『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

働く中学生

2019-07-16 06:08:00 | 風景
『ウィンブルドン決勝』を
寝オチに備えて録画もしていたが、
リアルタイムでライヴ観戦できたので、
消去する前にハイライト・シーンを
ざっと眺めてみた。

所々にスロー・モーションが
挟まれていたので、
フェデラーのフォームを
じっくりと観察学習できた。

まるで、
『テニス・マガジン』の特集みたいだが、
テニス部顧問時代なら
ここを生徒に教えたいという
生きた教科書のような
素材感満載であった(笑)。





1 肩越しにボールを見る。
 こうすることで、クローズト・スタンスがキープできる。
 テイクバックは左手で引く。
 左膝が十分に沈んでいる。
 右膝はライジング処理で即応しているので
 インパクトの瞬間に曲げ伸ばしてボールに威力をつける。

2 フォロー・スルーは一直線に、ヤジロベエのようにシンメトリックに。
 左指先がピンと伸びる。
 体の回転と、膝の屈伸と、背筋・大胸筋の拮抗力でボールに威力をつける。

3 返球後は、すぐに左手でラケットをグリップする。
 (両手の負荷を均等にして、長時間の試合に備えている)
 伸びきったフォロー・スルーの直後に、すぐに膝を沈めて返球に備える。
 (185cmの大男が、直角近くまで膝を折る!)

5 時速200キロの1stサーブのリターン直前には、軽くジャンプする。
 (シロートはみんな、ベタ足!)

6 インパクトの瞬間までボールを凝視する。
 (ボールにプリントされた文字を見る!)
 左人さし指には、ボールを指差しした後でピンと立っている。
 この時の、ウィニング・ショットは、最速の144キロだった。
 (ハーフ・スピンのフラット気味にラケット・ヘッドを超速で振り抜いた)

いや~、
スロー・モーションのリプレイには、
見所満載である。

部活の顧問たるには、
ただ上手い経験者だけではダメで、
こういう「見る眼」「解説力」がないと、
コーチを兼任する資格がない。

毎年、
新入生にこうした基礎を
しっかり叩き込んでいくと、
3年後には立派な上級者になり、
同時に一生もんである
美しく正しいフォームが身に付くのである。

サーヴィス練習の時に、
そばに付きっ切りで、
膝を落とさないとラケットの角で
コツンと何度も叩かれて
痛い思いをした世代もいる。

予選を5回勝って
本選に出場した子たちが何人もいたが、
いずれも、フェデラー並みに
キレイなフォームに完成していた。

***

余談だが、
さるミニコンサートで
剣道七段という方から
「先生の【構え】は、範士の域ですね」
と賞されて
「ハッ?」
と、ワケをお尋ねすると、
剣道界では、
六段「錬士」七段「教士」八段「範士」
という称号があるのだそうだ。

なので、
「教士」の方から、
剣道に例えれば自分より格が上で、
“構えに隙がない”と
演奏以外の処でお褒め頂いた(笑)。

テニスもギターも、
茶道も書道も・・・、
凡そ芸事においては
「型」というものが大事であって、
それのないものを「型なし」と言う。

「型」を体得した後に、
そこから独自のオリジナリティを創出するのが
「型破り」と言って、これが「天才」なのである。

稀代の超天才・藤井総太は、
プロデヴューした中2の時に、
すでに一万題以上もの「詰め将棋」を解いて、
自らも創ることを趣味としていた。

ご飯を食べる、日本語を話す、
というのと同じレベルで、
将棋の「型」が
“身に付いていた”からこそ、
あらゆる「型破り」な奇手が繰り出せ、
どんな相手にも対応できる
オールマイティの横綱将棋を体得した。

これは、
もの凄い練磨の果てに達する
ひとつの究極の
「型無し」の姿なのかもしれない。






おとつい、
素敵なリューティエ(楽器製作家)ご夫婦に
お目にかかり、
なんだかムクムクと製作意欲が
沸いてきたので、
この気持ちを大事にしようと
さっそく資料集めをして
製作計画を練っている。

撥弦楽器系ばかり
創ってきたので、
今度は擦弦楽器系にも
手を拡げようかとも思っている。

半隠居版『耳をすませば』である。

そーいや、あの映画でも、
爺様たちのリュートやガンバの
古楽器演奏シーンがあって
よかったなぁ・・・。

ヴァイオリン関係の
素材販売サイトを眺めていたら、
リューティエ心をくすぐるような
逸品のメープル・トラ杢(もく)や
彫刻のヘッドがあり、
素体だと数千円で入手できるので
食指が動いた。

かつては、
ヘッド職人という方がおられ、
このパーツだけを
専門に作っていた時代もあったようだ。

サイトを俯瞰して驚いたのは、
六弦ヴァイオリンや
フレット・ヴァイオリンなぞという
珍品も市販されており、
楽器の〈自由度〉が知らぬ間に
ずいぶんと拡がったようである。

なら、自分も
もっと発想を拡げて、
オリジナルの新しい古楽器(笑)を
創ってみたいなぁ・・・。






夏休み直前のこの時季、
市内のあちこちで
中学生たちのインターンシップ姿が見られ、
何処(いずこ)でも微笑ましく感じている。

教育の一環であることは無論だが、
現職の店員さんたちにとっても、
貴重な労働力でもあり、
また、「働くこと」の意味を再認識する
原点回帰の契機ともなり
刺激になることだろう。

もっとも、
時折、中学生より
使いもんにならん店員を見ることも
少なくないが・・・(笑)。

真面目、勤勉、優秀な
中学生に劣る正規社員って、
どーなのよ・・・
である(笑)。

┐(´Д`|||)┌


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死闘5時間!!

2019-07-15 09:21:00 | 楽器製作

ウィンブルドンの
男子シングルス決勝を
ライヴで観た。

夜10時に始まって、
決着がついたのが
深夜の3時27分・・・
4時間57分もの熱戦、
「死闘」であった。

観てる方も途中、
居眠りこそしたが、
やめるにやめれず、
シンドイなぁ・・・と、
ぼやきながらも
世界トップどうしの
最高の「心技体」のぶつかり合いを
見守った。

睡魔で意識が遠のきそうになると、
手元の孫の手で
腿をピシャリと叩いて活を入れ、
ハッと目を覚まして
また見入るという繰り返しだった。

まさか、
フルセットのしかも12対12で
今年から新ルールになった
タイブレイクまでいくとは
予想だにしていなかった。

対戦後の両者インタヴューも
解説者も同意見だったが、
もうどちらが勝ち、負け、
という次元を超えて、
互いに立派に闘ったというのが
いちばんの好評であろう。

面白いものを観た、
というよりも、
すごいもんを観た、
といった感じである。

400ポイントを巡る
5時間もの闘いで
最後はほんの微差で
勝敗が決した。





37歳のフェデラーを
応援していたが、
32歳のジョコに運が傾いた。

どちらも
マッチポイントを握って、
それをものにした方が勝利した。

両者とも
子どもたちが応援にきてて、
「これから父親に戻ります・・・」
と同じコメントを言ったのは
微笑ましかった。

フェデラーは
「どうにか立っていられるけど、
リカバリーには時間がかかるかもしれない」
と、死闘の物凄さを
サラリと笑顔で言ってのけた。

その死闘の観戦に付き合った
こっちも今日一日、
リカバリーに時間がかかりそうだ(笑)。

フェデラーの基本に忠実なプレーが
随所に見られ、元テニス選手/監督として、
部活の生徒たちに教えてきたことは
間違っていなかったなぁ・・・と、
改めて思うに至った。

「アプローチ&ボレー」では
必ずネット前で一旦ストップして
正面で両足ステップをして構える
という基本をフェデラーは遵守していた。

もっとも、
走りこんでの
ランニング・ドライヴボレーは
プロの技だったが・・・。

上達を極めた生徒たちには、
最高難度の「ライジング・ショット」を
教えたことがある。

それはバウンドしたボールの
落下を待つことなく
上がりばな(ライジング)を返すという
高級技で、相手にとっては
すぐに返ってくるから
素早い対応が迫られる。

昨日のフェデラーの
バックハンドのほとんどが
ベースライン内で
ライジング処理されていて、
しかもフラット、スライス、
トップスピンと球種を使いわけていたから、
世界一のテクニシャンである。

解説者からも
「高い技術力」
という言葉が幾度も聞かれた。

相手にマッチポイントを握られても、
臆せずに“踏み込んで”いく勇気も
観るに値する“心技”であった。

相撲部屋にある「扁額」のように、
まさしく「心・技・体」が
ぶつかりあっての
最高の試合であった。





昨晩の8時からは、
ソーちゃんの
『アベマ本選/準決勝』だった。

木村九段との3局で
2-1と辛勝したが、
こちらは一局が10分ほどの
超早指し戦なので、
あっという間に終わってしまった。

来週の日曜が
糸谷八段との決勝である。

これに勝てば、
アベマ二連覇となり、
またキャリア・アップする。

今週の木曜日には
将棋連盟会長でもある
佐藤康光九段との初公式戦がある。

中2のデヴュー時の
アベマでの非公式戦では
すでに勝っている。

ワンコインの有料視聴なので
すでにチケット決済した。

ソータの将棋は、
まさに、お金出しても観る価値のある
プロとして見せる/魅せる将棋である。

毎局、全国何万人もの「観る将」たちが、
「ワンコイン以上の価値があった」
と、誰もが満足のコメントを
投稿するのが常である。






きのうは日中、
街出をして散歩がてら
ブラついてたら、
稲荷神社の隣のビルの2階に
以前からヴァイオリンやチェロが
窓際に飾られてある工房?
に思い切って訪ねてみた。

ベアガット(裸弦)があれば
買って行こうと思い、
恐る恐るビルの奥まった扉を開けたら、
作業中の女性が応対して下さり、
「すみません。
ガットは置いてないんです・・・」
と丁寧に詫びられた。

聞けば、
ご夫婦で東京から移られて
9年目だという。

いかにもジブリの
『耳にすませば』に
出てくる工房然としていて、
自分もリュート/バロックギターを
20本ほど造って売ってたんです・・・と、
自己開示したら、ハナシが盛り上がって、
延々と楽器を巡る立ち話となってしまった。

ソーセージ会社から
羊の腸を買って、
ひと晩塩出ししてから手撚(よ)りして
膠(ニカワ)で固めて
自作ガットを拵えたハナシには、
美人の奥様が目を丸くして
驚きながらも、スゴイ!… と
笑ってウケでくだすった。

あちらはプロだが、
リューティエどうし
通ずるものを感じ
ハートウォーミングな気分になった。

工房内には、
未修理のオールドが
山ほど並んでいて、
いい眺めだなぁ・・・と、
やっぱ老後はリューティエとして
生きようかなぁ・・・と、
しみじみと感じた。

夏休み中に
なんとか物置状態になってる
工房内を整理・片付けして、
あんなふうな楽器と
工具に囲まれる部屋にしたいなぁ・・・。

うん。
そうしよっと!

(人'∀'*)☆*:.。



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ガッカリ・・・

2019-07-14 07:13:00 | 音楽


明け方、
ベッドから転げ落ちて
目が覚めた。

高さ50cmはあるので
打ち処が悪かったら、
危ないとこだった。

膝をしたたか打ったものの
血を見ることもなく、
しばらく呆然としたままでいた。

落ちる直前に見た夢が
よくなかった。

寝る前に見た
『大草原の小さなお家』の
インガルス姉妹が出てきて、
ふたりで地面を掘っているが、
いつしか自分も地面を掘ると
白い小さな玉子がいくつも出てきて、
なんとそれが蛇のおなかにあるもので
動き出したから魂消たのなんの!

ウワーッ!!
と反射的に転げたら
ドッターン!!
と、ベッドから転落した。

ある尼さんは
ベッドから転落して
臨死体験に陥り、
かつて感じたことのないような
“恋愛の極致”のような
至高体験を感じた…と、
立花 隆の『臨死体験』で
読んだことがある。

以前にも
落っこちたからか、
はめ込み式の鉄パイプ柵を
取り付けたことがあるが、
いつの間にやら邪魔臭くて
取り払っていた。

夢分析の専門家でもあるので、
いったいどーいうことか、
これから言語連想検査をしてみて、
深層心理の自己分析を試みてみたい。





七月も半ばになろうとしているのに、
朝方はまだ17℃ほどの肌寒さで
ストーヴを片付けられずにいる。

きのうは
半田山の見える
桑折まで出かけたが、
道路表示が27℃を示し
クーラーが要るようだった。

夜からの
カウンセリングでも
クーラーをつけて、
扇風機で室内風を起こし
サーキュレーションした。

「夏炉冬扇」
という語があるが、
夏でもストーヴ炊いてるなんて
まるで標高の高い
山小屋で生活してるみたいだ。

それにしても、
今年の「雨季」は
ちっと長い気がしないでもないが…。

世界各地で
異常気象が頻発してるので、
もしかしたら、
細川政権の時のような
「冷夏」になるのかしらん…と、
怪訝に思っている。

賢治の『雨ニモ負ケズ』には
「寒さの夏はオロオロ歩き…」
というフレーズがあった。






借りたり買ったりで、
毎日、3冊くらいの漫画を
読んで暮らしている。

MDI(躁鬱病)だった
〔どくとるマンボウ〕こと北 杜夫も、
「うつ期」になると
日がな一日寝転がって
マンガを読んでいたという。

読書そのものは
非生産的行為だが、
そこからインスパイアされて
なにをかアウトプットするとなると
がぜん建設的になる。

芸大を目指す高校生が主人公の
異色の美術漫画『ブルーピリオド』を
既刊の4巻まで面白く読んだ。

「絵」を描くという行為について、
薀蓄的な理論や形而上的な疑問が
正面から取り上げられていて、
なかなかの力作と見た。

競争率100倍とも言われる
芸大油画専攻の入試合格作品は、
これという選考基準が
シロート目には判断できないようだ。

相当な技術的力量があって、
かつ、オリジナリティと
スピリチュアリティが
表現されている物…
ということになるのだろうか?…。

ならば、
「時間芸術」の音楽にも
あるていど当てはまるような
気もするが…。

主人公は
勉強はトップクラスの秀才だが、
生真面目さゆえに
自分の殻を破れず、
自分がほんとうに楽しいと思う
絵が描けずに苦悩する。

魂のこもらない絵が、
試験官や見る者に
インパクトを与えるはずもない。

美大予備校講師からは
「真面目さに価値があるのは、
 義務教育までよ」
と、欠点を端的に指摘され
愕然とする。

「自分勝手力」と
「楽しんじゃう力」には、
我が意を得たり! …と、
小膝を打った。

そ、そ…。
今の俺は、これこれ!

談志家元の名言
「勝手に生きるべし」
である。

出先の桑折から
保原へと通じる
見知らぬ橋を通ったら、
梅雨空にそのバーントアンバーの
アーキテクチャが妙にマッチして
あたかも現代美術を見るかのようだった。

これも
「楽しんじゃう力」
なんだなぁ…と、
その時、感じた。







『スタインウェイの日』に
申し込みしようと
音楽堂HPにアクセスしたら、
なんと! 今年っから? …か、
「小中学生限定」
とあるではないか…。

ウッソ~ッ ! ε=ε=ε=ヾ(*。>◇<)ノ

去年までは、
そんなん、なかったぞーッ!!
である。

「ふくしん夢の…」
という企業「冠」が付いたとたん、
方針変更かいーッ!!

ジジイの夢は
どないしてくれんねんーッ!!

\(#`(エ)´#)/ ガオォォーッ!!!  

落語なら、
「テメェっちの軒先で
 首括ったるぞーッ!!! 」
である。

なので、
すぐさま、
抗議ではなく
「要望」メールを出した。

***

「スタインウェイの日」
♪演奏者募集(小中学生限定)♪
という案内を見たのですが、
大人を対象とした同企画はないのでしょうか?

なければ、是非に、ご検討願いたく存じます。
夢の音楽堂で、名器を鳴らしてみたい、
という大人のピアノ愛好家も多くいるかと思います。

よろしくお願い致します。

***

音楽堂ラバーとして、
事務局の良心に
一縷の望みを託した。

(-人-) ナムナム


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日々、創造・・・

2019-07-13 05:08:00 | アート
55回目の夏休みを
創造的にアーティスティックに
生きたいたなぁ・・・と、
思ってはみたものの、
きのうは初日から
いつものオフ日と変わらぬ
駄々羅な一日を過ごしてしまった。

常々、漫画を読み、
音楽を聴き、小説を読み、
録画番組を見、食べ歩きに出、
専門書を読み、コーヒー・酒を飲む・・・
といった「インプット」に偏りがちなので、
バランスよく「アウトプット」もせねばと
意識化している。

もっとも、1年365日、
早朝からブログを2本も書いて、
週の半分を夕食当番として
買出しと調理に時間をかけているので、
それだけでも立派な「創作」だから、
ことさらに、何かせねばならないと
焦る必要もないもんだ・・・
と気づいた。





先日の
幼稚園講演会やミニコン、
Y中のサマコンなぞのイベントは
公への発表という
「大アウトプット(出力)」であり、
頒布会用の造本なぞも
その部類になろう。

また、隙間時間をみつけては
せっせとペン字の稽古もしている。

Y中に出勤するたびに
自分の連絡ボックスに
何かしらのお菓子が入っていて、
冗談に
(なんだか、餌付けされてる気分だなぁ・・・)
と思ってしまった(笑)。

その茶封筒に書かれた字が
あまりにも美文字だったので、
思わず、愛用の万年筆で
手本として臨書してしまった(笑)。

習字は「集字」ともいい、
自分の気に入った字を集めて、
徹底してそれを臨書するのがいい。

この夏は
「行書の習得」を目指し
お稽古したいと思っていた。

それと、
ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロも
日々、音出しをも兼ねて
何かしら弾かなきゃである。

ピアノもぼちぼちやってるので、
今年こそ、音楽堂の
『スタインウェイを弾こう』に申し込んで、
1時間分のプログラムを暗譜して、
当日、ビデオ撮りしたいと考えている。

その時に、
ついでに、ヴァイオリンとヴィオラも
持ち込んで、ステージで鳴らしてみたい。

ピアノは、久石 讓の
『ユニバース・ウィズイン』
『人生のメリーゴーランド』
『ふたり』
『初恋』
『ソリチュード』
『ナウシカ』
それと、『冬ソナ組曲』

ヴァイオリンは、
『タイスの瞑想曲』
ヴィオラは、
『夢のあとに』

・・・あたりかな。

公開用途は禁則なので
≪ひとりだけのコンサート≫
である。

としたら、
これだけでも
そうとう練習しなっきゃ、である。

読みたい本も
ベッドサイドに
山と積んであるので、
こんだけでも
練習(アウトプット)と読書(インプット)で
いいバランスかもしれない。






オフ日には
「教育と教養!」
とお題目を唱えて、
今日行く(教育)処を決めて、
今日用(教養)を探すのを
クリエイティヴ・リタイアメントの
ボケ封じと心している。

どちらも、
「力を出す」「出力」という意味では、
アウトプットになるんだろう。

きのうも
ミニコミ紙で
恒例の陶器市が始まったのを知り、
のこのこと運動公園まで出かけてきた。

ただ、年々、
出物が少なくなり、
きのうは過去に類を見ないほど
ロクなもんがなかった。

「ぐい呑」蒐集熱も醒めたので、
もうワクワク感はとうに失せたが、
なんぞ普段使いで佳き物をと
物色してみたが、
これはというものが
まったく見つからなかった。

毒々しい色味の
プリント陶器の陳列に
(ガラクタばっかしやなぁ・・・)
と、
いささか暗澹たる気分になった。

なので、
備前焼の肌合いを愛で、
カラフルなトンボ玉や
ブローチの写真を撮っただけで、
何も買わずだった。






帰りがけに
紫陽花ロードを見つけて、
しばし、その美しさに
心慰められた。

鑑賞はインプット(入力)で、
撮影はアウトプット(出力)やんなぁ・・・と、
心んなかで独りごちた。















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さぁ、夏休み!!

2019-07-12 06:22:00 | ギター
きのうは
Y中の1学期最後の
勤務日だった。

なので、
今日から「夏休み」である。

幼稚園入学から
一度も学校社会を
離れたことがないので、
61-6=55回目の夏休みだ。

さぁ、なにすべぇ・・・である。

読書、観劇、勉強・・・と、
インプットもいいが、
何かしらアウトプット(創造)も
しなけりゃである。

もう、自分史はとうに書き上げたし、
40冊以上も冊子を創ったので
書きたいネタもなくなってきた。

さぁ、なにすべぇ・・・である(笑)。

(๑˃̵ᴗ˂̵)و ウーン






きのうは
とても素敵なサマコンだった。

ギター授業を3回やった生徒たちが、
アンサンブルで見事に
『禁じられた遊び』を完成させてくれ、
校長先生はじめ恩師たちに披露し
喝采を浴びていた。

音楽担当の女性教頭先生と、
「なんだか、こっちがドキドキしますねぇ…」
と笑い合ったが、
生徒たちが無事に演奏しきると
ハラハラから解放され
共にホッとして、
よくやった~!・・・と、
教え子たちの名演奏を讃えた。

続いて、
その原曲のソロを披露する前に
「教え子たちとの
『禁じられた遊び』対決になりました」
との冗句に
笑って頂いた。

新任初日から、
吹き抜けの総板張りロビーが
とてもいい音響なので、
いちどギターを弾いてみたいなぁ・・・と、
思っていたが、
こうも早く念願が叶うとは。

出だしの一音目から
まるで音楽堂のように響いて、
すぐさまファイナル・リサイタルの
一曲目のノリで本気モードになった。

楽器/音楽と一体感に至る
瞑目没我の境地に入りながらも、
ヴィブラートを十分に効かせて
最高の演奏ができた。

寸前まで白衣を着て
カウンセラー然としていたのが、
突然、それを脱ぐや
ギターと一体化した
演奏家の表情に豹変したから
生徒も先生方も
驚かれたかもしれない。

でも、
ギターという楽器の
最高のパフォーマンスを引き出すと
どんな「音楽が立ち上がる」のか、
というプロセスを
目の前で体験できたと思う。

音楽の授業の時間が
サマコンに当てられていたので、
これほど音楽的な教育はないだろう。






二曲目は
十八番(おはこ)の
『コーヒー・ルンバ』。

クラシック演奏用の足台を退けて、
フラメンコのパコ・スタイルに足を組み、
ドレスシャツの袖をめくって
裏地のワインレッドの柄を出して
スパニッシュ・スタイルにしてみた。

ff(フォルテシモ)の
Em(イーマイナー)コードの
ラスゲアード(掻き鳴らし)の出だしが
荘厳にホール全体に鳴り響き、
続いて4連ゴルペ(パーカッション)の
渇いた音が共鳴するや、
そこはシロッコの吹く大地と化し、
ジプシーたちのフラメンコが立ち上がった。

あとは一気呵成に
一人四役(リード/サイド/ベース/リズム)の
超絶技巧を駆使して
エンディングまで
超速で弾き切った。

ホールの床、天上、壁から
あらゆるエコーが多重反射して
まるで大容量の
モニタースピーカーのように耳元に届き、
ノリノリで弾けたのは
滅多にない体験でもあった。

ほんのニ三歩という
至近距離で聴いていた生徒たちは
さぞかし音圧と迫力に包まれて
バクバクしたことだろう。

エンディングの
「ヘーイッ!!!」
の掛け声と共に
ワッと喚声と拍手が
湧き上がった。

まるで、
タブラオ(フラメンコ居酒屋)である(笑)。

酒はなくとも
演奏で魅せる酔わせるのが
ギタリストである。

校長先生も
興奮されて(笑)、
「いやぁ~、すごかったぁ~!
 先生、プロですねぇ~!」
…に、
「はい。プロです」(笑)

若い女性の先生方も数人おられたので、
これで少しはジジイ・カウンセラーの
株が上がったかしらん・・・と、
点数を稼げた気がした(笑)。

まさに、
「芸は人を助ける」
である(笑)。

最後は
全員で『トップ・オブ・ザ・ワールド』を
英語で斉唱して〆となった。

生徒からは
お礼の「花籠」が贈呈がされ、
帰宅後に室礼として
飾らせて頂いた。

これまでになく晴れがましい
夏休み開始直前の
コンサート・イベントであった。






掛け軸には、
先日、色紙表具した
「せんがい和尚」の臨書を飾った。

稀代のトリックスター高僧の
人を喰ったような
「画賛」である。

「○」は
ただの饅頭の意味では
なかろうと思う。

「一にして全/全にして一」
でもある曼荼羅のシンボルの
「○」である。

喰えるものなら、喰ってみろ、
という禅師の問答のようでもある。

この語が好きで、
しばしば書いては
茶室にも掛けて
お客様にもご披露してきた。

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