『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

女性の創る美

2020-01-26 08:08:00 | TV・ドラマ
二階の書斎より眺める
吾妻山がキレイだったので、
電線や建物が写り込まない
郊外まで足を延ばしてみた。

もう、十年来の相棒である
満身創痍のデジカメは
電池の蓋が壊れて
セロテープでとめてある(笑)。

女性の知人から
「なんだか、かわいそう…」
と言われて、
(そっかなぁ…!?。
目いっぱい、大事に使ってるのになぁ…)
と複雑な思いがした。

たしかに、
もう誤動作しまくりで(笑)、
使いにくいこと甚だしいが、
ピューリツァーのライカじゃないが、
なにせ、これまで、ブログ画像を
一手に引き受けてくれた相棒なので、
寿命が尽きるまでは
安易に断捨離するつもりはない。

ズームにすると、
曇りノイズが混入するが、
それとて画像ソフトで
なんとか処理している。

そんなんで、
そろそろ世代交代か…と、
きのうは最新のスマホで
初めて野外撮影をしてみたが、
現場で、どうしてもズームの仕方がわからず、
遠景のみしか撮れなかった。

帰宅後に、いろいろと弄りまわしたら、
音声調整のボタンが
ズームに当てられていることを
突き止めた(笑)。




そろそろ、
スマホ撮りして、
PCに送るという転送実験も
してみようと思っている。

果たして、
ブロガーのハード-ユースに
どちらが簡便に対応しているか
検討してみたい。





連ドラ『スカーレット』を
毎日、視ている。

その作品を普段から愛用している
陶芸家の神山 清子を
モデルとしているので、
何処かに思い入れがある。

スカーレットとは、
穴窯の信楽自然釉による
「緋色」を指す。

備前でも、
「緋襷(ひだすき)」
という自然釉による
「緋色」を特有の景色としている。

大阪在住の頃、
阪急の水無瀬駅前に
3年ほど住んでいたが、
近所にあった
陶器店の「とらやま」で、
初めて神山作品に出会って
その素朴でざんぐりとした意匠に
魅了された。

もう35年も昔のはなしだが、
当時で、総緋色の筆筒が
2000円くらいだったと思う。

「寸越窯」という
ユニークな名前も印象に残っている。

神山さんは、
1936年生まれなので、
御年83才になり、
今もご健在である。

ドラマにも出てくる
緑釉の筆筒も
普段からデスクトップで
愛用している。

眺めてよし、
使ってよし、
の名品である。

茶道にある「一器四用」で、
時には、茶室の花入れにも、
煙草盆の火入れの用にも
お出まし願うことがある。

どの場面にあっても、
作者のたましいが入ったものは、
凛としていながらも、
出しゃばらず存在を主張している。





土日の朝のニュース担当の
石橋 亜紗(28)ちゃんが
好きである…(笑)。

(///´ω`///) イイ…

でも、
ザンネンながら人妻だ…(笑)。

。。(〃_ _)σ∥

うちの嫁のミカちゃんと同じ
KO大卒の才媛である。

清楚な雰囲気と
ややくぐもった低音のイケヴォが
魅力的である。

ヾ(☆_☆)ノ彡 大好きだ━━ッ☆ (笑)”

あんまり、好きなので、
絵画仕立ての作品にしてみた(笑)。
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嗚呼、あやかりたい、蚊帳つりたい

2020-01-25 05:55:00 | 趣味
ここのところ、
Win10騒動で
PC環境が落ち着かなったので、
危うくソータの棋戦を
見逃すところだった。

久しぶりに、夕方頃、
対局予定サイトをチェックしたら、
きのうも竜王戦があって、
慌ててアベマをつけたら
中盤にさしかかっていた。

ちょうど夕休前だったので、
佳境に入った頃の
いちばんの見所だったので
見逃さずにラッキーだった。

決着がついたのは
8時頃と早かったが、
100手前にして
上位の畠山八段が
「攻防ともに見込みなし」
と見切って投了したのは
潔く清々しかった。

五十代のベテランだが、
離席から着座する時にも
高校生相手に
「失礼しました・・・」
と一々断っていたのは
素晴らしいマナーだと感心した。

弟子の「サイタロウ」こと
斎藤 慎太郎七段も
礼儀正しく常々感心していたが、
この師にしてこの弟子ありなのだ。

ソータの昇級は確実そうで、
来季は師匠と同クラスになり、
また、竜王戦も同じ組なので
二度目の師弟対局が観れるのでは
と周囲の期待が高まっている。

この師弟も
どちらも人間的に素晴らしく、
これまたこの師にして
この弟子ありなのである。

将棋の起源は、
『新猿楽記』(1058年-1064年)
が最古の文献資料とされているので、
平安時代に遡る。

アメリカ建国の遥か700年前もの歴史があり、
武家社会を経て、それは日本的な
精神性を伴い、単なる遊興ではなく、
「将棋道」と言われるほどの
精神文化にまで高められたのである。

礼に始まり礼に終わる
のは当然として、
自ら「負け」を宣言し、
相手を敬い、
駒や盤を磨いて
自らを養い高める道具を
大事に扱うのである。




ゆんべのソータの
“勝負めし”は、
鍋焼きうどんだった。

いつもは、
15分くらいで食べ終えて
相手よりも逸早く
さっと対局室に戻ってくるのに、
昨夕は再開ギリギリ前に戻ってきた。

鍋焼きうどんが熱々で、
さすがの高校生も
一気呵成には完食できず、
フーフー吹きながら
苦戦してる様を想像したら
微笑ましかった。



YouTubeで、
『3月のライオン』の公開前に、
主演の神木君との
詰入り姿での対談があり、
中二の頃のまだ初々しく
たどたどしい姿も
微笑ましかった。




毎朝、朝刊の
『ウソ放送』の
ジョークに目を通しているが、
時折、クスリと笑えるのがある。

今朝のゴーン・ネタも
なかなか秀逸だった。



大阪なおみが
中3相手に完敗した。

前日の試合で、
ぶちキレて、ボールを叩きつけ、
ラケットを蹴り飛ばした姿が放映され、
なんだか、哀しくも、腹立たしくも思った。

「将棋道」じゃないが、
自らを養い高める道具を
蹴っ飛ばすバカがどこにいよう・・・。

ʅ(-"-;)ʃ バーカ…

イチローが
グラブを叩きつけるか…。

ソータが
駒を叩きつけるか…。

…っつーの。

名前は日本人でも、
ココロはちゃうねんなぁ…と、
思ってまうで…。

(〃_ _)σ∥  

もっとも、
ニシコリKも
すぐにラケット叩きつけるので、
ちったぁ「茶道」でもせぇッ!!
っちゅうねん。

(゙ `-´)/



内縁の男が
中学生を三人も
心中で巻き添えにした…
という「いわき」のニュースを聞いて
中学校のSCとして
暗澹たる気分になった。

まだ、中一と中三という
前途洋々の兄弟を殺すって、
大犯罪である。

しかも、
テメェはオメオメと
生き残ってる。

京アニや「やまゆり事件」の
犯人と一緒やねぇ……。

ナンジャ~ッ‼ ヽ(#`Д´)ノ┌┛〃 オメェガシネ~ッ‼

…である。




ソーちゃんの棋戦を見ながらも、
フラメンコ・デュオ用の
『アレグリアス』の編曲を完成させた。

明日のハッシーとの
音合わせが楽しみである。

自分でも初めて耳にするので、
どんな音世界が立ち上がり、
フラメンコのホンド(深い)な
ドゥエンテ(たましい)が
表現させているか見定めてみたい。



去年一年のブログを冊子化したら、
なんと740頁にもなり、
4冊の分冊化となった。

老境に入り、
年々、書くことが増えてきたのは、
「終末効果」なのかしらん、
と思わないでもない…(笑)。

もっとも、
“知の巨人”
カール・グスタフ・ユングの
ほとんどの著作は、
70代から為されたというから
驚きである。

あたしも、
あやかりたい、蚊帳つりたい…(笑)。

ꉂ(ˊᗜˋ*)ヶラヶラ
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真冬の勤務

2020-01-24 07:49:00 | 風景
暦の上では
11月、12月、1月を
冬というそうな。

立春は、節分の翌日なので、
2月4日である。

『早春賦』にもあるように、
二月と言えば、
♩ 春は名のみの 風の寒さや ♩
である。

節分は季節の区切りであり、
「豆まき」は新春を迎えるにあたり
新しい始まりの前に邪気を払う
という習わしである。

旧弊で家々の門口に
「立春大吉」のお札を貼るのは、
この四字熟語が
シンメトリックで縁起がいい
との意味もあるそうな。




山間部の僻地にあるY中では、
北側のカウンセリング室は
陽があたらず外は根雪のままで
廊下はまさに厳寒の通りである。

6畳ほどの室内では、
石油ファンヒーターに
ハロゲンランプと
足元に電気ヒーターの
3種を稼働させている(笑)。

どんだけ寒いんだか…(笑)。

…:;(∩´﹏`∩);:.

近頃では、
電気ヒーターに
厚手のバスタオルを被せて
簡易コタツのようにして
暖をとっている…(笑)。

昔懐かしい
銭湯の番台の
お爺さんみたいである。




職場に出向くと、
朝一のルーティンは、
前回の「執務記録」を見て、
ヘタな字を取り出して
キレイに書くという
ペン字の稽古をする。

一字一字書くと
キレイに書けるのだが、
考えながら文章として書くと
どうしても字が乱れてしまうので、
まだまだ書字の骨法が
会得されていない。

それでも、
「継続は力なり」だから、
飽かずに続けている。

 怠らず
  行かば千里の果ても見ん
   牛の歩みの
    よし遅くとも

・・・である。



修復したチェロの2番弦が
冬休み中に切れていたので、
仕方なくヤフオクで
ばら売りのものを
1.600円で注文した。

中国製の4本セット400円のを
アマゾンで買ったら、
張っている最中に切れるという
とんだ“おそ松くん”ものだった。

やっぱり、
名のあるメーカーの
ちゃんとしたものでないと
いけんなぁ…と、
当たり前ながら思わされた。

「ダダリオ」は
有名な弦メーカーである。




Y中は長らく
原発事故の計画的避難地区にあった。

今でも、全校生4人の
僻地校なので、
先生方も交えて
10人ほどで給食を頂いている。

遠い給食センターから
運ばれてくるものなので、
ご飯も汁もオカズも
熱々ではなく冷えかかってはいるが、
大勢でワイワイいいながらの食事は
それだけでも楽しいランチ・タイムではある。

何を食べるか…
ではなく、
誰とどのように食べるか…
というのも「食事」には
大切なエレメントなのである。



全校生4人のうち
一人が欠席したので、
きのうのカウンセリングは
ローテーションの関係で
一人のみとなり、
空き時間が大量に発生した。

厳寒の体育館では
グランド・ピアノを弾くこともままならず、
持参した白譜に
フラメンコ・デュオ用の編曲に
時間を費やせた。

未読のジャーナル(学会誌)が
幾冊もあり、ほんとは、
最新論文読みの勉強に当てるべきなのだろうが、
生徒にギターを教えたり、
アート・セラピーもしているので、
音楽関連も専門研究の一環と捉えている。

フラメンコの教則本や
名手たちのレパートリーから
気に入った部分を取り出して、
それらをつなぎ合わせ、
二重奏用に編曲し、
尚且つ、足りない部分を補作する。

これらの作業は、
充実して楽しいのだが、
文字通り肩が凝り、
坐骨神経痛が危うく
ぶり返しそうになった。

クワバラ、クワバラ…
である…(笑)。

日曜にデュオのハッシーが
レッスンに来るので、
その時に、どんな音が立ち上がるか、
楽しみでもある。

実際に、演奏してみて、
それを録音してみて、
また手を入れて改変しと、
地道な作業を経て
一曲が仕上がっていく。







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もうじき節分

2020-01-23 07:57:00 | 季節
スーパーに買い出しに行ったら、
入口に節分の豆が
色とりどりに陳列されていた。

その隣のコーナーには
バレンタインのチョコが
わんさか置いてあった(笑)。




・・・てなわけで、
玄関の室礼を
新年の正月飾りから
「節分」飾りに改めた。

在京中に
カミさんと嵯峨野の散策で買った
陶器の鬼面は、
もう何十年も
我が家の節分アイテムとなっている。

真塗蛤丸台に
宝間道の古袱紗を敷き、
酒蔵から頂いた
檜木の一合升に豆を入れ、
神棚の三方に
“豆まき”風にしてみた。





「いわむらかずお」の
『14匹のねずみ』シリーズで、
『もちつき』だけが欠けていたのに気づいて
カミさんに話したら、
さっそく、昨晩、仕事帰りに
近所のツタヤで見つけたといって
買ってきた(笑)。

三男が10才の頃に出た
最終巻だったので、
もう読み聞かせに必要なくなり
買い漏れていたのだった。

これで、
ようやく全12巻が揃ったが、
子どもたちがお気に入りだった巻は、
何十辺となく読まされたので、
もう、背表紙がなくなっているのもある。

このシリーズの白眉は、
家族全員で食事するシーンである。

家族が会食するという幸福感を
ねずみを擬人化して
とてもよく表現している。

我が家では
当たり前の光景だったが、
大阪から遊びに泊まりに来た
教え子たちの何人かが、
家族全員で食事するのを
「こんなん初めてや」と言い
「いいもんやなぁ…」
と、しみじみと漏らしていたのが
印象的であった。

きっと、家族がゴタゴタして
寂しい食事をしていたのだろう。

6月の幼稚園での講演会でも
「食べ物はカラダを作るが、
食べ方はココロを作る」
ということを力説してこようと思う。

なにせ、
家族の原点は
「食」にあるのだ。

その昔、原始の祖先たちは
火を囲んで食事をしただろうし、
それが家族の絆を強くしただろうことは
想像に難くないし、
猛獣から家族を守るという
「父性性」「男性性」も
現代よりも明確に
確立していたことだろうと思う。




ブロガーのM先生が
キレイな駅前夜景を載せておられたので、
お断りして転用させて頂いた。

画像ソフトで
「シャープネス」と
「クロス(☆反射)」加工してみた。

真冬の清んだ空気感に
幻想的なイルミが
如何にも“映え”である。

きのうは、
首痛の施術に赴いたら、
自家栽培のレモンを1ケ頂戴したので、
「やまや」で40度のテキーラを
買って帰り、ゼスト(果皮)を
ピーラーで薄く向いて浸出させた。

1週間も漬け込めば、
透明のテキーラがレモン色に
染まってくるはずである。

それに、
絞った果汁に白砂糖を
煮溶かしたシロップを加えれば
自家製の「リモンチェッロ」が
できあがる。


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美味そうな二の腕

2020-01-22 09:09:00 | 季節
きのうの雪も
積雪には至らず、
いい塩梅に溶けてくれた。

それでも今朝は、
この冬いちばんクラスの厳寒で、
東北各県で軒並み
零下10℃を下回っている。

家の前の雪解け跡が
カチンカチンに凍っていた。

暖房のない廊下に出ると、
一瞬、カラダがきゅんという。




二学期末に寄稿した小文が
学校新聞に載っていた。

一年365日、ブログを書いてるから、
400字くらいの原稿を依頼されても、
その場で5分くらいで書けてしまう。

たいがい、係の先生は驚かれるが、
何のことはない、思ってることを
“口から出まかせ”と同じく
筆任せにチョイチョイと
書き出すだけである。

連想ゲームと同じく、
反射的にパッと思いついたことを
ただ書き出して
紙幅の尽きたところで
やめればいいだけである(笑)。

でも、これも、
毎日、ブログを書いてることが
知らず知らず修練となって
体得した芸当かもしれない。

常々、カウンセリングの
お弟子さんたちには、
「読めて、書けて、話せて、聴ける」
カウンセラーになるようにと、
平素のスキル・トレーニングを
怠らないように指導している。





ブログの必需品だった
「ウェブ・アートデザイナー」という
画像処理ソフトが
Win10シフトで消去されてしまい、
まるで片腕をもがれたような状態だった。

仕方なく、
それが付属されている
最新の『ホームページ・ビルダー』を
アマゾンから購入した。

8.000円もの出費は痛かったが、
古いヴァージョン「10」から
「21」に進化したものは、
さすがに、不備だった点が改善されていて、
以前より使い勝手が少しだけよくなり、
毎日のことなので投資しただけの
価値はあったかもしれない。

こういう時は、
「8000円÷365日」という計算で、
「22円/日」だと思えばいい、
というのを聞いたことがある…(笑)。



Win10シフトで「ワード2000」も
消去されてしまい、
仕方なく「トリオ・オフィス」というのを
マイクロソフトからダウンロードした。

こいつが起動が遅く、
しかも、「ワード2000」で作ってきた
書籍類の原稿の体裁を滅茶苦茶にしてくれ、
おまけに、印刷しようと
「開始」をクリックしたら
「有料のプレミアム」にしないと
仕事が始まらない…というウィンドウが開いて
呆れてしまい、腹立たしかった。

なので、すぐさま、
アンインストールして、
腹立ちまぎれに
「ワード98」という
「Win95」時代のソフトを
インストールしたらスンナリ入って、
しかも、「ワード2000」の原稿を
復旧させてくれた…(笑)。

もう、何やってんだか…
である。

~(●`ε´●) ノ゛

腹立ちまぎれに、
ヤフオクで「ワード2000」を
600円で落札した。

プリンター・ドライバも
再インストールして
どうにか稼働を確認できて、
やっと元のPC環境に戻りつつあるが、
それでも、まだ使い勝手のわるさを
感じている。



ブックオフで100円本の
「宇宙論」を買ってきた。

既知の内容ではあるが、
思考の整理をするのに
いいかもと読んでいたら、
案の定、いろんなことが
インスパイアされた。

時空は「無」から生じたもので、
それは一定のものでも
絶対のものでもない、
というのは現代宇宙論の大前提である。

「宇宙」というのは、
中国の古典にある言葉で、
「宇」は「時間」を
「宙」は「空間」を意味している。

「宇宙は神の見ている夢」
というレトリカルな表現に
ある部分納得している。

「本来無一物」であれば、
何も始まらないし、何も終わらない。

無変化の定常宇宙というものはなく、
時空・物質は絶えず
変化しているように観察できる。

【変化】とは
事象が「相対的」に比較されて、
時間的前後で違った様態・状態を指す。

1枚のCD、1冊のスコアには、
モーツァルトの『ジュピター』が
完全に収まっているが、
それは、40分間、再生、演奏されなければ、
我々は視聴覚的にも感情的にも
認識、経験することができない。

CDとスコアは【情報】そのものである。
その情報が認識されるためには、
それにアクティヴにコミットする必要がある。

ここにおいて、
CDプレーヤーやらオーケストラやらは、
この情報を再生する装置になる。

そして、デジタル信号や
楽譜として書かれた情報は
恒久的に「不変」であらねばならない。

作曲家→楽譜→演奏→聴き手
(思い) (情  報) (思い)

遺伝子もまた情報であり、
それに拘束され、
すべての生物は
多様な形質と行動様式を持つ。

一卵性双生児が
同じ人生を歩むことはない。

それは、同じ遺伝子であっても、
周囲・環境との関係性が異なるためである。

でも、双生児研究法という
追跡調査があり、
片方が自殺や犯罪を犯すと、
別な処に住んでいて情報のやりとりがない
片方も同じ行動が高い確率で見られた、
というケースもある。

この【情報】たるものが
発現・経験されるためには、
時空というセット、
すなわち宇宙の存在が前提となる。

【本来無一物】で有り得ないのは、
時空の存在を問う我々/意識が
存在するからである。

その意識の根源は何たるかは謎だが、
「宇宙は神の見ている夢」
とレトリカルに考えると、
何だか腑に落ちるような気もする。

……何を考えて、
何を言いたかったのか…
ナンダカ、わかんなくなっちゃった…。

。゚(゚^∀^゚)゚。 ギャハハ !





今年の年末年始の
バラエティーに
シブコは引っ張りだこだったみたいで、
YouTubeにいろんな番組がアップされていて、
寝室のファイア・スティックで
楽しく見ている。

阿川佐和子との対談では、
ノースリーヴから露出した
二の腕がムチムチしていて
なんだか美味しそうに見えた…(笑)。

(´¬`)

さすがに、21才の若さが
はち切れるような
トップ・アスリートの肢体である。



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