも
担任はじめ指導委員会として
対策案を練っている。

今は、嵐のような急性期が過ぎて、
感情の起伏が乏しい休息期に在るが、
対象喪失の刺激が誘因となって
急性期に逆戻りする
「かもしれない」
という想定でいるが、
その時はまた入院対応で
医療側に任せるより仕方がない。

***

「Schizo」は、歴史的には
「クレペリン検査」で有名な
クレペリンによって「早発性痴呆」と
最初に唱えられ、後に、
ユングの師匠であるブロイラーによって
現在の「統合失調症」の概念が唱えられたので、
臨床心理学との縁も浅からぬものがある。

初期には、
やがて人格荒廃に至り、
いわゆる「廃人化」するものと
恐れられていたが、
昨今では、薬物療法と
心理社会的療法(リハビリ・プログラム)の発展で
多くの人が自立した社会生活を
送れるようになってきたのは幸いである。

統計的には、
発症後20〜30年の経過は、
回復/社会的治癒群が20〜30%、
軽症/中等症群がそれぞれ25〜30%、
重症群が15〜25%
だという。

軽症群は、
症状はあるが、
日常生活には支障をきたさないものである。

なので、
回復/社会的治癒群と合わせると、
約半数が社会的生活を
問題なく営むことができている
と考えられている。

この程度の基礎知識は、
昨今はスマホで誰でも分かるのだが、
やはり、専門家の口から
保護者に対して
「安心感・安全感・大丈夫感」と共に
丁寧に心理教育するのが
大事な治療姿勢なのである。

師の市橋先生の言葉を借りれば、
「我々は、地図とコンパスを持ってますから、
富士山の樹海でも遭難することはありません」
と、よきガイドでもあらねばならない。






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新聞ネタ

2019-07-20 04:28:00 | マンガ
小中高とも
今日から夏休みとなって、
学校人として
堂々と「夏休み」を
享受できるようになった(笑)。

なーに。
べつに、平日、ウロウロしてたって、
〔定年/隠居〕世代なんだから、
恥ずる必要もないのだが・・・。

なんとなく、
働かずに昼間っから
ツタヤなぞを屯(たむろ)してると、
美人店員さんに胡乱な輩(やから)かと
思われはしないかと
人並みに世間体が気になるものである(笑)。

けっこう
“ちっちぇえ”なぁ・・・オレ(笑)。

3(^ε^)3ゞ ヘヘ… 






愛読書『王様の仕立て屋』の
新刊がアマゾンから届いて、
楽しく読んだ。

一読してから、
心に残ったシーンを振り返り、
ノートに取る代わりに接写して
ブログ・ネタにでもすべぇか・・・と、
思った。

「今日も今日とて
 余生をエンジョイ中」
というフレーズは、
半隠遁者の自分にピッタリで
気に入った。

天才職人・織部の
「芸術の本質は、鑑賞者が楽しめるかどうかだ」
には、
そーだよなー…と、
甚(いた)く同意である。

「ダダ滑りしても
 表現を完遂する度胸は
 この世に爪跡を残す」
っていうのも、
ことブログに関しては、
そーだよなー…
である。

授業中に、
さんざん駄洒落や
妄言、暴言、虚言を吐いて
生徒たちを笑らかしてきたからこそ、
変わった子ぉや
ヤンキーっぽい子たちからも、
オモロイ先生、あいつイイ奴やで、
と言われたのかもしれない。

笑らかす、
ということは、
相手を心地よくさせる、
サーヴィス精神でもあり、
相手の存在を対等と
認めてるということである。

**

天才・織部も
スティーヴ・ジョブズと同じく、
お洒落の道も、
「自分」とは何か、
どう在りたいのか、
に辿り着くと言う。

これまた
至言である。

服飾の薀蓄を織り交ぜて、
人の道をさりげなく説く
この作品のスタイルが
とても気に入っている。






直接の教え子ではないが、
金光第一高校時代の二期生だった
宮迫のことを、
時折、講演会などで話題にすると、
生徒や教員、父兄らからも
「オーッ!!」
と驚きの声があがるので、
プチ自慢ネタにしていたが、
今回の事件は感心しなかった。

今朝の朝刊では、
吉本をクビになったようだが、
これからどうするつもりなのか、
卒業生だけあって、
いささか気になる処ではある。

せっかく、
胃癌を克服して
活躍してたのに、
とんだ陥穽にハマッたものである。

金光関係者もさぞかし
落胆していることだろう。

彼の背中を追って
吉本に入社した子たちを
担任したこともあるので、
先陣としての矜持を
抱き続けてもらいたかった。

卒業生の田畑智子が
ヌード写真集やら
不倫リスカ報道された時も、
なんだか気になった。

***

ブログ・コンテンツに
「時事ネタ」「新聞ネタ」
というのがあるが、
今朝もいくつか
引っかかるものがあった。

三国シェフが
オリンピック関連の
飲食顧問になったみたいだが、
料理界のスーパースターなので
さもありなん…ではあるが、
見るたびに彼と「菊の井」の
村田はんは、ブクブクと肥えていて
いささかみっともなく感じている。

料理界で
露出度№1のご両人だが、
事業拡大で王国の長になって、
地位・名誉・財を得て
勝ち組然としてブクブク太るのは
自堕落ではないのだろうか・・・。

事実、
懇意にしてる
シェフや料理長、親方たちは
精悍な体型を保ちながら、
あのような「露出&肥満」を
軽侮している。

在京中には、
宝塚での三国フェアで
30代の頃の、まだ精悍な氏の
キレッキレのフレンチを
カミさんと食して
脳天をガーンッ!!
と打たれたことがあるが、
テーブル挨拶に回ってきた時に
その衝撃を伝え、
言葉を交わしたことがある。

当時、フレンチ界のヒール(悪役)として、
「大言/生意気」をウリにして
センセーショナルに登場したので
マスコミの寵児となった。

村田さんとも
木屋町に『露庵 菊の井』という
支店を出した時に二度訪れて
言葉を交わしたことがある。

彼は、
1951年生まれの68歳、
三國氏は、
1954年生まれの64歳。

なので、
どちらも自分と同じ
1950年代の人間である。

***

昨日、今日と、
ニュースで河野外相が
韓国の駐日大使を呼びつけて、
「極めて無礼だ!」
と怒号するシーンが放映されて、
すこし溜飲が下がる思いがした。

朝鮮民族は
「恨(ハン)」の思想が根底にあるので、
世紀を跨(また)いでも、
慰安婦や徴用工の屈辱は
「恨み」として世代を超えて
刷り込まれているのだろう。

教員時代の「同和教育」では、
学活の時間に、
「強制連行」や「創氏改名」という
朝鮮人にとって屈辱的なことを
「大日本帝国」が行った
という授業をしたことがある。

かつて、
日本に併合、属国にされたという
「黒歴史」を、かの国が
汚点・屈辱と思い、
竹島を占領統治して、
ゴネたくなるのも了解はできる。

「いじめ」の論理で言えば、
いじめた方は忘れても、
いじめられた方は忘れない、
というものである。

中国も日本には
さんざん痛めつけられたから、
経済発展で自信をつけて
好戦的な「漢民族」の血が
騒ぎ出したのかもしれない。

経済が好調で
国民が生活水準に
満足できてるうちはいいが、
これがコケだしたら
東欧に起きた独裁者の処刑のような
民衆の暴動を共産党幹部は
最も恐れているという。

なので、
国民を監視し、
情報操作をし、
弱腰外交を見せられず、
武力誇示をし続けていなければ
いられないのだろう。

中国も韓国も
隣国ながら、
なかなか歴史的な絡みがあり
スンナリ外交がいかず
当分ゴテクサするのだろう。

韓国の歴代大統領は
みんな不正事件で逮捕されてるので、
どんな国なのよ・・・と、
思わないでもないが、
『冬ソナ』や『歴史ドラマ』では
ずいぶん楽しませてもらったので、
できたら仲良くしたいものではある。






かつて、
「グローベル」という
19世紀ギターのレプリカを所有していて、
発表会でも演奏したことがある。

ソルやジュリアーニなどの
古典派の曲を
ガット弦と爪を用いない指頭奏法で弾くと
モダンギターとは全く違う表現になる。

プロのリューティエ(製作家)で
白馬に在住する
山下暁彦さんのものだったが、
他にも山下さんの
リュートやヴィウエラも
所有していたので、
よく展示会や電話で
お話しをさせて頂いた。

フランス人のグローベルが作った本物は、
パリの音楽博物館にあって、
ナント! 
パガニーニとベルリオーズの
二大巨匠のサインが
対になって楽器に書かれている。

パガニーニはギターも弾いたが、
ヴァイオリンのようには
全然うまくなかったようだ(笑)。

彼のギター曲全集を
先日の“CD爆買い”で
3枚ほど入手して聴いてみたが、
難曲と思えるようなものは
ひとつもなかった。

でも、パガニーニのオリジナル・ギター曲の
『ソナチネ』をグローベルで演奏した時は、
「古き良き時代」の香りがして、
なんとも佳かった。

グローベルの瓢箪形のヘツドは、
ギターを逆さまに見たものである(笑)。

19世紀のフランスでは
このヘッドが流行ったようである。

ヘッドは、
3枚の板の重ね合わせで
出来ている。

指板と表面板の接点で、
指板のほうまで延びた表面板は
古楽器の特徴のひとつだが、
ここを「フラッシュボード」といい、
自分も何度も製作に携わった。

表面板側のフレットは黒檀だが、
指板側は真鍮の板を
黒檀ではさんだものである。

ブリッジの両端が
上向きになっているのも
19世紀ギターの特徴で、
スマイルしてるように見えるんで、
通称「ニコニコ・ブリッジ」と呼んでいる。


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背中美

2019-07-19 04:53:00 | アート
きのうは
朝からソータの
王将戦を夕方まで観戦した。

これまでにない
難解な将棋で、
解説者をもってして、
未知の領域でさっぱりワカラナイ・・・と、
何度も嘆息させていた。

それほどに高度な
超一流プロどうしの
濃密な闘いだった。

相手は、将棋連盟会長で
タイトル通算13期(歴代7位)で
永世棋聖のA級棋士、
佐藤 康光九段である。

通称・ヤスミっつぁんは、
京都の八幡市出身で、
「羽生世代」の49歳である。

ソータは、非公式戦で
デヴュー当時、中学生の
詰襟制服姿でテレビ対局して
勝っているが、
昨日は公式戦の初手合いだった。





きょう7月19日が
17才の誕生日なので、
16才最後の対局だったが、
先日の久保九段戦のような
「激闘」を制した。

久保さんも
タイトル7期のA級棋士である。

それらの強豪を相手に
力技でねじ伏せたソータが
如何に強い16才であるか。

今季も
15勝2敗/勝率8割7分で
棋界トップであり、
デヴュー以来、
100勝を早々と達生し、
8割5分という勝率は
驚異的な数字である。

スカパーでは、
きょうの「誕生日特集」を
やるようだが、
残念ながら未契約なので
視ることが出来ない。

もしかしたら、
ユーチューブにアップされるかもなので、
それを期待したい。

ヴァレンタインの時は、
将棋会館にダンボール数箱分の
チョコがソータ宛に届いたというから、
今日も会館には山ほどのプレゼントが
届くのかもしれない。


メデトー、ソーチャン (/^^)/☆*:.。(^^)。.:*☆\(^^\) タンオメ







棋戦で30分もの
長考タイムには、
PCサイドの作業用本棚の片付けを
上段からやっていた。

本が溢れてきたが、
横置きがキライなので、
なんとか見えないように
奥に詰め込んだり、
再読しないような文庫小説類は
ガッコ図書館に寄贈するか
カウンセリング室に搬入しようと
バッグ詰めした。

昨晩からニュースで騒然としているが、
伏見にあるアニメ会社に
ガソリン男が放火して
33人もの犠牲者が出たという。

動機は、
「パクリやがって・・・」
と口走っていたというから、
業界の人間なのか、
狂信的なオタクなのか・・・
マスコミ報道が待たれる。

ガソリン2缶で
ビルを爆発させるほどの
個人テロが出来る・・・と、
マッド犯罪者予備軍に
知らしめたような
バッドケースである。

自傷他害願望の
メンヘラ系予備軍も少なくないので、
それこそパクリ犯が続発しないか
懸念される。





先日、梁川駅前の
裸婦像を撮影してみた。

ロケーションが
駅舎の真ん前なので、
ホームから出てくる乗客たちを
スッポンポンの女性が
諸手を拡げて迎え出ているのは、
ナンダカなぁ・・・と、
思わないでもなかった(笑)。

前後左右のアングルで、
下から仰ぐ背面像だけは、
大空に向かっているので
美術的なテーマ性が感じられた。

裸婦画には
伝統的に女性の
「背面美」というモチーフが
少なくなくって、
ことに著名なのはルーブルにある
アングルの《ヴァルパンソンの浴女》である。

女性のこの「8の字」のフォルムは
ヴァイオリンやギターの
造型のモチーフともなったので、
弦楽器奏者として
惹かれるのかもしれない。








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ちょい、青空が・・・

2019-07-18 05:34:00 | 季節
きのうは
梅雨の晴れ間で、
ほんの数時間だけ
厚い雲が切れて、
久しぶりの青空を仰ぐことができた。

思わず、
すぐさまリュックを背負って、
散歩&買出しに出かけた。

カミさんは、
まだ夏休みに入ってないので
通常勤務だが、
自分はすでに1週間早い
ロンバケ・モードになっている。






やはり七月中旬だけあって、
ちょいと晴れると
気温はグンと上がったが、
それでも27℃どまりで
真夏日までは至らなかった。

上空にオホーツク高気圧の
寒気団が来ているせいらしい。

それでも、
熱中症予防にエアコンと扇風機は
こまめに使用している。

わずかな日差しでも、
連日の多湿でジメッとしていた床が
いくらかカラリとしてくれた。

雨季もめぐる季節として
わるいものじゃないが、
あまりに曇天と小雨が続くと
さすがに陰々滅々たる気分にもなる。

「うつ持ち」には、
日照時間が少ないと
リスク・ファクターにもなる。

なので、
昨日は久しぶりに
日光浴ができた気がした。

「お日様」「お天道様」とは
よく言ったものである。






シーズン4に入り、
既刊が60巻を超えた
『王様の仕立て屋』の新刊が
あさって発売になるので、
アマゾンに注文した。

そしたら、
3月の新刊を
買い漏らしてたのに気づかず、
こっちは中古の10円で購入できて
ラッキーだった。

漫画界随一の
「服飾物」で、
その薀蓄は本格志向で
至極真っ当なので、
自分の着道落の教科書としている。

ギャグ漫画としても
面白く楽しめるのがいい。






音楽堂の七月のイベント案内で
母校の定演があるのを知り、
出かけてみようと思った。

プログラムにある
「ラフマニノフの交響曲2番」は
テキストにしていた『名盤100』にも
載っていなかったので、
未聴のものだった。

なので、予習として、
ウィキって曲の背景を知り、
ユーチューブで「アシュケナージ」の
全曲演奏をデジタル・レコーダーに
ダヴィングしてからCD化した。

聴く前に、
楽曲解説を読んだが、
さすがに音楽を文章で表現するのは
至難の業で、
「動機」「楽器」「表情」「比喩」と
それぞれ色分けして、
ようやく全体の構造がボンヤリと
見えるようだった。

ユーチューブには、
ご丁寧に全曲スコアまで
音楽付きでアップされていたので、
次は楽譜を追いながら
視覚的+聴覚的な理解に努めた。

その後は、
1週間で100回は聴いてやろうと
CDを朝から晩まで
かけっ放しにして
脳内刷り込みをしている。

そして、
またスコアに戻ると、
初回よりもさらに
明確に曲のディテールが解かり
音楽の勉強の楽しさが感じられる。

ふと気がついたら、
ユーチューブのおかげで、
一銭もかかってない
タダ学習である(笑)。

学生時代、
ギター部の新入生には、
FMをエアチェックして、
ギター曲をラジカセで録音して、
とりあえず100回は聴いてみろ、
と指導していた。

この「100回論」は
指揮者の故・山本直純のテキストで
「100曲を1回聴くよりも、
 1曲を100回聴いたほうがいい」
という持論を踏襲している。

70年代当時、
ボンビー学生でも
ラジカセくらいは持ってたし、
カセットテープは大学生協で売っていた。

ただ、当時は
TDKやマクセルの
60分テープを買うにも
今のように100均感覚ではなく、
数百円もかかったので、
100回聴いたら別な曲を
上書きしたりしていた。

この勉強法で、
ずいぶんテープが
ぶん伸びたものだ(笑)。

切れたテープを
再生面の裏側から
セロテープで補修する
という技術も覚えたし、
ネジを外してバラすことも
しょっちゅうだった。

今月は定演当たり月で、
橘高が24日、
ジュニオケが28日にある。

3つ行って300+300+500円は
ボンビー・オケ・ラバー、
音楽堂ラバーには
ありがたい。

「復興支援リサイタル」みたいに
無料だと尚いいのだが・・・(笑)。

アンケートには、
「これから有料にしてもいいので、
 またやって下さい」
というご感想もあった(笑)。

アンケートには、
「これから有料にしてもいいので、
 もっと続けてやって下さい」
というご感想もあった(笑)。

そんでも、
あたしゃ、もう身が持たないよ・・・
である。

シロートさんには、
舞台に出て、趣味と道落のギターを
チョロッと弾くくらい・・・
という感覚かもしれないが、
2時間20曲を弾くのに
どんだけの練習とエネルギーを
要するか・・・。

大げさでなく、
文字通り、命を削って、
寿命が縮む思いで
大舞台に立っているのである。









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寒いのぅ・・・薄暗いのぉ・・・

2019-07-17 06:19:00 | 製本
梅雨前線や寒気団の影響で、
東京は記録的な
日照不足になってるという。

行った事はないが、
ロンドンやヨーロッパの
曇天続きの日というのは
こんな感じなのかもしれない。

なので、連中は
ちょいと陽がさすと、
すぐに公園でも河畔でも
肌脱ぎになって
日光浴するんだろうか。

それにしても、
ほんに、毎日、
寒いのぅ…薄暗いのぉ…
といった感じではある。

でも、熱中症体質のジジイにとっては
猛暑よりかはずっといい。

涼しくて
夜に熟眠できるもんねぇ。






きのうは珍しく、
なんだか朝からエンジンがかかって、
上半期のブログ270頁分を
2冊に分冊して製本した。

2017年までは、
どうにか一年分が
300頁に収まって
ぶ厚い一冊ですんでいたが、
去年あたりから450頁を越して
分冊化せざるを得なくなった。

製本化にあたっては、
改行なしのベタ組で
フォントを一回り小さい
9ポイントにして、
画像も親指の爪ほどの大きさである。

それでも、
この分でいくと今年は
550頁近くになりそうである。

「日々、深生き」をモットーに、
閑職になるや、丁寧に雑感を
綴るようになったので、
『徒然草』や『方丈記』のように
なってきた感がある。

令和の隠遁者の
日記文学でもあり、
晩年を意識しだしたので
「散文的遺書」のつもりなのかもしれない。

自分だけのための製本なので、
ワンコイン頒布品よりは
大分と手抜きでやる。

『コスモス』で
カール・セーガンが
「本とは、印刷物を束ねて綴じた物」
と端的に言うのを聞いて、
なるほど、そうだなぁ・・・と、
感心したことがある。

それでも、
教員時代には
自費本や論文を冊子化するのに、
ゴルフ仲間の印刷屋さんでは
30万もかかったり、
同じようなものを
3万でやる処があったりで、
価格はあってなきもののような気がした。

なので、
「束ねて綴じる」というのを
極めれば製本化はできると踏んで、
試行錯誤しながら
千冊以上を手がけてきた。

数台のプリンターはじめ、
業務用ステイプラー、
裁断機などを揃え、
私家本製作ハード類に
10万ほどかかったが、
200冊ほど売れた時点で
どうにか元が取れた。

時折、知人の造本委託も
請け負ったりして
零細内職にはなっている。

なにより、
一回しかない人生で、
執筆業やら、編集業、
製版印刷業、製本業、
販売業・・・と、
“ごっこ”として
本業以外の仕事が味わえるのが楽しい。

これも立派に
自ら「手に職」つけたつもりでいる。

古楽器製作の
200近い工程に比べ、
製本はわずか数十工程なので、
物造りとしては
プラモ製作レベルではある。






製本を済ませると、
次は寝室と書斎の
エアコン清掃にとりかかった。

(なんか、今日は、
 オレやる気あるなぁ・・・)
と、怪訝に感じないでもなかった。

前日、
マッサージ椅子で
1時間も念入りに凝りをほぐしたので、
「気」のめぐりがよくなって
「気力」が充実していたのかもしれない(笑)。

こういうときは、
ふだん怠けて後回しにしてた事を
片付けるに限るとばかり・・・
続いて、モーツァルトとラモーの
ポケット・スコアを
トレース&プリントして
ピアノ用楽譜をこしらえた。

音楽堂からメール返信がきて、
『スタインウェイを弾こう』の大人参加は、
9/10、12/10に企画してるとのことで、
ヤッター!! と小踊りした。

ヾ(・̆○・̆)ノ

どちらにも参加しようと思うので、
『ロンリー・コンサート』のプログラムに
モーツァルトとラモーも練習しようと
昨日から読譜をはじめた。

音楽堂にはチェンバロもあるので、
いつか、ラモーやバッハを
何曲か暗譜できたら
「平日/大ホール/午前ステージのみ」\11,300
「チェンバロ」\6,000
で、ゆったりと古楽の響きを楽しみたい。

そん時は、
ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロも
持ち込んでビデオ撮りしよっと。

いっそ内緒で、
内輪にだけ公開しようかしらん(笑)。






昨日は、
梁川に行ったついでに
阿武急の「伊達政宗号」を
撮ってきた。

ブルーの車体に
アニキャラがコテコテと
描かれていて、いかにも
「撮り鉄」アイテムである。

駅前の支所前には
飯坂学習センターと同じ作家の
三体一組の裸婦像があって
オーッと思ったが、
近寄って見たら、
ナントッ!
そこここに
手形がついてるではないか・・・(笑)。

イタズラ心か、変態心か、判らぬが、
高い台座の上によじ登っての
蛮行だろうから、
事によると深夜の犯行かもしれない。

等身大に近い
見事な造型だから、
気持ちは解からないでもないが、
視覚障害者は触って彫刻を楽しむので、
健常者もつい撫で回したく思ったのだろうが、
手痕が残っては、芸術作品に卑猥感が漂って
毀損したようなものである。

役所の誰かが
気づきそうなものだが、
誰も見慣れて関心がないのだろうか・・・。

せめて、
良識のある女性職員が、
汚れを落としてもよさそうなのだが・・・。

このままだと、
「汚れ」ではなく
「穢れ」たまんまで、
作品が気の毒である。

***

今朝の朝刊の
新刊案内に
『老いる自分をゆるしてあげる』
というマンガ・エッセイの広告があり、
最近の自分の考えに近いものがあって
共感を覚えた。

ϵ(◎θ◎)ノ☆ フォッ・フォッ・フォッ




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