きのうはT中勤務だったが、
今週は期末テスト期間なので、
一日しか勤務日がない。
それでも、
午前中から午後にかけて
4件もの予約が入っていて、
月末統計を出したり、
執務記録を書いたりしてたら
退勤時間を過ぎてしまった。
帰路にある
Tちゃん先生の教会に
寄せて頂き、
生徒たちの無事・改善・快癒の
お届けとご祈念をさせて頂いた。
そしたら、
日曜日の上半期「感謝祭」で、
ご母堂先生の在職40年祝いに、
先生の好きな『影を慕いて』を
ギター演奏してほしい
というご依頼を頂いたので、
快くお引き受けさせて頂いた。
帰宅して、
日曜は朝9時から、
ソーちゃんの
「棋聖戦」2番目があったことを
思い出したが、
プライオリティは
“お道の御用”の方が上である。
まして、
幾度もリサイタルに
御み足を運んで頂き
お祝いをも頂戴しているので、
その先生の祝宴とあっては
ギタリストとして
馳せ参じなければである。
今日から、さっそく、
クラシック・ギターの
弦を総張り替えして、
メンテをしなければである。
それと、
弾き込み練習も
しなくちゃならない。
きのうは、
「自殺企図」により、
38日間入院していたJCが
退院して初めての
カウンセリングを行った。
主訴に
「離人感」を訴えたので、
しばし、意識-無意識の
心理教育を行った。
これは、
自分自身の実在感がなくなり、
自分や世界を
別の世界から見ているような
異常感覚に陥ってしまう症状である。
診断マニュアルでは、
「解離性障害」
(Dissociative Disorders; DD)
とも言う。
「離人症」の英語は
「Depersonalization」というので、
なんとなくイメージし易い。
軽度のものであれば、
風邪で発熱した時なぞにも
誰しも感じるような
ボーッとしたような
実体喪失感がそれに近いかもしれない。
斯く言う自分も、
HSC(ハイパー・センシティヴ・チャイルド)
だったので、
高校生の頃に罹ったことがあり、
食べたものが胃の腑に落ちる実感がなく、
まるで異次元にでも行ってしまったような
奇異な感覚を覚えたことがある。
そして、
このラーメンを食べてる自分って、
いったい誰なの?
というような、
自己存在の危うさをも感じた。
重度のトラウマや
長期持続したストレスや
不安などによっても
起こり得る症状である。
院生の頃、
精神病理学の講義では、
医学博士の市橋先生から
「曇りガラスを通して
世界を見ているような感じ。
あるいは、常時、
鉢巻きをしているような奇妙な感じ」
と習った記憶がある。
不安障害、うつ病、双極性障害、
統合失調症、境界性パーソナリティ障害、
強迫性障害、偏頭痛、睡眠不足…
などでもしばしば見られる症状である。
「うつ病」と同じく、
脳内のセロトニン・レベルの
低下によって生じる症状
とも言われている。
⁂
山間(あい)の僻地にある
Y中の校名ツツジが満開で
ちょうど見ごろである。
原発特区なので、
全校生3名でも廃校にはならず、
地域の方々が代わるがわる
刈り込み作業などを
ヴォランティアで
してくだすっている。
昨日から、
棋界では、全棋士いっせいに
順位戦が始まり、
ソータだけは、前日に
「王位戦」の
挑戦者決定戦があったので、
「開幕日」が今日に調整された。
それでも、
全日制「普通科」の高校生には
ハード・スケジュールである。
元・高校教員として、
かねがね、出席日数不足に
ならないのかしらん…と、
老爺心に心配していたが、
1,2年生とクリアしてきたので
何とかなっているのかもれしない。
とは言え、
所属する名大附属校は国立で、
私立ではない。
それでも、
校長はじめ
職員全体の共通理解により、
補習やレポート課題などにより
“ひとり通信制”的な
ソータ・システムの特配措置が
なされているのかもしれない。
これまでも、
全日制の勤務高で、
不登校生に対して、
県教委の承諾を得て、
在宅履修を認めて
卒業させたケースもあった。
コロナ禍現代の今を
先取りするような
リモート学習、在宅学習で
単位を認定したのである。
今日は、
持ち時間6時間で
昼休・夕休を入れて
14時間の長丁場戦である。
観る方も覚悟がいり、
オシリ痛持ちには
いささかツライが、
かつて、29連勝を阻まれた宿敵
「佐々木 勇気」との
“巌流島”決戦なので(笑)、
ソータ贔屓には
応援しないわけにはいかない。
それでも、
1時間を超す「長考タイム」も
たびたびあることだろうから、
その間を料理したり、
ヴァイオリン練習したり、
難読書を読み解いたりしようと思う。
日本が世界に誇る
偉大な哲学者・井筒 俊彦先生の
『意識と本質』は、
河合先生ご推薦の必読書なのだが、
いかんせん難解過ぎて、
これまで二度にわたって
挫折してきた。
僕(やつがれ)のセコな頭では
どうにも歯が立たない
難物である。
なので、
一頁ずつ、復唱するように、
噛みしめながら、心に響き、
理解するまで、向き合おうと
思っている。
この本に対峙するたびに、
もう、なんで、こんなに、
俺はアタマ悪いんだろう…と、
暗澹たる気分にさせられる。
でも、それって、
出来ない生徒や
病んでる生徒たちの
劣等感や自己否定感を
理解するのには役立っている。
今週は期末テスト期間なので、
一日しか勤務日がない。
それでも、
午前中から午後にかけて
4件もの予約が入っていて、
月末統計を出したり、
執務記録を書いたりしてたら
退勤時間を過ぎてしまった。
帰路にある
Tちゃん先生の教会に
寄せて頂き、
生徒たちの無事・改善・快癒の
お届けとご祈念をさせて頂いた。
そしたら、
日曜日の上半期「感謝祭」で、
ご母堂先生の在職40年祝いに、
先生の好きな『影を慕いて』を
ギター演奏してほしい
というご依頼を頂いたので、
快くお引き受けさせて頂いた。
帰宅して、
日曜は朝9時から、
ソーちゃんの
「棋聖戦」2番目があったことを
思い出したが、
プライオリティは
“お道の御用”の方が上である。
まして、
幾度もリサイタルに
御み足を運んで頂き
お祝いをも頂戴しているので、
その先生の祝宴とあっては
ギタリストとして
馳せ参じなければである。
今日から、さっそく、
クラシック・ギターの
弦を総張り替えして、
メンテをしなければである。
それと、
弾き込み練習も
しなくちゃならない。
きのうは、
「自殺企図」により、
38日間入院していたJCが
退院して初めての
カウンセリングを行った。
主訴に
「離人感」を訴えたので、
しばし、意識-無意識の
心理教育を行った。
これは、
自分自身の実在感がなくなり、
自分や世界を
別の世界から見ているような
異常感覚に陥ってしまう症状である。
診断マニュアルでは、
「解離性障害」
(Dissociative Disorders; DD)
とも言う。
「離人症」の英語は
「Depersonalization」というので、
なんとなくイメージし易い。
軽度のものであれば、
風邪で発熱した時なぞにも
誰しも感じるような
ボーッとしたような
実体喪失感がそれに近いかもしれない。
斯く言う自分も、
HSC(ハイパー・センシティヴ・チャイルド)
だったので、
高校生の頃に罹ったことがあり、
食べたものが胃の腑に落ちる実感がなく、
まるで異次元にでも行ってしまったような
奇異な感覚を覚えたことがある。
そして、
このラーメンを食べてる自分って、
いったい誰なの?
というような、
自己存在の危うさをも感じた。
重度のトラウマや
長期持続したストレスや
不安などによっても
起こり得る症状である。
院生の頃、
精神病理学の講義では、
医学博士の市橋先生から
「曇りガラスを通して
世界を見ているような感じ。
あるいは、常時、
鉢巻きをしているような奇妙な感じ」
と習った記憶がある。
不安障害、うつ病、双極性障害、
統合失調症、境界性パーソナリティ障害、
強迫性障害、偏頭痛、睡眠不足…
などでもしばしば見られる症状である。
「うつ病」と同じく、
脳内のセロトニン・レベルの
低下によって生じる症状
とも言われている。
⁂
山間(あい)の僻地にある
Y中の校名ツツジが満開で
ちょうど見ごろである。
原発特区なので、
全校生3名でも廃校にはならず、
地域の方々が代わるがわる
刈り込み作業などを
ヴォランティアで
してくだすっている。
昨日から、
棋界では、全棋士いっせいに
順位戦が始まり、
ソータだけは、前日に
「王位戦」の
挑戦者決定戦があったので、
「開幕日」が今日に調整された。
それでも、
全日制「普通科」の高校生には
ハード・スケジュールである。
元・高校教員として、
かねがね、出席日数不足に
ならないのかしらん…と、
老爺心に心配していたが、
1,2年生とクリアしてきたので
何とかなっているのかもれしない。
とは言え、
所属する名大附属校は国立で、
私立ではない。
それでも、
校長はじめ
職員全体の共通理解により、
補習やレポート課題などにより
“ひとり通信制”的な
ソータ・システムの特配措置が
なされているのかもしれない。
これまでも、
全日制の勤務高で、
不登校生に対して、
県教委の承諾を得て、
在宅履修を認めて
卒業させたケースもあった。
コロナ禍現代の今を
先取りするような
リモート学習、在宅学習で
単位を認定したのである。
今日は、
持ち時間6時間で
昼休・夕休を入れて
14時間の長丁場戦である。
観る方も覚悟がいり、
オシリ痛持ちには
いささかツライが、
かつて、29連勝を阻まれた宿敵
「佐々木 勇気」との
“巌流島”決戦なので(笑)、
ソータ贔屓には
応援しないわけにはいかない。
それでも、
1時間を超す「長考タイム」も
たびたびあることだろうから、
その間を料理したり、
ヴァイオリン練習したり、
難読書を読み解いたりしようと思う。
日本が世界に誇る
偉大な哲学者・井筒 俊彦先生の
『意識と本質』は、
河合先生ご推薦の必読書なのだが、
いかんせん難解過ぎて、
これまで二度にわたって
挫折してきた。
僕(やつがれ)のセコな頭では
どうにも歯が立たない
難物である。
なので、
一頁ずつ、復唱するように、
噛みしめながら、心に響き、
理解するまで、向き合おうと
思っている。
この本に対峙するたびに、
もう、なんで、こんなに、
俺はアタマ悪いんだろう…と、
暗澹たる気分にさせられる。
でも、それって、
出来ない生徒や
病んでる生徒たちの
劣等感や自己否定感を
理解するのには役立っている。